ル・アーヴルの靴みがき(‘11) アキ・カウリスマキ <構成力についての合理的な突っ込みを無化させるほどの独立蜂のパワーの凄み>

イメージ 11  EU各国が内包するシビアな国際政治のリアリズム



ヨーロッパの国境の垣根を緩めたシェンゲン協定や、ユーロの導入、共通農業政策等によって軟着したかに見えた、「ヨーロッパの多様性における統一」という歴史的大実験が、ギリシャ財政破綻の問題に端を発したEUの危機を顕在化させ、PIIGS(ピッグス=ポルトガル、イタリア、アイルランドギリシャ、スペイン)の財政不安の広がりで、ユーロ相場の下落を招来し、欧州総体の債務危機の有効な克服の方途(「包括戦略」)が垣間見えるものの、現時点(2013年5月)においても最大の正念場を迎えている印象は拭えない。

本作との関連で、フランスの移民問題について言えば、高度成長を支える労働力不足の解消という意味合いもあって、フランスが歴史的に多くの移民を受け入れてきた国民国家であるという背景がある。

然るに、旧宗主国であるフランスを頼って渡仏してきたアフリカ移民の増加が、フランス人の失業率の元凶とされるに及んで、フランス人との深刻な摩擦を生み、それが由々しき社会問題を惹起させた要因となっていく。
 
以上の現実が、例えば、警察に追われた、北アフリカ出身の若者の感電死事件を契機に起こったフランスの若者たちによる暴動として、時の世論を沸騰させた「パリ郊外暴動事件」(2005年・サルコジ内務大臣の「社会の屑」発言)に象徴されるように、フランスの若年層の失業率の高さ(23%)が移民問題に転嫁(有名なジャン=マリー・ル・ペンが率いる極右政党の国民戦線の伸長)されることで、イミグレーション(出入国審査)の厳格化に流れていき、海外世論において、「フランス移民暴動」というラベリングが一人歩きしていった事実は記憶に新しい。

そして今や、イスラム系移民に対するフランス国民との軋轢の激化が、社会党のオランド政権下にあって、アルジェリアでのイスラム過激派による外国人労働者の襲撃事件(2013年1月)を機に、マリへの軍事介入を招来し、空爆の開始という作戦にまで発展していった事実に、「自由・平等・博愛」の精神を重んじるイメージが崩されたとナイーブな日本人は思うだろうが、「多文化主義」を掲げてきたフランスが抱える状況は、まさに、EU各国が内包する、シビアな国際政治のリアリズムの様態である現実を認知しない訳にはいかないだろう。
 
 
 
2  構成力についての合理的な突っ込みを無化させるほどの独立蜂のパワーの凄み



EUリアリズムが逆巻く最前線で、時代の激流に呑み込まれて、それぞれの生活のサイズを縮めていくことで、すっかり疲弊してしまうよりも、「古い良き時代のコミュニティ」というお伽噺の中で存分に遊び、弾けることによって、束の間、「非日常の突沸」を紡ぎ出すものの、時代のリアリズムを限りなく喰い潰すパワーを持つ、基本・緩々系のもう一つの世界を仮構しよう。

それは、虚構でしかない「古い良き時代のコミュニティ」の鮮度を落とすことなく、些かカビの生えた、観念系のノスタルジーへの戦略的シフトを、淡々と、しかし、そこだけは崩されない気概を持つ者のように凛として立ち上げていく。

これが、本作に対する、私の映像イメージの本質的な把握である。

不思議なことに、玉屋庄兵衛のようなからくり人形師の如き、カウリスマキ監督の巧みなマジックにかかってしまえば、いとも簡単に、登場人物たちが活き活きと身体疾駆していくのである。

なぜだろう。

ここに、当人による、その答えと思しき言辞が提示されている。
 
自分がシニカルで懐疑的になればなるほど、作る映画はソフトになっていく。かつてのよき時代に対するノスタルジーを感じるし、自分の映画のキャラクターを愛さずにはいられない。だから彼らに不幸な思いをさせることは忍びないんだ」(eiga.com ル・アーヴルの靴みがきのインタビューより)

自分の映画のキャラクターを愛さずにはいられない」という強い思いの結晶が、普段と変わらぬカウリスマキ・ワールドを、その特徴的な色彩設計と、情感的なBGMの強力なサポートのうちに再現されたということが判然とする。

大体、「自分の映画のキャラクターを愛さずにはいられない」という言辞を、非武装にも表現してしまうナルシズムこそ、自らをペシミストと括る作り手の内部世界で、矛盾なく溶融する心象風景の誠実な結晶点だろう。

ナルシズムとペシミズムは、表裏一体なのである。

今や、「この監督なら仕方がない」と思わせるに足るだけの、「巨匠」の域にまで昇り詰めてしまったが故にか、ご都合主義満載で、「展開と描写のリアリズム」を確信的に蹴飛ばしてしまう、信じ難き映像構成力の致命的破綻ですらも、取り立てて問題なく掬い取ってくれる寛容な空気が、独立蜂の輝きを放つ、ユニークなジャンダルムを構築し得たと思わせる作り手の周囲に蔓延しているようである。

だから、映像構成力についての合理的な突っ込みなど、一切不要となる。

それを無化させるほどの独立蜂のパワーの凄みが、そこに垣間見えるからだろう。

以上が、この作品と、作品を提示した作家性の濃度の高い一人の映画監督に対する、私の客観的視座である。
 
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(人生論的映画評論・続/ル・アーヴルの靴みがき(‘11) アキ・カウリスマキ  <構成力についての合理的な突っ込みを無化させるほどの独立蜂のパワーの凄み>)より抜粋http://zilgz.blogspot.jp/2013/05/11.html