<「約束された喪失感」を突き抜く、メリーゴーランドと三角帽子>
1 「この頃ね、色んなことが、遠いんだよ」
2007年 秋
東(ひがし)家の4人家族。
中学校の国語教師から、後に校長を勤めた経歴を持つ父・昇平と、夫を献身的に支える母・曜子。
海洋学者の夫・新(しん)と、息子・崇(たかし)の3人でカリフォルニアへ移住している長女・麻里(まり)。
そして、総菜屋に勤めながら、食堂の経営を目指している次女・芙美(ふみ)。
昇平の70歳の誕生日に母から呼ばれ、麻里と芙美は実家を訪れた。
そこで二人は、昇平が認知症を発症していることに気づく。
半年前から発症していたと言う母・曜子は、それを知らせるために二人を呼んだのである。
2年後 2009年 夏
芙美は「青空食堂」という移動食堂で、ヘルシーカレーをビジネス街で販売していたが、売れ行きは芳(かんば)しくなかった。
曜子から電話が入り、昇平の大学時代の旧友・中村の通夜に参列することを頼まれ、引き受けざるを得ない芙美。
カリフォルニアでは、ガールフレンドとデートの約束をした日に、実家に帰る母・麻里に付いていくようにと、父に言われる崇。
芙美は昇平を連れ、葬儀に参列して焼香をし、通夜振る舞いを済ませて帰ろうとしたところ、大学時代の柔道部の萩原に呼び止められた。
そこで、翌日の葬式の弔辞を頼まれた昇平だったが、芙美はそれを断る。
理由を言えるわけがなかった。
「あの、明日の弔辞は、やっぱり萩原さんで」と芙美。
「中村が死んだのに、東が弔辞を読まないなんて…」と萩原。
「何?中村、死んじゃったのか!」と昇平。
大声を出した昇平の顔を驚いて見つめる萩原は、全てを察した。
昇平の手を引いて、葬儀場から連れ出す芙美。
いつものように昇平は、デイサービス(通所介護)に通っている。
車で送られて来た祖父を、カリフォルニアから帰って来たばかりの孫の崇が迎えたが、昇平は認知できない。
介護施設の職員に説明され、何とか孫だと分かり、崇を抱き締める昇平。
漢字を教えてもらって喜ぶ崇は、昇平のことを「漢字マスター」と呼ぶことにした。
崇がソファで眠っている間に、昇平の姿が見えなくなった。
帰って来た麻里と祖母に指示され、崇は川の方に自転車で探しに行く。
移動食堂が軌道に乗らない芙美は、アルバイトの女の子に辞めてもらって意気消沈しているところに、曜子から連絡が入り、芙美も車で川の方へ向かった。
そこで、昇平を保護してくれた芙美の中学時代の同級生・道彦と崇と3人が、川淵に腰を下ろしているのを見つけた。
道彦は、中学生の頃、クラリネットの練習で、芙美の家を度々訪れていたので、昇平の顔を覚えていたのである。
二人が話し込んでいると、昇平は芙美の車の「青空食堂」の文字に見入っていた。
「これ、私の仕事」
本当は教師になって欲しかったという父に、吐露する芙美。
「この中で、ご飯を作って、売ってるの」
「立派だ!」
そう言われた芙美は、喜びを隠せず、ヘルシーカレーを父に振舞うことにした。
道彦に言われて外を見ると、父は地元の人たちを整列させ、カレーの順番待ちを仕切っていた。
道彦は芙美を手伝うことになる。
その後、昇平の生まれ育った家へ、曜子と麻里と崇と4人でやって来た。
「嬉しくないの?この家に帰って来たかったんでしょ?」と崇。
「この頃ね、色んなことが、遠いんだよ」と昇平。
「遠いって?」
「色んなことがね。あんたたちや何かもさ」
「遠いのは、やっぱ、寂しいよね」
崇は、縁側に座っている祖父の膝に、そっと手を添えた。
「もう、帰らないと」と昇平。
「ねえ、お父さん、ゆっくりしましょ」と曜子。
「お父さんって、誰だ?私は独身だ」
「おじさん、落ち着いて」と昇平の甥。
結局、自宅に帰る4人。
「そろそろ…僕の両親に、曜子さんを正式に紹介したい…一緒に来てくれますね」
列車の中で、突然、プロポーズする昇平に、涙ぐみながら、曜子は「はい」と答え、昇平の手を握り締めた。
2年後 2011年 春
芙美は、道彦の母が経営する洋食店で働いていた。
その母に、付き合って1年半になる道彦との結婚を勧められた。
「2年、会ってない…未だに2歳のまんまだよ」
別れた妻との間に儲けた娘について、芙美に吐露する道彦。
二人の関係が開かれる初発点である。
3.11、東日本大震災が発生した。
カリフォルニアにいる麻里が心配して、東京の母に電話をかけてきた。
放射能の飛来に気をつけ、マスクと帽子を被るように注意するのだ。
居ても立っても居られず、日本に帰るという麻里に対して、新は異を唱える。
「それぞれが、自己責任のもとに人生を生きること。それが、基本なんじゃないかな」
「家族の人生は、他人事なの?」
「そうは、言ってないよ」
崇も思春期になり、下校して来ても、母の苦手な英語で反応し、自分の部屋に直行してしまう。
一方、曜子はスーパーに昇平を連れて買い物に行き、レジを済ませて出て行こうとしたら、店員に呼び止められた。
昇平が店の品物をポケットに入れていたのである。
曜子は繰り返し謝罪し、芙美に迎えに来てもらうに至る。
その芙美もまた、浮き足立っていた。
恋人の道彦が、娘と元妻に会うことになったからである。
芙美は娘に持っていく自分で焼いたクッキーを、道彦が忘れたので、届けに行く。
そこで、道彦の母を含めて、親子3人が仲睦まじくしている様子を遠目に見て、自分が入り込む余地がないと悟るのだ。
帰り道に曜子から電話が入り、父の相手をして欲しい頼まれ、その足で実家に帰る。
昇平に焼いたクッキーを食べてもらいながら、芙美は泣きながら話しかける。
「お父さん、またダメになっちゃったんだよ。お父さん、繋がらないって、切ないね」
「そう、くりまるな」
「でも、くりまっちゃうよ…震災の後にさ、皆が繋がりたいとか、絆が大切とか、そういうふうになってるんだもん」
「そうでもないだろ」
「あたしがいくら頑張ったって、家族には勝てないもの」
「それはな、ゆーっとするんだな…学校や何かでも、そういうことは、よくあったよ」
昇平の発する意味不明だが、その不思議な響きに、芙美は心を通わせ、「ゆーっ」と伸びをするのだ。
いよいよ話が通じなくなった昇平と、母・曜子のことが心配で、麻里は実家に戻って来た。
芙美と麻里が昇平を施設に入れる相談をしているところに、曜子から電話が入り、昇平がいなくなったという連絡を受ける。
帰宅し、携帯のGPSを確認すると、昇平は電車に乗り、遊園地へ向かっていることが分かった。
直ちに、3人で遊園地へ向かうと、メリーゴーランドに幼い姉妹と一緒に乗っている昇平を見つけた。
昇平に「お父さん!」と声をかけ、手を振る3人。
曜子の話では、姉妹が幼い頃、一度だけ、この遊園地に3人で訪れたことがあり、雨が降りそうなので、昇平が傘を届けにやって来たと言うのだ。
「あの日は、芙美ちゃんが朝から風邪気味で、鼻をぐずぐずしてたから」
この日も傘を3本持ち、昇平は遊園地にやって来たのだった。