グリーフワーク ―― 魂の中枢をくり抜く、その底知れない欠損感覚

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1  心の傷が出口を塞がれ、内部で裂け目を強くし、心身の総体が捩れ切って変調していく
 
 
 
絶対に喪ってはならない特定他者を喪った時の衝撃は計り知れないだろう。
 
まして、その喪失が災害・事故・自殺などに起因する「突然死」だったら、残された者の衝撃は筆舌に尽くしがたいに違いない。
 
ハーバート・ロス監督の秀作・「マグノリアの花たち」で描かれていたような、愛する者の死をしっかりと看取りをする、「予期悲嘆の実行」という心理的余裕があれば、「対象喪失」によって生じる、煩悶・孤独・自殺願望・罪悪感・無力感・虚脱感・自責の念・否認感情・睡眠障害・食欲障害・体重減少・動悸・疲弊感・筋肉痛・自律神経失調症・鬱症状などからの精神的復元が早いと言われるが、「突然死」は死別者から、心の準備なく、突として、この時間を奪ってしまうのだ。
 
例えば、「禁じられた遊び」(ルネ・クレマン監督)の幼女ポーレットは、両親を空襲で喪っても「死」の観念を理解できないまま、無意識的に十字架集めという「悲哀の仕事」=グリーフワークを、周囲の大人の眼を盗んで続けていたが、遂にそれが完結し得ないまま、更にそこに大きな「対象喪失」(ミシェル少年との別れ)の危機が加わって、最終的に施設送りにされてしまったのである。
 
もとより、グリーフワークとは、「対象喪失」から生起する前記の症状と向き合い、自分の中で折り合いをつけ、解決していく心理的プロセスである。
 
死別者は、喪われた対象との再統合の試行と、再統合の幻想による絶望が反復されるプロセスを通して、件の対象の〈非在=死〉を、自らの〈存在=生〉の人生の中枢に取り込み、いつしか、新たな対象との精神的結合を深めていくことなどで、その時間を、現存在のそれ以外にない〈私の生〉に変容させていく。
 
しばしば、この心理的プロセスは、魂の中枢をくり抜くような底知れない欠損感覚の辛さであるが、それでも尚、この欠損感覚を埋めて、甚大なる喪失体験を克服するために不可避な内的行程 ―― それがグリーフワークであると言える。
 
だからこそ、逃げられないのだ。
 
逃げてはならないのである。
 
思うに、底知れない欠損感覚を埋める内的行程であるグリーフワークは、往々にして排他的である。 
 
自分にとってかけがえのない存在の喪失は、「他人には決して理解できない」という思いを強化してしまうので、他人の安易な憐憫の押し込みに傷ついたり、感情的に反発する。 
 
ある時は、「どうせ、理解されないから」と決めつけ、共存を拒絶し、孤立の中に自らを追いやる。  
 
「しっかりしなくてはならない」
 
或いは、そう思い込むあまり、自らへの規制を強化することで、グリーフ(悲嘆)を心の奥に閉じ込めて、平静を装ったり、防衛的に無感動になったりする。
 
傷が出口を塞がれ、内部で裂け目を強くし、心身の総体が捩(ねじ)れ切って変調していく。
 
悲嘆はその思いを表出し、「悲しむ」という作業(=グリーフワーク)を通じてのみ癒されるのだ。 
 
適切なグリーフワークを行うことによって悲嘆の中にある者は回復するに至るが、グリーフワークが歪められたり、悲嘆が抑圧されたりすると、その悲嘆が一層、その人を傷つけることになるから厄介なのである。
 
悲嘆は悲嘆によってのみ癒される。  
 
グリーフワークの基本命題である。
 
グリーフワークは誰も身代わりができないのだ。
 
喪われた対象の悲しみと向き合い、存分に嘆き悲しみ、時の流れの助けを得て、その悲しみを自分で乗り越えるしか手立てがないのである。
 
ただ、グリーフには、「複雑性悲嘆」という深甚(しんじん)な症状がある。
 
医学的な診断体系において、強い悲嘆の状態が長期化・慢性化する「複雑性悲嘆」は、現時点で病気と看做(みな)されていないが、死別者の10~15%が「複雑性悲嘆」に捕捉されていることを思えば、グリーフワークの激甚な痛苦に打ち震えるばかりである。
 
グリーフワークの激甚な痛苦。
 
様々な見解があるが、そのグリーフワークには心理的プロセスの遷移がある。
 
―― 私自身、ブログを通して繰り返し言及しているが、通常、グリーフワークは簡単に言うと、「ショック期」→「喪失期」→「閉じこもり期」→「再生期」という心理的プロセスを遷移していくと言われている。
 
このグリーフワークの心理的プロセスを端的に描いた名画があるので、以下、それを紹介しつつ、本質的な部分のみをフォローしていきたい。


心の風景  「グリーフワーク ―― 魂の中枢をくり抜く、その底知れない欠損感覚」 よりhttp://www.freezilx2g.com/2017/08/blog-post_28.html