性犯罪は「魂の殺人」である

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1  「人間の尊厳」の被弾の問題こそ、性犯罪被害者が負う終わりの見えにくい精神的外傷である
 
 
 
 
 
性犯罪は「魂の殺人」である。
 
私は、この言葉を何度でも断言する。
 
「レイプ」を許しがたい「犯罪」として認知し、それを我が国の国民の共通言語にしない限り、この国もまた、「コレコレア」(韓国人たちによる幼い少女の買春行為)に被弾するキリバスの少女の、その尊厳を復元できない煩悶の心の風景に架橋できないだろう。
 
「韓国人たちは、現地の女性を自分たちの船の甲板や、薄暗い防波堤の後ろに連れて行き、関係を持ちます。このため、防波堤の物陰のことを『コレコレア』と呼んだりします(略)韓国人男性の子どもを妊娠した幼い少女もまた、キリバスの社会問題となっている」
 
以上、朝鮮日報「南太平洋の島『キリバス』の女性運動家が見た韓国人男性」(20057月5日)からの記事の一文だが、無論、反韓感情とは無縁である。
 
因みに、2004年5月、盧武鉉ノ・ムヒョン)政権は「性産業大国」の汚名を返上し、大韓民国の性売買を根絶するために「性売買特別法」を制定し、「性売買をした者は1年以下の懲役、または、300万ウォン(約33万円)以下の罰金、拘留、科料に処する」という厳格な法を制度化するが、同法の廃止を要求するデモが、1000人余りの売春婦によって行われるに至り、我が国でも大いに喧伝された。
 
ところが、2015年に姦通罪を廃止したばかりの韓国の「性売買特別法」は、売春合法化が進む世界的な流れと矛盾する事態になっているのだ。
 
2015年、国際人権団体・アムネスティ・インターナショナルが性売買を合法化すべきだとする決議を発表し、物議を醸したが、その背景には、世界各国で売春が合法化されている現実とリンクしているだろう。
 
欧州各国(ベルギー・オランダ・フランス・ノルウェーデンマークなど)・タイ・台湾・シンガポールインドネシア等々、今や、売春合法化が世界的な流れと化しているのである。
 
驚かされたのは、スイスのチューリヒ市で、売春ドライブイン・「セックスボックス」が正式にオープンしたというニュース。
 
路上売春の追放と、売春婦たちの身の安全を保障するためというのが理由らしい。
 
よくよく考えれば、人類が「売春禁止法」を作り、それを人為的に継続させるのは、殆ど不可能であると言っていい。
 
終戦の混乱」を収拾するために制度化された、我が国の「売春防止法」(1956年)でも、「赤線」が廃止され(形を変えて存続している事実は誰でも知ってる)、「管理売春」が処罰の対象になっているだけで、成人の単純な売春行為は処罰されることがない。
 
だから、「売春」の「禁止」ではなく、「防止法」なのである。
 
罰則規定がないからだ。
 
「売春を行うおそれのある女子に対する補導処分及び保護更生の措置を講ずる」(第一章総則第一条)という言葉で始まっているように、売春婦は救済対象であると考え、「保護の対象」を超えないという前提になっている。
 
どこまでも、罰則を伴わない「訓示規定」の範疇の枠内に収斂されるのである。
 
但し、買春の相手が満13歳に満たない女子だった場合、たとえ同意があり、暴行や脅迫がなくても、強姦罪=性犯罪となる事実を知らねばならない。(刑法177条、3年以上の有期懲役)。
 
その時、買春は、強姦罪=性犯罪となる。
 
言うまでもなく、キリバスでの「コレコレア」もまた、紛れもない性犯罪となるのだ。
 
―― ここから、我が国の強姦罪=性犯罪について言及したい。
 
日本の刑法の枠内に収めて狭義に説明すれば、刑法177条(暴行又は脅迫を用いて13歳以上の女子を姦淫した者は、強姦の罪とし、3年以上の有期懲役に処する)に相当する犯罪による性暴力被害 ―― これが「レイプ」である。
 
しかし、日本の刑法180条(告訴がなければ公訴を提起することができない)によって、「強姦罪」は被害者に不利益が生じる怖れを防ぐための「親告罪」とされ、告訴を欠く公訴は、訴訟条件を欠くものとして公訴棄却となってしまうので、多くの「暗数」(警察が認知しない犯罪行為のことだが、被害が軽微であると判断され、告訴を警察が受理しないという警察のフィルタリングもある)がありながらも、統一された公的な犯罪統計が存在せず、完全に把握することは困難であると言っていい。
 
重要な事柄から書けば、「暗数」に隠し込まれやすい性暴力被害を受け、それを引き摺って生きていく女性が負うRTS(「レイプトラウマ症候群」・注)は、「心理的に健康な人が起こす反応である」という事実である。
 
