同性愛者を許さない ―― 究極の残酷刑・石打ち刑で罰する

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1  感情が憎悪に変換され、集合化した人々の憎悪が、石を手にする者の「正義」に収斂されていく


予(あらかじ)め、身動き取れないようにされる。
体中を縛られるのだ。
声を出せないように、布などを口に押し込められる。
猿轡(さるぐつわ)である。
白い布で全身を包まれる。
破壊された身体の一部が飛散しないためだ。
刑場となる広場に運び込まれ、下半身を土に埋められる。
全く動きが取れなくなる。
ここから石打ち刑が爆裂する。
激しい痛みが音声になっても、四方八方から握り拳程度の大きさの石が飛んでくるから、音声を掻(か)き消してしまうのだ。
まもなく、その音声が消えていく。
膝下(ひざもと)が骨折する。
それでも、即死させない。
簡単に即死させるわけにはいかないのだ。
罪人の苦痛を最大限にするためである。
だから、石打ち刑の執行を停止させる。
翌日、刑の執行を再び開くためだ。
昼食時に休みを入れ、午後から再開し、夕方まで続けられる。
顔が血だらけになった罪人が、ここで絶命しなかったら、その翌日も続くのだ。
この「悪魔の連鎖」を、人は「究極の残酷刑」として受け止める。
―― さすがに、現在は、何日もかけて処刑するような石打ち刑は行われていない。
それでも、一部のイスラム教国では、未だに、この「究極の残酷刑」を採用している地域も存在している。
それをネット画像でも見られるという現実自体、異常極まりないと言える。
究極の残酷刑・石打ち刑が、人権擁護団体の槍玉に挙げられているのは言うまでもない。
同性愛者を許さない。
この感情が憎悪に変換され、集合化した人々の憎悪が、石を手にする者の「正義」に収斂されていく。
「正義」に収斂された感情が、無敵の稜線を駆け登っていく。
無敵の稜線を駆け登っていく歩程(ほてい)が積み上げられるほど、感情が昂(たか)ぶり、その昂揚(こうよう)が「正義」を捨てていく。
捨てられた「正義」は土塊(つちくれ)と化し、真砂土(まさど)に風化していく。
もう、そこには、射程に捕捉される何ものもない。
憎悪が継続力を持ち、同性愛者を許さないという、集合化した人々のラインだけが崩れずに、どこまでも連なっていくのだ。

 

以下、時代の風景: 同性愛者を許さない ―― 究極の残酷刑・石打ち刑で罰する