グッドフェローズ(‘90)  マーティン・スコセッシ  <組織暴力の爛れた生態を描き切った究極の一篇>

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大統領より憧れだったギャング生活に身を染めた愚か者の物語



この映画で最も興味深いのは、モデルとなっ実在の犯罪者・主人公ヘンリー・ヒル(以降、ヘンリーと呼称。因みに、2012年6月に69歳で病死)の人物造形である。

大抵、ギャング生活に吸収され、侵入していく経緯には、そのダークサイドな闇の世界に拾われる以外にない、極端に劣化した家庭環境との由々しき因果関係が、人格形成過程において看過し難い背景として横臥(おうが)しているものだが、ヘンリーの場合は些か様子が違っていた。

以下、ヘンリーのモノローグ。

「昔からギャングになりたかった。俺にとってギャングは、大統領より憧れだった。バイトを始める前から決めていた。暗黒街こそ俺の世界だ。カスどもばかりの街でデカイ顔ができる。何だってやりたい放題だ。消火栓の前に駐車しても、サツは知らん顔だ。夜通しカードをしても、誰もタレ込まない

1955年、ブルックリンから開かれたヘンリーの回想である。

狭い家に7人も暮し、11歳の頃から奉公したアイルランド系の父親が作った家庭環境は、決して機能不全家族の崩壊の風景を印象づけるものではなかった。

アメリカのガキは怠け者だ」

これが、ヘンリーの父親の口癖だった。

そんな父親から見れば、当然ながら、学校をサボる息子の怠惰は赦し難いもの。

然るに、多忙な父親の眼を盗んで、ブルックリンの街を牛耳るポールという名の、ギャング組織のボス使い走りを繋ぐヘンリーの非行行為は、彼の軽佻浮薄で、能天気な性癖が自己統制が効かないほどに暴れ捲ってしまった結果が招来したものだった。

「13歳で、俺は近所の大人より稼いでいた」(モノローグ)

悪事の連続で、「成功報酬」を手に入れたヘンリーの非行行為は、今や、ポイント・オブ・ノー・リターンの非日常の危うさを常態化することで、それが彼の日常性のうちに溶融してしまったという訳だ。

実話に基づいた以上の物語の展開を見て判然とするように、彼の家庭環境は、ギャングのチンピラを簡単に生んでしまう家族の風景とは明らかに切れている。

この事実は、ヘンリーのモノローグの中で紹介された、同様にアイリッシュであるジミーの、以下の簡単な生い立ちと比較すれば、彼らの心の風景との落差感が際立つだろう。
 
「ジミーは、街で一番恐れられた男。11歳でムショに入り、16歳で殺しを請け負った。でも、彼が本当に好きなのは盗みだった。心から楽しんでいた」

これが、ヘンリーがその半生を通して、「グッドフェローズ」(いい奴=ワイズガイ)という特別な関係を形成していく男の人となりである。

この僅かな情報のみで、ジミーの生い立ち(注)は充分に予測可能なのである。

それは同様に、ジミーと特別な関係を結ぶ、イタリア系のトミーの極端に短気な性格にも類推できるもの。

あろうことか、このトミーは、イタリア系の内ゲバ的な様相を見せた、組織幹部バッツを、母親から借用した包丁で刺し殺すという、人格形成の偏頗(へんぱ)さを強烈に印象づける「狂気」を剥き出しにしていた。
 
衝動的に殺人行為に走るトミーは、後にイタリア系の出自を持つが故に、幹部にまで「栄達」できるが、バッツ殺しの理由であっさりとリベンジされ、凄惨な死体と化すに至る。

ここで、ジミーやトミーと比較するとき、明らかに、ヘンリーの人格造型には極端な屈折や歪みがなく、その眼差しの柔和な相貌も、典型的な「ワル」の範疇に当て嵌まらない事実を認知せざるを得ないのである。

そんな折、発生した600 万ドル強奪事件(「ルフトハンザ強奪事件」)。

無論、強奪専門の本物のマフィアのジミーが首謀者で、ここでもヘンリーは、単なる「共犯者」。

一貫して、ヘンリーは「共犯者」であって、まして、殺人事件の当事者にまで堕ちることがないのだ。

殺人事件に関わるジミーやトミーの具体的話題に対して、常に緊張した面持ちで表情を曇らせていた彼の描写が印象的だった。

要するに、ヘンリーは、「大統領より憧れだったギャング生活に身を染めることによって、存分に快楽主義全開で、暗黒街の気分を享受したかったというモチーフが延長され、その底なしの泥濘から抜け出すには、まさに、自らの命の危険性をリアルに体感するに足る、由々しき契機を必要とするレベルの愚か者に過ぎなかったということ ―― この把握に尽きるだろう。
 
 
(人生論的映画評論・続/グッドフェローズ(‘90)  マーティン・スコセッシ  <組織暴力の爛れた生態を描き切った究極の一篇>)より抜粋http://zilgz.blogspot.jp/2013/01/90.html