それは、この症状が精神疾病に起因していないということを意味する。
 
従って、個人の性格傾向や特性などは、この激甚な性暴力の破壊力の前では、殆ど無縁であると言える。
 
また、激甚な性暴力を被弾したことに因る心的外傷を認知し続ける精神状態は、普通の日常性を確保している者には理解し得ないが故に、より一層、孤立感を深めてしまう現象を生み出す。
 
「私も被害を言えないでしまい込んで、自分を責めたり相手を憎んだりしながら必死で生きている」(ウートピ世論調査結果)
 
性暴力を被弾した女性の精神的ダメージは、いよいよ深くなるので、このダメージを希釈化する方略として、「たいしたことではない。自分は傷ついていない」などと思い込むことで、非意識過程の中で、かえって性行為にのめり込むケースもある。
 
性暴力被害を受けた記憶を消去してしまうのである。
 
「なかったことと自己暗示をかけてる」(ウートピ世論調査結果)というアンケートの回答が、その事実を裏付けている。
 
これは、社会への不適応状態に陥った時に行われる、「自我の再適応メカニズム」としての「防衛機制」である。
 
こんな風に、心理的な安寧を保持する方略もあるのだ。
 
もとより、RTSは、根本となる一つの原因から生じる一連の身体・精神症状を指すが、その症状は多様であり、いずれの症状も、必ず出来するとは限らないのだ。
 
まさに、RTSが「症候群」(シンドローム)である所以である。
 
そして今、2015年10月より、強姦罪の法定刑を重くする「刑法」の改正案が法制審議会(法務省に設置された審議会の一つ)に諮問された。
 
現行法では、強姦罪や強制わいせつ罪は、被害者の告訴がないと加害者を処罰できない「親告罪」となっていて、強姦罪の対象となる行為は、男性器を女性器に挿入する場合に限られているが、今回の改正案は、被害者の告訴を不要にするという画期的なものである。
 
強姦罪について、肛門性交や口淫も含めた「性交等」を処罰対象とし、性別の縛りを無くしていく。
 
また、従来は暴行・脅迫が必要とされていたが、「父母などが、その影響力を利用した場合」も、強姦・強制わいせつ罪の対象とする。
 
更に、強姦罪の法定刑を「3年以上」の懲役から「5年以上」に引き上げるなど、刑罰を重くしている。
 
「個人の自由の侵害になるから犯罪とする」
 
これが、従来の性犯罪の根柢にある見解である。
 
しかし、この見解では掬(すく)い取れない重大な問題がある。
 
性犯罪被害者の「尊厳」の問題である。
 
この視座なしに、性犯罪の本質を見極めるのは、あまりにも不公平、且つ、不正義すぎるのだ。
 
安定的自我によって、「反復」→「継続」→「馴致」→「安定」という循環を持つ、ごく普通の日常を繋ぎ、人間が人間らしく生きていくという、「人間の尊厳」の被弾の問題こそ、性犯罪被害者が負う終わりの見えにくい精神的外傷なのである。
 
「人間の尊厳」は、私たちにとって絶対的な価値である。
 
性犯罪被害者は、この絶対的な価値が侵蝕されるのだ。
 
フェミニストが好んで使用する概念だが、まさに字義通りの、RTS(「レイプトラウマ症候群」)を負う性犯罪が、「魂の殺人」であるという外にないのである。
 
この精神的外傷を、生涯を通して引き摺って生きていく女性の自我は、前述したように、「なかったことと自己暗示をかけてる」・「たいしたことではない。自分は傷ついていない」など、様々な「防衛機制」によって記憶を再構成することで、必死に自己防衛していく。
 
もう、それ以外に、何の手立てもないのだ。
 
周囲の差別前線から自己を守るために、どれほど辛くとも口外せず、一切を一身に負って、普通の日常を繋ぐ人生を無理に仮構していく風景の凄惨さ。
 
甚大な暴力によって侵蝕された〈私の身体〉と〈私の心〉。
 
RTSの破壊力の前で、怯(おび)え、震えているばかりの〈私の総体〉。
 
癒しの局面である〈統合〉に昇華し得ず、情動反応を誘発する重要な脳の部位である扁桃体(アーモンドの形をした大脳辺縁系の一部)の記憶に制御される行動と、心の働きとしての意識が乖離し、自己肯定感の喪失によるアイデンティティ・クライシスの心的状況を常態化している〈私の現在性〉が、ここにある。
 
私は、このトラウマと向き合えるか。
 
果たして、このトラウマから解放される日がやってくるのか。
 
 
 

心の風景 性犯罪は「魂の殺人」である より抜粋http://www.freezilx2g.com/2017/04/blog-post_10.html