1 深く澱んだ〈状況〉の只中に置き去りにされて
本作の中で、最も重要と思える会話を紹介する。
そこには、本作の基幹テーマとなっている、母性の過剰な包容力のルーツとも思える会話が拾われているからだ。
会話の主は、本作の主人公である母と、その一人息子。
肝心の母には、固有名詞がない。
それは、単に紹介されないだけでなく、その母の人格性のうちに「母性」という普遍性を被せてあるからだろう。
一人息子には、固有名詞がある。
その名は、トジュン。
後述するが、会話の場所は、静かな田舎町の警察署の接見室。
トジュンは、静かな田舎町で出来した、「女子高生殺人事件」の被疑者として留置されていた。
逮捕の「決め手」になったのは、老朽化したビルの屋上の外壁から、如何にも晒し者のように放置されていた女子高生の遺体の近くに、トジュンが大事に保持していたゴルフボールが落ちていたからである。
しかし、知的障害である息子のトジュンが真犯人であることを信じない母は、息子の逮捕以来、一人で真犯人を捜すべく奔走する。
と言うのは、無罪の信用性の問題や、支払い能力がないと看做されたこともあって、弁護士に巧みに逃げられた挙句、彼女の無謀な行動をサポートする何ものもなく、彼女は孤軍奮闘していたのである。
接見室で、母に正対するトジュンの右目は腫れていた。
トジュンは、留置施設での被留置者の男に「バカ!」と嘲られ、その男に殴りかかっていった挙句、逆襲されたのである。
トジュンにとって、「バカ!」と嘲られる行為の一切が、相手からの「宣戦布告」と考えるほどに、知的障害に対する差別意識への反発が強いのだ。
この性格傾向が、本作で描かれた「女子高生殺人事件」の重大なキーポイントになるが、それも後述する。
以下、母子の緊迫感溢れる会話を再現する。
「でも、不思議なんだ」とトジュン。
「何が?」と母。
「ボコボコにされてみたら、思い出したよ」
「どんなことを?」
殴られて腫れた右目を隠しながら、トジュンは信じ難いことを話し出す。
「大事なこと」とトジュン。
「何を?」と母。
「母さんが俺を殺そうとした。5歳の時だろ?」
ここで、トジュンは腫れた右目を剥き出しにして見せた。
「栄養ドリンクに農薬を入れて飲ませたよな?」
突然、常軌を逸した叫びを上げる母。
「あのことを覚えているなんて!」
「本当のことだろ?俺を殺そうとした」
「殺すだなんて。心中するほど追い詰められたのよ」
「俺に先に農薬を飲ませただろ」
「お前が先に飲まないと、私が飲めないわ・・・辛かったのよ。お前と私は一心同体。二人きりだから」
その直後、息子の興奮を鎮めようとして、母は鍼(はり)を打とうとする。
彼女は、潜(もぐ)りの鍼灸(しんきゅう)師なのである。
「悪い記憶や、病気の元になる心の凝(しこ)りを消してくれるツボがある。太腿を出して。秘密のツボよ。膝の後ろの窪(くぼ)みから5寸上、そこから・・・」(これは鍼灸の事実を反映せず。念の為/筆者注)
そう言い放つ母は、今や、息子の「悪い記憶」や「心の凝り」を消去するという行為以外に為す術がないのだ。
「今度は、鍼で俺を殺すのか?もう絶対に来るな。来ても、俺は絶対会わない」
これが、息子の反応だった。
母だけが、深く澱んだ〈状況〉の只中に置き去りにされたのである。
本作の中で、最も重要と思える会話を紹介する。
そこには、本作の基幹テーマとなっている、母性の過剰な包容力のルーツとも思える会話が拾われているからだ。
会話の主は、本作の主人公である母と、その一人息子。
肝心の母には、固有名詞がない。
それは、単に紹介されないだけでなく、その母の人格性のうちに「母性」という普遍性を被せてあるからだろう。
一人息子には、固有名詞がある。
その名は、トジュン。
後述するが、会話の場所は、静かな田舎町の警察署の接見室。
トジュンは、静かな田舎町で出来した、「女子高生殺人事件」の被疑者として留置されていた。
逮捕の「決め手」になったのは、老朽化したビルの屋上の外壁から、如何にも晒し者のように放置されていた女子高生の遺体の近くに、トジュンが大事に保持していたゴルフボールが落ちていたからである。
しかし、知的障害である息子のトジュンが真犯人であることを信じない母は、息子の逮捕以来、一人で真犯人を捜すべく奔走する。
と言うのは、無罪の信用性の問題や、支払い能力がないと看做されたこともあって、弁護士に巧みに逃げられた挙句、彼女の無謀な行動をサポートする何ものもなく、彼女は孤軍奮闘していたのである。
接見室で、母に正対するトジュンの右目は腫れていた。
トジュンは、留置施設での被留置者の男に「バカ!」と嘲られ、その男に殴りかかっていった挙句、逆襲されたのである。
トジュンにとって、「バカ!」と嘲られる行為の一切が、相手からの「宣戦布告」と考えるほどに、知的障害に対する差別意識への反発が強いのだ。
この性格傾向が、本作で描かれた「女子高生殺人事件」の重大なキーポイントになるが、それも後述する。
以下、母子の緊迫感溢れる会話を再現する。
「でも、不思議なんだ」とトジュン。
「何が?」と母。
「ボコボコにされてみたら、思い出したよ」
「どんなことを?」
殴られて腫れた右目を隠しながら、トジュンは信じ難いことを話し出す。
「大事なこと」とトジュン。
「何を?」と母。
「母さんが俺を殺そうとした。5歳の時だろ?」
ここで、トジュンは腫れた右目を剥き出しにして見せた。
「栄養ドリンクに農薬を入れて飲ませたよな?」
突然、常軌を逸した叫びを上げる母。
「あのことを覚えているなんて!」
「本当のことだろ?俺を殺そうとした」
「殺すだなんて。心中するほど追い詰められたのよ」
「俺に先に農薬を飲ませただろ」
「お前が先に飲まないと、私が飲めないわ・・・辛かったのよ。お前と私は一心同体。二人きりだから」
その直後、息子の興奮を鎮めようとして、母は鍼(はり)を打とうとする。
彼女は、潜(もぐ)りの鍼灸(しんきゅう)師なのである。
「悪い記憶や、病気の元になる心の凝(しこ)りを消してくれるツボがある。太腿を出して。秘密のツボよ。膝の後ろの窪(くぼ)みから5寸上、そこから・・・」(これは鍼灸の事実を反映せず。念の為/筆者注)
そう言い放つ母は、今や、息子の「悪い記憶」や「心の凝り」を消去するという行為以外に為す術がないのだ。
「今度は、鍼で俺を殺すのか?もう絶対に来るな。来ても、俺は絶対会わない」
これが、息子の反応だった。
母だけが、深く澱んだ〈状況〉の只中に置き去りにされたのである。
(人生論的映画評論/母なる証明('09) ポン・ジュノ <「忘却の舞い」を必要とする母がいて、「狂気の舞い」に追い込まれた母がいた>)より抜粋http://zilge.blogspot.com/2011/02/09.html