不浄なる者 ―― 汝の名は「癩者」なり

f:id:zilx2g:20191217134429j:plain

1  私たちの「無意識の偏見」が問われている


ハンセン病家族補償法」と「改正ハンセン病問題基本法」(「改正基本法」)。

元患者への謝罪と補償から、18年も要して、2019年11月15日、参院本会議で全会一致により可決され、患者家族の被害回復が実現した。

当然ながら、官僚依存の通常通りの内閣立法(「霞が関文学」)ではなく、議院内閣制において、「議員の政策立案能力の壁」をクリアした議員立法である。

そうでなければ、政策的な立ち位置を超えた、優先的に解決すべき「全社会的問題」に対する国会議員の資質が問われるだろう。

このハンセン病二法のこと。

前者は、早ければ、2020年1月末から、最大180万円を支給すると言う。

補償対象者は2万4千人。

但し、差別被害を恐れ、名乗り出ない人がいることが予想されるから、どこまでも、数字は推計でしかない。

後者は、差別禁止や名誉回復を謳ったもの。

この「改正基本法」で重要なのは、今なお根強い「差別禁止」という条項。

癩菌(らいきん)によって、「末梢神経障害」(筋萎縮=手指変形の原因、感覚障害=火傷の原因、運動麻痺、自律神経の所見)や、「皮膚疾患」(痒み・節ができる「結節」、皮膚を変色させる「斑状」、皮膚が隆起する「丘疹」=きゅうしん)、脱毛や、他の部位に比べて多くの神経があるために、「顔面変形」などの症状を発現させる慢性の感染症であるが故に、人類の禍患(かかん)史上、最も怖れられ、深刻な差別を被弾してきたという由々しき歴史的現実がある。

ハンセン病によって、歪(いびつ)になり、少なからぬ人々が、崩壊の憂き目に遭った家族関係の修復、その根柢に漂動する、言語に絶する差別の解消に努めるという「改正基本法」の主旨に文句のつけようがないが、全国で13カ所の、「国立ハンセン病療養所」の医療・介護体制の充実を「努力義務」としているように、当該法を「政治言語」の範疇に押し込めてはならない。

訴訟(法廷闘争)の結果を待つことなく、なぜもっと早く、患者家族の苦衷(くちゅう)に寄り添い、排斥(はいせき)する努力をしてこなかったのか。

そこが気になるのだ。

「長い迫害の歴史があり、今も家族が元患者だと打ち明けられる環境ではない。社会の在り方が変わらなければ意味がない」(東京新聞 2019年11月16日)

原告に加わらなかった宮崎県の某男性(70)の、切実な訴えである。

東京新聞によると、この男性は、5年以内の申請期限内に、補償を申請するかどうか決めていないと言う。

父と姉が元患者だった。

そのため、子供の頃、家の前を通る近所の住民は鼻をつまみ、自身の就職でも露骨な差別を被弾し、足蹴(あしげ)にされた。

時代が遷移し、社会潮流に変化が見え隠れしても、今尚、払拭し切れないトラウマを抱えている。

未だに、息子たちには家に来ないよう伝えてあり、周囲の目を気にして生きているという、この現実を昇華させるどのような手立てがあると言うのか。

ハンセン病患者の家族がいたことを、気楽に話せる社会がくることを希望する」

これは、「藤本事件」(注)で有名な、国立ハンセン病療養所「菊池恵楓園」(きくちけいふうえん・熊本県合志市)の創立110周年式典において、入所者が口々に訴えた言葉。

この訴えのリアリティに、私たちはどこまで架橋し、共有できるのか。

ハンセン病患者の家族」の存在そのものを知らず、ましてや、家族が嘗(な)めた辛酸の中枢に届きもしない一般国民が、自ら内省し、努めていかねばならない行為の表現総体が試されているのだ。

私たちの教養のレベルや、アンコンシャス・バイアス(「無意識の偏見」)の内実が問われているのである。

ハンセン病問題の解決はいまだ道半ば。引き続き全力を挙げて取り組む」

加藤勝信厚労相の告辞を代読した言葉だが、その本気度もまた問われているのだ。
 
―― 以下、参考までに「改正基本法」の一部を抜粋する。

ハンセン病問題に関する施策を講ずるに当たっては、入所者が、現に居住する国立ハンセン病療養所等において、その生活環境が地域社会から孤立することなく、安心して豊かな生活を営むことができるように配慮されなければならない。(略)何人も、ハンセン病の患者であった者等に対して、ハンセン病の患者であったこと又はハンセン病に罹患していることを理由として、差別することその他の権利利益を侵害する行為をしてはならない」(第一章・第三条)

「国は、ハンセン病の患者であった者等の名誉の回復を図るため、国立のハンセン病資料館の設置、歴史的建造物の保存等ハンセン病及びハンセン病対策の歴史に関する正しい知識の普及啓発その他必要な措置を講ずるとともに、死没者に対する追悼の意を表するため、国立ハンセン病療養所等において収蔵している死没者の焼骨に係る改葬費の遺族への支給その他必要な措置を講ずるものとする」(第一章・第十八条)

ここで、基本理念を謳った「改正基本法」の「前文」を転載する。

「『らい予防法』を中心とする国の隔離政策により、ハンセン病の患者であった者等が地域社会において平穏に生活することを妨げられ、身体及び財産に係る被害その他社会生活全般にわたる人権上の制限、差別等を受けたことについて、平成十三年六月、我々は悔悟と反省の念を込めて深刻に受け止め、深くお詫びするとともに、『ハンセン病療養所入所者等に対する補償金の支給等に関する法律』を制定し、その精神的苦痛の慰謝並びに名誉の回復及び福祉の増進を図り、あわせて、死没者に対する追悼の意を表することとした。この法律に基づき、ハンセン病の患者であった者等の精神的苦痛に対する慰謝と補償の問題は解決しつつあり、名誉の回復及び福祉の増進等に関しても一定の施策が講ぜられているところである。

しかしながら、国の隔離政策に起因してハンセン病の患者であった者等が受けた身体及び財産に係る被害その他社会生活全般にわたる被害の回復には、未解決の問題が多く残されている。とりわけ、ハンセン病の患者であった者等が、地域社会から孤立することなく、良好かつ平穏な生活を営むことができるようにするための基盤整備は喫緊の課題であり、適切な対策を講ずることが急がれており、また、ハンセン病の患者であった者等に対する偏見と差別のない社会の実現に向けて、真摯に取り組んでいかなければならない。ここに、ハンセン病の患者であった者等の福祉の増進、名誉の回復等のための措置を講ずることにより、ハンセン病問題の解決の促進を図るため、この法律を制定する」

(注)「1952年7月6日夜、村役場の職員だった男性が、熊本県菊池市の山道で首や胸などを刺され殺害される事件が発生。同月12日、故藤本松夫死刑囚=事件当時(29)=が逮捕された。一審・熊本地裁判決(53年8月)は、藤本死刑囚はハンセン病患者として国立療養所・菊池恵楓園への入所を求められ『悲観に暮れていた』が、患者であることを当局に通報したのが被害男性だったと知り『深く同人を恨み、復讐を堅く心に誓い』犯行に及んだとした。藤本死刑囚はアリバイを示し無実を訴えたが、一審で死刑判決を受け、控訴、上告も棄却された。3度目の再審請求が棄却された翌日の62年9月14日、福岡拘置所で死刑を執行された」(西日本新聞

 時代の風景:「時代の風景: 不浄なる者 ―― 汝の名は「癩者」なり」より