三宝寺池幻想(石神井公園)

 私がカメラを携えて最も通った場所は、石神井公園の一角を占める三宝寺池公園である。

 何百回通ったか分らないほど親しんだ、この公園に対する愛着は、奥武蔵の集落への愛着と同様に深いものになっている。

 それこそ四季を通じて、この公園が表現する様々な風景美を記録するために、全く労を惜しまず、朝から晩まで通い続けたビュー・スポット ―― それが三宝寺池公園である。

 夕景・夜景、そして雪景。

 更に、靄に霞んだ幻想的な風景を撮るために消費した自給熱量は、有名どころの他のビュー・スポットと等価になり得る類の末梢的な何かではなかった。

 全てが心地良い記憶に繋がっていると言ったら嘘になるが、それでも数十回通う中で、一度でも印象深い光景と出会えれば、私にはもう充分だった。

 一期一会の邂逅による、そこはかとなく湧き起こってくる表現しにくい感動が、そこに待っていると信じる気持が、普通の都立公園の範疇では括れない強い思いを後押ししてくれたのである。

 そこで、バードウォッチングする人。

 キャンパスを広げて、絵を描いている人。

 無邪気に遊ぶ子供たち。

 鴨に餌をやる親子。

 そして、池の高台で詩吟を吟じる人。

 サックスやトランペットを吹く若者。

 私がそこで見た風景は、恐らく、他の公園もそうであるように、存分なまでに健康的な気分に満ちていた。

 無論、三脚を立て、写真を撮るアマチュアカメラマンを多くいたが、そのような人たちも含めて、全く人を恐れない鴨が悠々と泳ぎ回る長閑(のどか)な風景こそ、この公園の最大の魅力であった。

 そんな公園が、時折見せる風景の変容と出会うためにのみ、私は三宝寺池に通ったのである。

 例えば、夜景を撮るために、夜の公園に身を預けた私の印象は、明らかに、健康的で長閑な昼間の風景とは切れていた。

 石神井の住宅街の一角に、池を照らす頼りない照明を無化させるほどの不気味な静寂が、水面から沸き立っているようで、容易に感情移入できない闇の世界が広がっていたのである。

 思うに、室町時代、当時の江戸城主であった太田道灌との「江古田・沼袋原の戦い」で敗走し、同様に石神井城主の豊島泰経の父の後を追って、三宝寺池に入水した照姫の伝説が、今や、心霊スポットとして有名な石神井公園三宝寺池の希少価値性を累加させている印象が強いが、練馬区主催の「照姫まつり」で賑わう時代行列の絢爛さを表現し得る、都市のイベントとしての「ハレ」の光景を相対化した陰翳感と共存する懐の深さ ―― それが、石神井公園三宝寺池の魅力なのかも知れない。

 ともあれ、夜景撮影のために訪れた、夜の三宝寺池の不思議な感覚に捕捉されたとき、そんな伝説が脳裡を過(よ)ぎって、改めて、森羅万象には「光と闇」の世界が息づいていることを感じさせてくれたものだった。

 あれから12年。

 水量の顕著な減少によって、人工的に地下水から揚水している現状でありながらも、国指定の天然記念物となっている、「沼沢植物群落」としての三宝寺池公園は、今も変わらない相貌を繋いで存在し、これからも、そこだけは、都市生活者の特段の心のオアシスとしての存在価値を表現し続けていくのだろう。

 私は今、そんな思いを念じつつ、20年以上かけて、各種フィルターなどで撮った三宝寺池公園の写真を画像修正し、編集する作業を愉悦する日々を送っている。