山椒大夫(’54) 溝口健二<映像化された「語りもの」の逸品が、奇跡的な「復讐・再会譚」として炸裂する>

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1  人買いに売られた貴族の悲哀
 
 
 
 
 
「人は慈悲の心を失っては、人ではないぞ。己を責めても、人には情けをかけ、人は均しくこの世に生まれて来たものだ。幸せに隔てがあっていいものではない」
 
父・平正氏(たいらのまさうじ)は息子の厨子王に、「父の心は、これだと思え。これが、わしの形見だ。肌身離さず持っておけ」と言って、家宝の如意輪観音像(生きとし生けるものを救済する菩薩の一つ)を手渡すのである。
 
この会話の背景にあったのは、平安朝の末期、陸奥東山道に属する。現代の青森県岩手県宮城県福島県秋田県北東部)の国の農民の窮状を救うために奔走した平正氏が、鎮守府将軍陸奥国に置かれた軍政府である鎮守府の長官)の逆鱗に触れ、免官となり、筑紫(つくし/現在の福岡県)に左遷される運命となり、家族との別離を余儀なくされる事態を招来したこと。
 
かくて、自らを「一刻者」と呼ぶほど、頑迷な性格である正氏の命令で、妻・玉木の実家がある、岩代の信夫郡(しのぶごおり/現在の福島県)で6年間を過ごした玉木と子供らは、平正氏が流された筑紫に向かう長旅に打って出た。
 
長旅に打って出たのは、妻・玉木と、幼い兄妹(厨子王と安寿)、そして、女中・姥竹(うばたけ)。(トップ画像)
 
場所は直江の浦(現在の上越市直江津浜)。
 
旅人を装う盗賊や人買いの横行で、旅人を泊めることを禁じる国守(くにのかみ/律令制における国司の長官)の掟があり、この四人のリスキーな長旅の初発から野宿を強いられるが、幸いにも、巫女の援助を受け、一夜を過ごすに至る。
 
翌朝、群盗が山にいるので、船の旅を勧める巫女の助言で船頭衆を紹介され、船着き場にやって来た。
 
しかし、玉木が丁寧に挨拶するや否や、姥竹と共に強引に船に乗せられ、玉木は子供たちと引き離されてしまう。
 
巫女は人買いの仲間だったのだ。
 
必死に船を戻すよう懇願する玉木。
 
そして、抗う姥竹は海に落とされ、絶命する。
 
泣きながら、母を追いかけていく厨子王と安寿の呼びかけも虚しく、船は遠ざかっていく。
 
人買いから、母・玉木が佐渡に売られてしまったと聞かされた厨子王と安寿は、丹後の由良(ゆら)の港の長者として名を馳せている山椒大夫に売られてしまうのだ。
 
役にも立たない厨子王と安寿は、柴刈り(雑木を刈り取る作業)、汐汲み(しおくみ/塩を作るための海水を汲む作業)という苛酷な労働を強いられるが、脱走しようとした女が、焼きごてを額に押される現場を見て、無力感と絶望感だけが兄妹の心を支配していた。
 
そんな状況下で、兄妹に同情する山椒大夫の息子・太郎は、父の所業を嘆くばかりだった。
 
厳しい年貢の取り立てによって貢物(みつぎもの)が増える「功績」を、都から来た右大臣家の使者から評価され、喜色満面の父・山椒大夫に我慢の限界を超え、人情の厚い太郎は出奔してしまうのだ。
 
 
 
 
 
2  兄と妹の受難
 
 
 
 
 
