多様な関係性が思春期を育てる 映画「はちどり」('18) ―― その煌めく彩り キム・ボラ

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1  凛として、一人で退院して家に帰る少女

 

 

 

1994年 韓国・ソウル

 

集合住宅に、両親、兄姉と5人家族で住む主人公ウニ。

 

両親は餅屋を営んでおり、忙しい時は家族総出で切り盛りしている。

 

中学2年生のウニは、学校生活に馴染まず、クラスでも孤立しがちである。

 

典型的な家父長制一家の長であるウニの父は、何かと口煩(うるさ)く説教を垂れ、子供たちを支配する。

 

超学歴社会の韓国をトレースするかのように、子供たちを塾に通わせ、学業には特段に口喧(くちやかま)しい。

 

ある日、ウニの教室で、担任が唐突にクラスの不良の特定作業をすると言い出した。

 

「今から配る紙に、不良の名前を2人ずつ書け。タバコを吸う奴、勉強せずに恋愛する奴、カラオケに行く奴も不良だ」

 

紙を配りながら、生徒たちにスローガンの唱和を強要する担任教師。

 

「私はカラオケの代わりに、ソウル大に行く!」

 

シラケた生徒たちは、力なく拳(こぶし)を振り上げ、叫びを繰り返す。

 

ウニには、キム・ジワンというボーイフレンドがいた。

 

「キスしよう」とウニが誘い、二人はぎこちなくキスを交わすが、それだけである。

 

家に帰ると、勉強中の兄・デフンに呼ばれ、ウニが男と一緒に歩いていたのを見たと問い詰める。

 

ウニの不貞腐(ふてくさ)れた態度が気に入らないデフンは、ウニの部屋に行って殴るのである。

 

その兄もまた、家父長制の慣習を受け継いでいる行為が垣間見える。

 

同時に、自分の優位性を妹に示す身体表現、即ち「マウンティング」でもあるだろう。

 

マウントを取ることで、ストレスを発散する。

 

そういう心理的構造である。

 

いつものように、食卓でがなり立てる父親。

 

兄デフンに、「2回連続の生徒会長に選ばれるよう、根回ししろ」とまで指示する。

 

「家族みんなで祈るんだ」

 

真顔で、そう言うのだ。

 

だから、児童期から溜(た)め込まデフンのディストレスが、ウニへの暴力として弾き出されるということになる。

 

かくて、デフンに殴られたことを父に言いつけても、「ケンカしないで」という母の一言で片付けられてしまう。

 

ウニは黙って、姉と視線を合わせるばかり。

 

ウニのストレスも飽和状態になる。

 

ウニが通う漢文塾に、キム・ヨンジという女性教師が赴任して来たのは、そんな折だった。

 

彼女はソンナムに住み、大学を長期休学中であると自己紹介する。

 

親友のチョン・ジスクとウニも、求められて自己紹介した。

 

「私はキム・ウニです。テチョン中学に。私は漫画を描くのが好きです」

 

授業が終わり、ジスクがマスクを外すと、唇が腫(は)れていた。

 

学校が異なるジスクもまた、常習的に兄に殴られているのである。

 

同様に、兄の暴力を受けるウニは、そのことが原因で自殺して、兄が父に怒られるところを幽霊になって見てみたいなどと話すのだ。

 

そんなウニが、新たな悩みを抱え込む。

 

頸(くび)のしこりが気になっているのだ。

 

それを母に話すと、伯父の主治医の病院に行くように言われる。

 

その母は、店にウニの担任が来て、ウニが不良に分類されたという報告を受け、発破(はっぱ)をかける。

 

「勉強を頑張って、女子大生になるのよ」

 

そして、待っていたのは思春期特有の定番描写。

 

翌日、ジワンが他の女の子といる場を目撃するのである。

 

そのストレスも発散する外になかった。

 

ウニは友人とディスコに行き、踊りまくり、タバコを吸い、そこで知り合った後輩の女子・ユリから、人伝(ひとづて)に、姐御(あねご/姉のように敬う存在)になってくれと打ち明けられる。

 

母に勧められたセソウル医院で、ウニは右耳下のしこりの組織検査をするに至る。

 

翌日、ヨンジ先生の漢文塾の授業で、ウニとジスクは、「相識満天下 知心能幾人」という漢字を教えられる。

 

「自分が知っている人は多いけど、本心まで理解できている人は少ない」

 

これが、漢字の意味。

 

「知っている人の中で、本心まで知っているのは何人?」

 

二人に問うヨンジ先生。

 

それに答えられない二人。

 

