羊たちの沈黙('91) ジョナサン・デミ<「羊の鳴き声」を消し去る者の運命的自己投企―― 或いは、「超人格的な存在体」としての「絶対悪」>

 1  「構成力」と「主題性」、「娯楽性」、「サスペンス性」がクリアされた一級のサイコ・サスペンス



 「The Silence Of Lambs」

 これが、本作の原題である。

 和訳すると、「羊たちの沈黙」。

 この謎に満ちた原題を持つ鮮烈なサイコ・サスペンスは、立場が異なるが、過去に深い心のトラウマを持つ二人の男と女の追跡劇と、この二人が関与した事件を利用して脱出を図る「食人鬼の男」の物語が濃密に絡むことで、人間心理の深層に迫る奥行きのある一つのドラマを構築し得た奇跡的傑作である。

 「映画の嘘」を前提にしなければ成立しない、この種のサイコドラマに、「描写のリアリズム」が条件づけられても、「物語展開・人格設定のリアリズム」は不問に付されるという暗黙の了解が成立するが故に、一切はサイコ・サスペンスとしての「映像構築力」にのみ評価基準が委ねられるであろう。

 「映像構築力」において、「構成力」と「主題性」、「娯楽性」、「サスペンス性」がクリアされたとき、映像完成度の高さが保証されるのである。

 その意味で、本作は一級の水準に達していたと言える。

 何より、過去に深い心のトラウマを持つ二人の男と女の追跡劇を、物語展開において不要な要素を完全に削り取ったことで生まれたサスペンス性によって、サスペンスの本質である「映像的緊張感の途切れのなさ」が担保されたこと ―― これが大きかった。

 ここで、本作の生命線である、過去に深い心のトラウマを持つ二人の男と女の問題を考えてみよう。

 異なる立場にある二人の男女の問題を分析するのは、女による「食人鬼の男」との接見の中で明瞭になっているので、本稿はこの接見に重点を置いた言及をしたい。



 2  FBIアカデミー実習訓練生



 バージニア州クワンティコ。

 山岳訓練中のFBIアカデミーの優秀な実習訓練生、クラリススターリングに、行動科学課のクロフォード課長から呼び出しがあった。

 バージニア大学の教え子であった彼女に、クロフォードが切り出した内容は、以下の通り。

 「任せたい仕事がある。と言っても、お使いかな。実は、監禁中の連続殺人犯の心理分析を始めた。未解決事件の解明のためだ。大抵の犯人は協力的なのに、一人だけ協力を拒んでいる。その男に会ってくれ。ハンニバル・レクターだ。彼が君に話すとは思えないが、是非、情報は得たい。観察報告だけでいい」

 ハンニバル・レクターは、9人の人間の殺人とカニバリズム(人肉嗜食)によって、精神病棟の地下牢に隔離されている天才精神科医

 未解決事件のシリアルキラー、「バッファロー・ビル」という仮名の人物像の特定のために、クロフォードは、レクター博士に「プロファイリング」(注1)の技術を借りたいのだ。

 レクター博士の心を開かせる手段として、若く美しいクラリスに白羽の矢を立てたと思われるが、恐らく、彼女の意志堅固で、優秀な心理学の知見への評価も依頼のモチーフになっていたであろう。

 更に、後術するが、クロフォードはクラリスの「亡き父の代替モデル」になっていて、クロフォードもまた、後輩の彼女に目を掛けていたように思われる。良い意味での師弟関係が見られるのである。(注2)

 しかし、「あいつは危険な男だ」という警告を告げるのみで、その辺りの事情を説明しないクロフォードには、彼女の課題のハードルを最初から上げる愚を犯したくなかったことも関与するだろうが、それ以上に、構え切った態度でのレクター博士との接見によって、本来の依頼目的を博士に見透かされることを恐れたに違いない。

 レクター博士は、それほどの「難敵」であるという把握があったということだ。

 これが、震撼すべき映像の起点となっていく。

 以降、レクター博士クラリスとの協力によって、シリアルキラーの本質に迫ると同時に、クラリス自身の封印された闇の記憶をも炙り出していくのである。


(注1)行動科学、即ち、行動心理学や社会学、精神医学等の科学領域を統合する手法で犯罪を分析し、推論すること。連邦捜査局(FBI)の犯罪が有名で、経験則のデータベース化を基礎にする手法。事件対象は凶悪事件に限定されている。

(注2)原作(「羊たちの沈黙トマス・ハリス著 菊池光訳 新潮文庫」)には、クラリスの起用の原因が「人手不足」であると思わせる、些か素っ気ない記述があるが、本篇でのクロフォードもまた、「観察報告だけでいい」という説明をしていたのは事実。それでもクラリスの起用が、「優秀な成績」故の「抜擢」であった事実は否定できないであろう。



(人生論的映画評論/羊たちの沈黙('91) ジョナサン・デミ<「羊の鳴き声」を消し去る者の運命的自己投企―― 或いは、「超人格的な存在体」としての「絶対悪」>)より抜粋http://zilge.blogspot.com/2010/03/91.html