10年経った。
 
いよいよ、山椒大夫の暴虐は収まらない。
 
あろうことか、成人した厨子王に命じ、逃亡を企てた老人に焼きごてを押させるのだ。
 
それを見て、安寿は居たたまれない気持ちになるが、どうすることもできない。
 
そんなときだった。
 
小萩(こはぎ)という名の娘が佐渡から人質に売られて来たと知り、母・玉木の所在を聞くが、その名も聞いたことがないと言われ、失望する安寿。
 
しかし、傍らで、小萩が唄う文句を聞き、安寿は驚きを隠せなかった。
 
厨子王恋しや、安寿恋しや」
 
小萩は、そう唄ったのだ。
 
「ひところ、佐渡ではやった唄です」と小萩。

そんな悲しい歌を誰が歌い出したの」と安寿。
「遊女だそうです」
「遊女?」
「中君(なかぎみ)と言う」
「それで、その人は今でも達者でいるの?」
「さあ、分りません」

安寿は小萩に、「もう一度、唄って」と頼み、繰り返し唄う小萩の一節に、嗚咽を抑えられなかった。
 
このシーンの直後、人身売買で佐渡に送られた玉木が、出発する小舟に、「連れて行って」と乗り込もうとする現場を捕えられ、足の筋を切られてしまう無残な描写が挿入される。
 
足の筋を切られながらも、佐渡の小高い丘から、厨子王と安寿を求める玉木の声が、画面いっぱいに広がっていく。
 
それは、二人の子供と引き離されてしまった母・玉木の最初の受難だった。
 
小萩から聞いた肝心要(かんじんかなめ)な情報を厨子王に知らせても、自暴自棄になり、人生を諦め切った若者には全く通じなかった。
 
「兄さんは…こんな人じゃなかったのに…」 
 
安寿は憂いを深めるばかりだった。
 
病気になったことで、もはや奴隷としての戦力とならない女を棄てることを命じられ、安寿の反対を押し切って、山に棄てに行く厨子王。
 
兄に随行していった安寿は、「厨子王、安寿」と呼ぶ母の声を聞くが、この声を同時に聞いた厨子王の心に決定的な変化が生まれるに至る。
 
「逃げよう」
 
思いがけない兄の言葉に、強い意志を確認した安寿は、「兄さんだけ逃げて。二人で逃げたのでは、すぐに捕まります」と言い放ち、追手を食い止めるための犠牲になるというのだ。
 
安寿は一人で動いていく。
 
番人を騙し、戻っていく時間を稼いで、兄を逃がすのだ。
 
自分で遺棄した女を背負って、逃走する厨子王。
 
兄を逃がした安寿が、池に入水したのは、その直後だった。
 
山椒大夫の魔の手から逃れ切れない、自分の運命を受け入れたのである。
 
一方、中山の国分寺に逃げ込んだ厨子王は、寺の僧侶に匿われていた。
 
この僧侶こそ、10年前に出奔した太郎だった。
 
「都に出るつもりです。都で一番偉い方はどなたですか?」
 
国分寺の僧侶となった太郎から、身の振り方を聞かれた際の厨子王の言葉である。
 
以下、二人の会話。
 
「まず、関白様だろうが、それを聞いてどうするのだ?関白様に訴え出ようと言うのか」

「はい」
「昔、わしもそなたと同じことを考えて、都に出た。しかし、世の中というものは、そのようにたやすくなかった。わし一人の力ではどうにもならなかったのだ。人間はな、我が身の世過(よす)ぎに関わりがなければ、人の幸せ、不幸せには、ひとかけらの同情心なんて持たぬ。残酷なものだ。この濁った世の中で、自分の心を曲げずに生きていこうと思えば、御仏の救いに縋るしかないのだ」
「お言葉でございますが、今の私は、どのようにしても、この望みを叶えないではおかぬ覚悟でございます」
「そうか。それならば、思うままにやってみるがよい。しかし、難儀がかかるかも知れんぞ。よし。それでは律師様にお願いして、関白様へのお添え書きをいただいてやろう」

厨子王の覚悟を読み取った僧侶は、本来の義侠心を、きっぱりした言語に結んだのである。
 
  

人生論的映画評論・続/山椒大夫(’54) 溝口健二<映像化された「語りもの」の逸品が、奇跡的な「復讐・再会譚」として炸裂する>   )より抜粋http://zilgz.blogspot.jp/2016/09/54.html