ユリから一輪のバラをプレゼントされ、上々な気分でウニが帰宅すると、毎晩、遊び歩いていている姉・スヒを叱り飛ばす父親の怒鳴り声が待っていた。

 

「教育が悪い」と母も責められるが、母が父の浮気を持ち出し、徹底的に反撃する。

 

父に押し倒された母がスタンドを投げつけ、電球が割れ、父の腕から血が流れた。

 

夫婦喧嘩も半端ではなかった。

 

スヒは泣き叫び、デフンは頭を抱え、ウニはその光景を呆然と見ている。

 

日常茶飯事の夫婦喧嘩の光景で、翌日には、仲良くテレビを見て笑っている父と母。

 

それを凝視するウニは、一貫して「受動的観察者」だった。

 

いつものように、ジスクと共に、学校や家庭で溜めたストレスを、トランポリンで発散するウニ。

 

そのジスクに誘われ、文房具店で万引きをするが、すぐに捕捉され、ジスクがウニの父親の仕事場を教えてしまうという、非日常的なエピソードがインサートされていく。

 

ウニは電話番号を言わされ、店主が電話すると、あろうことか、父は警察に引き渡せと反応するのだ。

 

呆れた店主は、二人を放免するというオチだった。

 

この辺りのエピソードは重要なので、批評で言及したい。

 

家に帰ったウニは、玄関前で正座させられた。

 

しかし、ウニの心は穏やかだった。

 

後述するが、先生の優しさに触れ、その遣る瀬無い感情が浄化されたからである。

 

母親に包んでもらった店の商品を持って塾へ行くが、ヨンジ先生はいなかった。

 

「“昨日は、ありがとうございました”」

 

このメモを書き置きして、出て行くウニ。

 

その足で、後輩のユリとカラオケに行き、二人で手を繋いで歩いていると、ジワンが近づいてきた。

 

ウニはジワンと和解し、ウニの部屋で過ごす。

 

組織検査の結果、ウニは大病院で検査することを医師に勧められた。

 

大病院の診断で、唾液腺のしこり(腫瘍)は切開手術で切除されるが、その副作用や傷跡が残ると言われ、少なくない精神的ダメージを受ける。

 

一緒に付き添った父は、思わず、病院の待合室で号泣してしまう。

 

ウニは、自分を想う父の愛情を感受するのだ。

 

家族で夕食を摂りながら、父母はウニを励まし、充分に心が満たされるウニ。

 

ジスクとも和解できた。

 

このエピソードも、後述する。

 

ところが、ジワンとのデート中にジワンの母親がやって来て、一方的に彼を連れて帰ってしまった。

 

失意のウニは漢文塾に行き、話をしながら、ヨンジ先生と共に帰路に就く。

 

この会話も後述するが、夜の闇を照らす月光を借景にした、二人の会話だけは書き添えておきたい。

 

「先生は自分が、嫌になったことは?」

「何度も。本当に何度も…自分を好きになるには、時間がかかると思う。自分が嫌になる時、心をのぞいてみるの。“こんな心があるから、今の私を愛せないんだ”って。ウニ、つらい時は、指を見て、そして、指を一本、一本、動かすの。すると神秘を感じる。何もできないようでも、指は動かせる」

 

「何もできないようでも、指は動かせる」という言葉は、本篇の妙々たるメッセージになっていた。

 

そして、入院前のこと。

 

ウニはヨンジ先生を訪ね、一冊の本を渡し、彼女も快く受け取った。

 

「本が好きかと思って」

 

退院する時に返してもらうと約束し、一旦、帰ろうとするが、先生を呼び止め、抱きついていく。

 

「先生が大好きです」

 

フェードアウトし、ウニは術後の朦朧(もうろう)とした意識の中で、「すみません」と繰り返し、しこりがどこへ行ったかを尋ねていた。

 

病院に、ユリがお見舞いにやって来た。

 

ウニを大好きだというユリの頬にキスし、ユリもお返しをする。

 

大部屋の病室で昼食中、テレビの速報でキム・イルソンの死亡のニュースが流れる。

 

ヨンジ先生も見舞いにやって来た。

 

家より病院の方が落ち着くと言うウニに対し、先生がしっかりとウニを見つめながら語る。

 

「ウニ、殴られないで。誰かに殴られたら、立ち向かうのよ。黙ってたらダメ。分かった?」

「はい」

「約束して」

 

二人は指切りをして、満面の笑みを湛(たた)え合う。

 

短い入院生活を終え、大部屋の患者たちに挨拶をし、凛として、一人で退院して家に帰る少女が、そこにいた。

 

  

人生論的映画評論・続: 多様な関係性が思春期を育てる 映画「はちどり」('18) ―― その煌めく彩り キム・ボラ より