愛する人('09)     ロドリゴ・ガルシア

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<「未知なる娘」と「未知なる母」の、重くて長い時間が繋がっていく>

 

 

 

「産む」という、人間の根源的営為の問題をコアにして、「母と子」という、身近であるからこそ、様々に厄介なマターを抱え、それがディープで、重厚なテ-マのうちに凝縮される物語の主線には、希望と煩悶を抱える3人の女性がいる。

 

エリザベス。

 

37歳の有能な弁護士である。

 

「ここロサンゼルスに生まれ、その日に養子に出されました。実母のことは何も…」

 

これは、エリザベスが勤務する法律事務所の上司・ポールへの吐露である。

 

「私にとって、母は、いつも14歳の少女」

 

盲目の少女に語った言葉である。

 

養子に出された体験によって、愛情に関する不信感が膨張し、誰とでも男女関係を持っても、「見捨てられ不安」に起因するエリザベスの孤独は深まっていくばかりだった。

 

エリザベスのトラウマの根の深さは、17歳の時に、後遺症があると言われる「卵管結紮」(らんかんけっさく)という、不妊手術の永久的な処置を受けていた事実(未成年は違法)によって判然とするだろう。

 

ところが、「卵管結紮」でも稀に妊娠する事例を、法律事務所の嘱託医・ストーン医師に指摘され、検査でエリザベスの妊娠が明らかになった。

 

件(くだん)の上司・ポールとの子供を妊娠したのである。

 

にも拘らず、心優しく、エリザベスを愛するポールと、エリザベスは別れてしまう。

 

シングルマザーとして子供を産む決意をするのだ。

 

どこまでも、他者に依存し、他者とのインティマシー(親密な関係)を構築することを拒む彼女の鋭角的な性向が、こういう行為に振れるのである。

 

しかし、この思いも寄らない行程の中で、彼女の心は大きく変容する。

 

「母に会いたい」

 

この思いが募ってきたのである。

 

僅か14歳で、自分を養子に出した母の置かれた立場の厳しさ ――  この心情が理解を得るに至ったのである。

 

だから、手紙を認(したた)める。

 

「どうか不快に思わずに、迷惑はかけません。お腹の子に、生まれついて教えたいのです。私はLAに住み、仕事に成功。経済的に自立しています。何でもお話します。もし同じ気持ちなら、とても、うれしいです。連絡を取りたくなければ、その思いを尊重します。もし会えるなら、過去ではなく、未来に向けて歩みましょう。私は1973年11月7日生まれ。名前はエリザベス。あなたを想っています」

 

「未知なる母」に向けた、エリザベスの想いを込めたメッセージである。

 

そして、「未知なる母」もまた、独りで煩悶する日々を常態化していた。

 

診療所に勤務する作業療法士(OT)・カレン。

 

51歳である。

 

「何をしていても…何を考えていても、あの子のことが気になる」

 

だから、「未知なる娘」への手紙(日記)を書き綴ることがルーチンになる。

 

「母が、あなたを知ることも、あなたが母を知ることもない。母とあなたとの間には永遠の沈黙が。私たちは、そうなりたくない。あなたと私は…いつか、私たちは出会い、あなたは私を赦(ゆる)してくれる」

 

カレンの母が逝去した時の日記である。

 

その母が、娘(カレン)の人生を台無しにし、心から後悔している思いを、家政婦のソフィアに打ち明けていた事実を知らされ、衝撃を受けるカレン。

 

「あなたを恐れていたのよ」

 

酷薄とも思える、ソフィアの反応である。

 

カレンの思いは空転するばかりだった。

 

益々気難しくなり、自分の殻に閉じこもり、老母を看取って、彼女の精神的な孤独も深まっていく。

 

そんなカレンを慰撫(いぶ)する男が現出する。

 

ヒスパニックのパコである。

 

カレンを全人格的に受容したことで、取り返しがつかない自分の過去を正直に告白する。

 

パコの強い後押しが推進力になって、「未知なる娘」を捜す決意を固め、動いていくのだ。

 

一方、エリザベスは、胎盤が正常よりも低い位置にあるために、子宮の出口を覆ってしまう「前置胎盤」の状態であり、帝王切開術が不可避であるを事実を担当医から知らされる。

 

