1 「差別戦線」に呑み込まれ、翻弄されたヒロインが苦悩する基本・メロドラマ
アメリカ東海岸、ニューイングランド北東部の6州の1つ・コネチカット州の中央部に位置するハートフォードは、「トムソーヤーの冒険」、「ハックルベリーフィンの冒険」を執筆したマーク・トウェインが暮らしていた街として有名で、今でも、マーク・トウェインの家は観光名所になっている。
フィフティーズ(50年代)の時代のクラシカルな風景を完璧に再現した1957年の晩秋、紅黄葉の目映(まばゆ)い色彩が際立つ、そのハートフォードで暮らするアッパーミドル(中流上位)の主婦・キャシー・ウィテカー(以下、キャシー)は、一流企業の重役である夫・フランクと、二人の子供と暮らす、何不自由ない生活を送っていた。
ボランティア活動にも活発なキャシーは、このような雑誌記者のインタビューを受けるほど、地域では「理想夫婦」の伴侶であり、良妻賢母の鑑として喧伝されていた。
ここで言う「黒人」とは、父の死に代わり、ウィテカー家に庭師として働くことになったレイモンドのことだが、まもなく、彼の存在の重要度が増していく伏線となる。
「娘と二人で、何とかやってます」
他の町に園芸店を持ち、5歳の時に妻を亡くしたレイモンドの言葉である。
そんなレイモンドの人格に接したキャシーが、夫・フランクが同性愛者である事実を知ったのは、たまたま、残業でマグナテック社に居残る夫に夕食を届けに行ったときだった。
同性愛の現場を目撃したキャシーは衝撃を受け、居た堪れずに自宅に走り去っていく。
「僕は…実は…以前、だいぶ前に…遥か昔のことだが…僕には、ある“問題”が。でも、一時の気の迷いだと思っていた。まさか今になって…」
「問題?」
「そうだ」
「誰かに相談しなかったの?お医者様とか」
「いや」
「誰にも?理解できない」
「僕だって…」
「このままでは、私…」
「分った」
「事件」の直後の夫婦の重苦しい会話であるが、その本質はカミングアウトである。
「同性愛が治る確率は、5%~30%ほどでしかなく、完治は難しいのです。しかも時として、治療によって心理的影響も。週に2回ほどのカウンセリングが必要です。場合によって“行動療法”を施すことも。電気ショックや、または性ホルモンの投与など。初めは、とても不安に感じるでしょう。焦らず、ゆっくりと。奥様ともお話合いの上で」
「治療を受ける決心はついてます。こんなことで、人生を破滅させたくないんです。家族のためにも。病気だと分っています。自分がとても惨めで、情けないんです。立ち直って見せます。必ず、病気に勝ちます。神に誓って」
少なくとも、この時点で、フランクは本気だった。
妻・キャシーも信じた。
しかし、夫婦主催のパーティは成功し、昔のように睦み合う関係を復元しようとするフランクだが、どうしても異性愛に振れにくい男がそこにいた。
「私が愛してるのはあなた一人。私にとって、男性はあなただけなの」
こんなエピソードの度に、謝罪する夫もまた、妻以外の他人には言えない煩悶を抱えているのだ。
そんなキャシーに異変を感じ、農家へ植木を取りに行くというレイモンドの誘いに感謝し、一緒に「小さな旅」に踏み込んでいくキャシー。
レイモンドの園芸店に立ち寄った後、レイモンドお気に入りのレストランに入った二人は、好奇の視線も交じりながらも、静かな音楽を聴き、ダンスを踊るのだ。
この一件が世間の噂になり、キャシーの親友・エレノアから電話が入り、心配する思いを率直に告げられる。
夫にも知られ、帰宅早々、難詰(なんきつ)されるキャシー。
「どういう結果になるか、分ってんのか!僕にも影響するんだ!家庭や会社はどうなるんだ!」
夫の逆鱗に触れ、キャシーは、「悪意に満ちた思い込みよ」と強い口調で弁明する。
