乱れる('64) 成瀬巳喜男 <繋げない稜線を捨て去って、振り切って、遂に拾えなかった女>

 序  胸の奥の深い辺りに



 いつまでも胸の奥の深い辺りに、X線でも捕捉できない繊維のような棘が刺さっていて、普段は意識の表層を目立って騒がせることもなく、その不定形の律動を伝える微塵の波動もないが、しばしば名状し難い思いが噴き上がってきて、内側をひどく泡立たせる時間に拉致されるときなどに、その繊維の棘の存在感に不思議なほど親和力が働いてしまうことがある。

 何かの拍子で、内側の秩序を暗い記憶の粒子が噛みついてきて、時間を仕切る帳(とばり)を壊してしまうのだ。繊維の棘の不定形なる律動は、そこで開かれたイメージの宇宙を遊弋(ゆうよく)し、何か終わりの見えない自虐のゲームから、ズブズブの感傷を拾い上げることを止めないようなのである。
 
 私はそんなとき、思い切ってゲームにその身を預けてしまった方がいい、と括った者のような構えで、そのほんの少し危ない世界に這い入っていく。その方が合理的でもあり、つまらない感傷を却って引き摺らないで済むのだ。

 そんな微妙に泡立って止まない思いの中で出会い、その出会いに何か特別の意味を持たせる物語を被せてしまったとき、私の中で一本の残酷なる映像が、初めから予定されていたラインに寄り添っていたかのような存在感によって、そこに固まってしまったのである。それほど、成瀬巳喜男という映像作家の凄みが私の中に侵入してきてしまったのだ。

 その作品の名は、「乱れる」。

 私にとってこの作品ほど、沸々と泡立った感情の中で受容したものはないかも知れない。それは今でも、私の中で「特別な何か」なのである。

 その「特別な何か」と、私は四度(よたび)対面することになった。本稿を書くためである。丁寧な対面を果たした後、正直に言えば、そこに違和感を感じる不具合な描写が含まれていたものの(それについては、稿の最後に言及する)、それでも私の中で、今までより遥かに増して噴き上がってくるような感情を抑えられないものがあった。どうやら本作は、私にとっていつまでも、「特別な何か」なのである。

 その「特別な何か」を提供してくれた一人の映像作家に、私は改めて深い感謝の念を禁じ得ないでいる。

 とにかく素晴らしい。成瀬巳喜男は素晴らしい。殆ど他に換える言葉が見つからないほど、ただ素晴らしいとしか言いようがないのだ。長く生きてきて、この映像作家の素晴らしさが、私の内側の確かな活力源になっていることを、しみじみと感じ入る今日この頃である。

 

 1  告白



 訳の分らない能書きはともあれ、「乱れる」という作品のストーリーラインを、詳細に追っていこう。

 

 「一周年記念 大特売!」と看板を下げたトラックが、マイクで記念セールのアナウンスする社員たちを乗せて、軽快な律動感を辺り一面に振り撒いて、町を走り抜けていく。
 
 「全て半額のお値段!全店5割引という開店以来のサービスです!」

 そこに流れるメロディは、「高校三年生」。
 やがてその爆発的な人気によって、後に「御三家」と称された舟木一夫のデビュー曲である、当時、大ヒットしたメロディに見事に嵌るような女子アナウンスの軽快な旋律が、清水市の目抜き通りを支配していた。

 そして、その宣伝カーを恨めしそうに見遣る食料品店の店主。すぐ近くに立つスーパーの前に、特売品を求める消費者が途切れずにラインを成していたからである。

 「あんた、スーパーマーケットじゃ、卵一個5円なのよ」と店主の妻。
 「5円?」と店主。振り返って、自分の店の卵の価格を確かめたら、「一個11円」と書いてあった。

 市内にある、とあるバー。

 そこにスーパーの従業員たちが羽振りを利かせて、バーの女たちを相手に「卵喰い競争」で遊興している。女たちは次々に、両手に持ったゆで卵を自分の口に押し込んでいる。それを吐き出す女もいる。店内は、座興と呼ぶにはあまりに下品なゲームで盛り上がっていた。

 そんな遊興に堪え難き感情が噴き上がってきたのか、一人の若者が立ち上がって、怒ったように釘を刺した。

 「おい!バカな遊びは止せよ!世の中には、卵はおろか、麦飯も食えない人間がいるんだ」
 「なら、どうしたってんだ」

 一瞬、その場は険悪な空気に包まれて、彼らの上司らしい男が、若者に近寄って来た。彼らはバーの女から、その若者が森田屋酒店の息子であることを知らされていた。

 「おい、商売人は商売で喧嘩しよう。あの卵はウチで買うと一個5円だ・・・俺が買ってきたんだ。ドブに捨てようと豚に食わせようと、お前の指図は受けねぇよ」

 金を置いて黙って帰ろうとする若者にスーパーの男が引き留めて、有無を言わさず、殴り合いの喧嘩になってしまった。最初に手を出したのは若者であった。

 翌日、警察からの連絡で、森田屋酒店の礼子は若者を所轄署に引き取りに行った。

 若者の名は幸司。

 最近勤めていた東京の会社を辞めて、清水の実家に戻っていたのである。礼子は酒店の未亡人で、今や店を一人で切り盛りしていた。その礼子は幸司の母しずに内緒で、警察に出向いたのである。最近の息子の行状を案じる母に、これ以上の心配をかけられないという礼子の判断だった。同時にそれは、幼少時から幸司の世話を焼いてきた礼子の責任意識でもあった。

 
 
(人生論的映画評論/乱れる('64) 成瀬巳喜男 <繋げない稜線を捨て去って、振り切って、遂に拾えなかった女>)より抜粋http://zilge.blogspot.com/2008/12/64.html