そして、無理が祟(たた)って、救急搬送されたエリザベスの手術の日。

 

出血して状態を悪化させたため、自身の命の危険性が増大していた。

 

「生まれる瞬間を見たいの」

 

そう言って、赤子を産むエリザベスの意識が遠ざかっていく。

 

出血が止まらず、酸素吸入するが、あえなく昇天してしまうのだ。

 

1年後。

 

「未知なる娘」との出会いは、あまりに悲痛だった。

 

養子縁組を仲介する若いシスターの保管ミスによって、エリザベスの手紙を受け取れなかったカレンは今、謝罪するシスターから、「未知なる娘」からの手紙を受け取ることに至ったのである。

 

「1年以上前に死んでいたの。娘がいるって。まだ幼い子よ。その子は…養子に出されたとか。これが結末」

 

悲哀を極めるカレンを、ここでも宥(なだ)めるだけのパコ。

 

そんな折、中年夫婦に朗報がもたらされた。

 

養母が会ってもいい、というシスターからの吉報だった。

 

「我が娘・エリザベスが産んだ子と会える」

 

それは、14年間、「未知なる娘」であったエリザベスとの血縁が、心理的・物理的に誕生・復元することを意味するのだ。

 

希望の光が見えたのである。

 

喜びを隠し切れないカレン。

 

そして、エリザベスの娘エラを養子にして、幸せな日々を送るのは、養母となったルーシー。

 

子供を産めない身体のため、養子を希求する行為を繋ぐルーシーの日常は、決して順風満帆ではなかった。

 

産まれた子を養子に出す約束をした妊娠中のレイが、母親の反対もあって、養子縁組を解消したのである。

 

へその緒を自ら切ったにも拘らず、無慈悲にも解消されて、荒れ狂い、暴れまくるルーシー。

 

そればかりではない。

 

養子を希求する思いが脆弱な夫・ジョゼフとの別離である。

 

養子縁組の交渉から度外視するルーシーが、実子を望む言辞を浴びせた夫と離婚するのは必至だったのだ。

 

そんな中で、舞い降りた幸運の女神。

 

それが、逝去したエリザベスが産んだ赤子だった。

 

既に逝去して、ルーシーは身寄りのない子を養子にするが、赤ちゃんの泣き声や頻回授乳に苛立ち、「あの子を愛してない」とまで言う始末。

 

「赤ん坊を育てるのは、あなたが世界初?子育てを何だと思ってた?泣きごとを言うんじゃない。大人になって、しっかりしなさい。母親になるのよ」

 

赤ん坊の泣き言に立腹したルーシーの母から厳しく説諭され、少しずつ意識が変わってゆくルーシー。

 

エラと名付けられたエリザベスの娘は、1年後には可憐な幼児に成長し、ルーシーのかけがえのない存在として養育されていた。

 

そのエラの愛くるしい笑顔に出会って、カレンもまた、至福のひとときを愉悦する。

 

それでもう、充分だった。

 

「見てみたかった。違う髪形をしたり、新しい靴をはく。あなた…初めての生理はいつ?助けてくれる人はいた?誰か説明してくれた?私が聞いた夜の雨音を、あなたも聞いた?あなたの心の安らぎは?あなたを何も知らない。仕方のないことね。でも今日、エラに会えたわ。あの子は、まるで、空白の38年間を一瞬にして飛ぶ鳥。過ぎ去った戻らない年月を突きつけられるよう…でも、すべては、もう過去のこと。今はエラがいる。神の祝福を。エラこそ心の安らぎよ」

 

そこまで書いて、ペンを置き、ベッドに横たわるカレン。

 

カレンは今、エリザベスの過去と現在の、二枚の写真を丁寧に並べ、それに見入っている。

 

いつまでも見入っている。

 

ルーシーを介して、「未知なる娘」が産んだエラと繋がることで、「未知なる娘」と「未知なる母」の、戻ろうとしても戻れない、重くて長い時間が繋がったのである。

 

二人の時間が繋がったのだ。

 

「もし会えるなら、過去ではなく、未来に向けて歩みましょう」

 

エリザベスの手紙の言葉が、ここに今、復元し、共有されたのである。

 

 

人生論的映画評論・続: 愛する人('09)     ロドリゴ・ガルシア

 より