フランクのこの極端な攻撃性は、最近の仕事ぶりから、会社から休養を命じられた事実上の戦力外通告に対するフラストレーションの爆発だった。
その「最近の仕事ぶり」には、明らかに、精神科への通院の事実が絡んでいることを本人は認識しているが故に、通院を勧めた妻への当てつけでもあった。
事情を汲んで、慰める妻。
マイアミに家族旅行することで、自覚的に献身的な関係を保持し、それを継続しようと努めるキャシーだったが、泊ったホテルでハンサムな若者と出会ったフランクは、再び、同性愛の関係を結んでしまうのだ。
一方、レイモンドの一人娘・サラは、白人少年から石を投げられるといういじめを受ける。
同様に、キャシーの息子・デヴィッドから、学校で黒人の少女をいじめている由々しき事態があった事実を知らされ、いじめっ子と遊ぶことを禁止するキャシー。
それ以上に、同性愛の関係を断ち切れない現実を、嗚咽の中で告白するフランクの心情を聞かされたキャシーは、もう、限界だった。
「僕は生まれて初めて、愛がどんなものか知った。惨い言い方ですまない。でも、僕は必死で、この想いを消そうと努力したんだ。君と子供たちのために、忘れなくてはと…でも、忘れられないんだ」
ここまで吐露され、今や、一人で抱え切れない不安を、フランクの「問題」を、親友のエレノアに告白するキャシー。
告白したことで、気持ちが楽になったと考えたキャシーの方が甘かった。
「私は、とんだバカだったわ。モナの“中傷”から、あなたを救おうなんて。言うことなどないわ。他人の人生ですもの」
「モナの“中傷”」とは、レイモンドとの関係のこと。
そして、ウィテカー家のメイドのシビルから、石を投げられた少女がサラである事実を知らされ、衝撃を受けたキャシーはレイモンドの住所を聞き、有無を言わさず、レイモンドの家を訪ねた。
以下、二人の短い会話。
「これ以上、娘を苦しませたくない。毎晩、家に石を投げ込まれる。白人じゃない。黒人が投げるんです。でも、じきにここを出て行きます。もう仕事はありません。誰も雇ってくれない。ここに残る意味はない」
「もしかして、いつか近い将来、あなたが落ち着いたら、訪ねていくわ。ボルティモアへ。また、独り身になるのだし」
心理的に最近接しながらも、二人は、それ以上進めない。
レイモンドの心中には、キャシーが占有する感情の重みと比べて、明らかに埋めがたい距離感があるからだ。
「今、大事なことは、サラのためを考えてやることです。違う世界に関わった代償を払いました。辛い思いをした。もう沢山です。誇り高い人生を送ってください。さよならキャシー」
ここまではっきりと言われて、キャシーは嗚咽する以外になかった。
「違う世界」に架橋しようとした女に残された、唯一の希望すらも終焉した瞬間である。
フランクと離婚の手続きをしたキャシーは、ハートフォードを去っていくレイモンドを見送るために駅に行き、手を振り、別れを告げた。
ラストシーンである。
―― 「差別戦線」に呑み込まれ、翻弄されたヒロインが苦悩する基本・メロドラマであったが、私には、夫・フランクが嗚咽の中で、妻に告白するシーンの重みが最も印象に残った。
フィフティーズ(50年代)という時代限定の渦中にあって、「セクシュアルマイノリティ」が、その煩悶を抱え続ける孤独の辛さは、善かれ悪しかれ、LGBTという言葉が普通に使われている現代から見れば、察して余りあるからだ。
ジュリアン・ムーアの繊細な感情表現力は素晴らしかった。
人生論的映画評論・続/エデンより彼方に(’02) トッド・ヘインズ <光を失ったフィフティーズの薄暮の陰翳が、二つの「違う世界」への架橋を閉ざす> )より抜粋http://zilgz.blogspot.jp/2016/09/02.html