ユリシーズの瞳('96) テオ・アンゲロプロス <帰還の苛酷なる艱難さ――人間の旅の、終わりなき物語>

イメージ 11  マナキス兄弟の映像を求めて



「魂でさえも、自らを知るには、魂を覗き込む――プラトン

画面の黒に、プラトンの言葉が刻まれて、映像は開かれた。

その画面が切れて、サイレントの映像が映し出された。

ギリシャ 1905年。マナキス兄弟が最初に撮った映画。ギリシャバルカン半島で最初の映画。それは事実か?これが最初の映画か?最初の眼差しか?」

その男の名は紹介されない。Aという記号的な名称でしか紹介されない、アメリカの映画監督である。そのAのモノローグから開かれた映像は、一転して、1954年の冬のエーゲ海の霞んだ曇天の風景に移っていく。

「マナキスの兄はここサロニカ港で、青い船を眼にした。私は彼の弟子でした。彼は青い船を撮ろうと待ち続け、ある朝、現れた船を撮影した・・・彼はその夜死んだ。死ぬ前に未現像の映画がある。3巻あると・・・今世紀初めに撮影したフィルムが、今頃、未現像のまま存在するなんて、誰も真に受けなかった」

一人の老人が、Aに語った言葉である。

その老人は、マナキス兄弟の弟子。
映像はマナキス兄のヤナキスが撮影中に、突然倒れ込む場面を映し出した。急逝したのである。テサロニキ湾には青い帆船が静かに浮かんでいて、やがて濃いブルーの色彩の中にフェイドアウトしていった。

ギリシャ正教の町フロリナに、Aは帰郷を果たした。

夜の街には、Aの作品が上映されることを知った教会と狂信派が、映画館を封鎖するという騒動が出来していて、結局、野外上映するという覚悟を持って、シネクラブの青年がAを迎えていた。

そこに、傘を差して上映を待つ多くの人々いる。

その作品の名は、「こうのとり、たちずさんで」。

その映画の音だけが場外に流されてきて、その上映を阻止しようとする正教徒の女たちの悪霊払いの声が、夜の街を異様なまでに裂いていた。

一人、郷里の変化に驚きながらも落ち着いた態度を変えないAに、アテネ博物館員は呆れている。

「君は来ない方が良かった」との辛辣な言葉に、Aは静かに応えた。

「そうらしい。でも個人的な理由もあって来たんだよ。分ってくれるかな?上手く言えない。出て行くしかない。ここが終点と思っていても、可笑しなことに、いつもいつも、終わりが始まりだ」
「君は35年も留守にしていたんだからな。35年の距離、35年の郷愁。バルカンの現実はアメリカの現実より厳しい。君は今、暗い水の上を渡っている」
アテネ博物館員の、この言葉に集約される意味の大きさは、やがてA自身が体験することになるが、果たしてAにそのとき、その覚悟があったかどうか不分明である。

―― サイレントの、「糸を紡ぐ女たち」のモノクロ映像が本作のカットの中に割り込んできて、映写機の回る音だけが響いていく。このシーンは、本作の中で度々出てくることになる。

「マナキス兄弟の話に、なぜそんなに惹かれる?それだけが理由か?言っとくが、映画博物館は旅費を出せない。予算がない」とアテネ博物館員。
「分っているだろう。僕の個人的な旅だ」

Aはそう答えて、博物館の男と握手して別れた。

そのときAの傍を、黒いコートを羽織った一人の女が通り過ぎていく。彼女はAとかつて再会を約束し、フロリナでAを待ち続けていたのだ。

「こんな唐突に君に再会するとは。一瞬、夢だと思った。過去、何年も君の夢を見てきたから。あの駅を覚えているか?君は雨の中で寒さに震えていた。風も強い日だった。僕は町を出たが、すぐ戻るつもりだった。でも道に迷って、知らない土地をウロウロした・・・手を伸ばしさえすれば君に触れるのに、昔に戻れるのに・・・どうしてもそれができない。戻ったと君に言いたいが、なぜかできない。旅は終っていない。終っていないのだ」

Aのモノローグである。

背景となった画面には、政治的に対立する集団の中に、警官隊が割って入り込んでいく物騒な描写が映し出されていた。
 
 
 
(人生論的映画評論/ ユリシーズの瞳('96) テオ・アンゲロプロス <帰還の苛酷なる艱難さ――人間の旅の、終わりなき物語> )より抜粋http://zilge.blogspot.jp/2008/11/96_27.html