武蔵野冬景色

 ここには収められていないが、奥武蔵野の山々、とりわけ、顔振峠高山不動の稜線からの夕景の写真を撮るために、最寄りの大泉学園駅から吾野まで通った日々が懐かしく思い出される。

 冬の日没は早いので、遅くとも午後4時頃までには、見晴らしの良い稜線上に立っていなければならない。

 ビューポイントを定めたら、そこで1時間くらい粘って写真を撮るが、殆ど成功することなく帰路に就くことが多い。

 月明かりも届かない帰路の山道を、懐中電灯一本を頼りに、一気に駆け下っていく。

 だから大抵、自宅に戻って来るのは夜の9時頃になっている。

 それでも、日没の瞬間の幻想的な風景を撮るために、飽きもせず通ったものである。

 夕景の写真に興味を持った最初のきっかけは、年間数十回程、往還していた三宝寺池で燃え立つような夕景と出会ったこと。

 爾来、自転車で20分ほど飛ばして、鴨が静かに泳ぐ三宝寺池の夕景・夜景を撮ることが、私の趣味の一つになった。

 それから程なく、狭山湖(山口貯水池)の夕景・夜景を撮るために、誰もいない堰堤に立つことが多くなっていった。

 学習塾の仕事がないときなどは、殆ど通い詰めたと言っていい。

 狭山湖の取水塔の前に広がる、寒々しい堰堤からの眺望は素晴らしいとしか言いようがない。

 黒点のようにしか見えない鴨が、湖畔に静かなラインを引き、そこに日没前の光が当たる瞬間を狙ってシャッターを切るのである。

 サザンカくらいしか、花の写真を撮れない冬の季節には、私にはこれしかなかった。

 しかし、その冬にこそ、富士の輪郭が優美なシルエットを映し出す狭山湖の夕景は、私にとって、いつしか最も魅力的な撮影行脚となったのである。

 暗闇の中の低山徘徊と水辺へのアプローチこそ、私の「武蔵野冬紀行」の殆ど全てだった。

 西武線沿線に住んでいることの喜びをしみじみ噛み締められるのは、この「武蔵野冬紀行」が存在するからである。

 早春は紅梅、春はハナモモ、初夏はミツバツツジ、そして、梅雨に季節はハナショウブアジサイ、夏は各種のユリ、初秋はヒガンバナ、晩秋は黄紅葉。

 そこに、冬の夕景・夜景や富士へのアプローチ。

 これが、私の撮影行脚の年間スケジュールの定番である。

 季節ごとに彩りを変える、この国の眩いばかりの風景美に取り憑かれて、贅沢を極めたように愉悦する私の趣味は、今でも忘れ得ない思い出として脳裏に焼き付いて止まないのである。


[ 思い出の風景/武蔵野冬景色  ]より抜粋http://zilgf.blogspot.com/2011/08/blog-post_8953.html