映画史に残したい「名画」あれこれ  外国映画編(その1)

  映画のランク付けを好まない私だが、邦画の「ベストワン」を「浮雲」(1955年製作)に決めているように、外国映画でも、紛れもなく、「ベストワン」と思わせる映像がある。

 ジェリー・シャッツバーグ監督の「スケアクロウ」(1973年製作)である。

 この映画は、ニューシネマという尖った時代状況が生んだ「名画」という範疇を遥かに超えて、私にとって、それ以外にない人間ドラマの最高の「名画」という惚れ込みようである。

 詳細は本稿の中で言及するが、「外国映画編」の中に、ベルイマンの映像が多々含まれているのは、何より私自身が、彼の映像を最も愛着しているからである。

太陽の年(クシシュトフ・ザヌーシ) 
 
近年、邦画界で性懲りもなく吐き出されてくる「純愛ドラマ」の胡散臭く、欺瞞的で、児戯性溢れる情緒過多な氾濫の渦に、少しでも心を預けてしまった後の、あの何とも言えない空疎感が、今や、私の自我に殆ど防衛的に刷り込まれているから、その過剰な文化とのクロスを回避する他愛のない技術くらいは、身障者としての私の些か尖った自我の内に確保されている。

 考えてみれば、「純愛ドラマ」に本物の感動を求める私の感性の方がどうかしているのだ。

 ところが稀に、大仰に前宣伝されることのない小品の中に、本物の「純愛ドラマ」が発掘されることがある。そんな私の映像徘徊の中で、長く記憶される作品 ―― それが、「太陽の年」だった。

 足が不自由な老いた母がいて、その母を守るように、慎ましく生活を送る女がいた。その女には夫がいるが、出征したまま帰って来ないから、恐らく戦死したに違いない。だから女は戦争未亡人であると言っていい。

 その女に、米軍の戦犯調査団員の一人の男が恋をした。第二次世界大戦後まもない、ポーランドでの話である。

 心に傷を持った中年男女が、言葉と状況の厳しい壁を少しずつ乗り越えながら、遠慮げに、しかし確実に成長してくる感情を出し入れしつつ、禁断の国境越えを果たそうとする。

 女は足の不自由な母を随伴するつもりなのだが、足手まといになると考えた母は自ら肺炎に罹患して死んでいく。部屋の窓を開け、寒風に身を晒すという自殺的行為を選択することで、母は娘の幸福を叶えて上げたかったのである。

 この痛烈な映像が、中年の純愛物語に暗い影を落としていく。女はもう走り切れなくなって、結局、自分の幸福を断念するに至ったのである。

 18年後、そんな女のもとに、男から金が届けられた。

 修道院にあって既に年老いたが、自らの幸福を遮蔽する何ものも持たない女は、男の待つアメリカに旅立とうとした、その瞬間、初老の小さな身体が崩れ落ちていった。決定的な飛翔のとき、女にはそれを支える行動体力が備わっていなかったのである。

 債務感情から完全に解き放たれなければ駆けようとしない女の幸福は、最後までイメージの世界でしか生きられなかったのである。それもまた人生なのだ。女の愛を信じて疑わない男の、その抜きん出た誠実さと一途さは殆んど奇跡的だったが、嵌るべくして嵌った男女の求心力によって支えられた物語のラインが、一篇のお伽話を突き抜けたとも言えようか。

 この映画は二人の演技者の、殆どそれ以外にない圧倒的な表現力によって映像を支配した一級の人間ドラマであった。彼らの抑制された表現の内に、様々にプールされた感情が溜められていて、それがラストのダンスの場面で爆発する括りは、一つの最も重要な描写に繋がっていく、言語を超えた心と心のクロスの時間が集中的に束ねられ、遂にそれが、うねりを上げて澎湃(ほうはい)する決定的な構図であったと言えるだろう。

 観る者の脳裏には、決定的な勝負を制した映像の眩い輝きが、いつまでも残像として張り付いて止まないのである。


殺人の追憶(ボン・ジュノ)
 
これほどの衝撃と興奮と感動を覚えた映画は、近年全く記憶にない。

 「殺人の追憶」という圧倒的な作品は、切れ味充分なストレートの威力だけではなく、ユーモアや哀感という変化球を織り交ぜた一級のサスペンス映画に仕上がっていた。しかし最後まで、カタルシスを手に入れられない映画であった。それは、遂に連続殺人鬼を捕まえられなかった男たちの、壮絶にして苛酷な人間ドラマだからである。

 映画のモデルになったのは、政局不安な80年代後半の韓国の農村で実際に起こった十件もの女性連続殺人事件。180万人の警察官が動員され、3000人の容疑者が取り調べられた結果、たった一人(?)の殺人鬼を逮捕できずに迷宮入りとなった韓国史の「汚点」を、若き俊英の監督が鋭く抉(えぐ)り出すのだ。

 主役の二人の刑事。一人は勘で捜査する叩き上げのパク刑事。もう一人は、科学捜査を重んじるソウルから来た若い刑事。当然、二人は噛み合わない。叩き上げの刑事が逮捕した容疑者もいい加減な供述書しか作れず、結局、釈放する羽目になる。

 一方、ソウルの刑事も犯人の核心に迫れない。苛立つ捜査員たちの焦りは、遂には易学に頼ったりするなどして、周囲への粗暴な振舞いや内輪揉めの喧嘩を日常化するのである。

 そんな焦りの中から、一人の有力な容疑者が捜査線上に浮かび上がってきた。しかし決定的な証拠がないために、被疑者の逮捕までには至らない。とうとう女子中学生の陰惨な死体が出現するに及んで、ソウルの刑事が暴走した。科学捜査の掟を自ら打ち破って、彼は凶暴なハンターに変貌するのだ。

 いつしか、叩き上げの刑事も彼に歩調を合わすようになり、やがてハンターの片割れとなっていく。ずぶ濡れになった凶暴なハンターは、有力容疑者を暴力的に追い詰めて、遂に拳銃の引き金に指を掛ける。

 容疑者は暗いトンネルの中を逃げ走る。それを追うソウルの刑事の表情は、殆ど犯罪者のそれと変わらなかった。そして、遥か遠いアメリカに依存するしかないDNA鑑定によって、容疑者が犯人でないと知った叩き上げの刑事は、激しく叩きつけるような弾丸の雨中に、一人呆然と立ち尽くすのである。このクライマックス・シーンは、当時の暗い世相を反映して、絶望的なまでに陰鬱であった。

 本作のクライマックスシーンで、三人の男たちが激しくも、哀切なまでに身体化した世界は、紛れもなく、その固有なる状況心理下で追い詰められた者たちの、殆どそれ以外にない表現世界であった。

 そのキーワードは、「無念さ」と「やり場のない哀しみ」である。

 その象徴的な描写は、DNA鑑定の結果を最悪のイメージで把握しつつも、被疑者の顎を掴んで迫るパク刑事と、刑事を睨むように凝視する容疑者・ヒョンギュの身体的対峙の構図であった。

 「俺の眼を見ろ」と叫ぶパク刑事は、最後に再び先祖帰りしたように、直感刑事に戻っていた。しかし、その眼に捉えられたヒョンギュの表情は、犯人と特定されて暴行を受けた者の怒りと恐怖と辛さが、無言の視線の内に訴えかける悲哀を濃密に炙り出していた。

 その後、「飯は食ってるか?」と思わず吐き出すパク刑事は、相手の表情から「やり場のない哀しみ」を感じ取ってしまったのである。刑事たちはもう、そこで「無念さ」だけを表現する以外になくなったのだ。

 凄い映像と思わず唸らせる決定的な構図が、そこに刻まれていた。

 若いポン・ジュノ監督は遂に真犯人に到達できなかった男たちのやり場のない情念を、苛酷な状況に翻弄され、次第に人格を変貌させていくさまを通して、厳しいまでにリアルに描き切っている。そんな人間の危うさと怖さを描いて、最後まで緊張を弛緩させなかったサスペンス映画は、もう二度と出てこないような気がする。


(心の風景 /映画史に残したい「名画」あれこれ  外国映画編(その1) )より抜粋http://www.freezilx2g.com/2011/06/blog-post_21.html(2012年7月5日よりアドレスが変わりました)