ソナチネ('93) 北野武 <「約束された死」という「絶対状況」から逃げられない男の「心理的ホメオスタシス」 ―― 北野武流バイオレンス映像の最高到達点>

 1  〈死〉と隣接する極道の情感体系で生きる男のアンニュイ感



 「ケン、ヤクザ止めたくなったな。何かもう、疲れたよ」

 物語が開かれてまもないこの台詞が、本作に相当の重量感を与えている。

 この台詞の主は、北嶋組幹部である村川。

 村川組組長である。

 北嶋に呼ばれて、北嶋組の事務所に向かう車内で、村川組組員のケンに吐露した言葉だ。

 そして、この台詞を補完する重要な言葉が、物語の中盤に村川の口から吐露されているので、その部分の会話も再現しよう。

 村川の会話の相手は、幸。

 レイプされていた所に通り合わせた村川が、強姦魔に絡まれて、射殺した因縁で、村川に寄り添うようになった若い女の名である。

 詳細は後述するが、場所は沖縄でのこと。

 「平気で人撃っちゃうの、凄いよね。平気で人殺しっちゃうっていうことは、平気で死ねるっていうことだよね」と幸。
  「へへへへへ」
 女の唐突の物言いに、村川は笑うばかり。

 「強いよね。あたし、強い人大好きなんだ」
 「強かったら、拳銃なんか持ってねえよ」
 「でも、平気で撃っちゃうじゃん」
 「怖いから撃っちゃうんだよ」
 「でも、死ぬの怖くないでしょ?」
 「あんまり死ぬの怖がるとな、死にたくなっちゃうんだよ」

 一貫して無駄な描写や説明的台詞のない北野映画の中で、唯一、投入された説明的台詞だが、しかし、その内実の形而上学性の濃度の高さを考えると、説明的台詞の範疇を突き抜けているとも言えるだろう。

 その形而上学性の濃度の高い村川の言葉に、当然の如く、「あたし、強い人大好きなんだ」と反応する幸には理解不能であったが、この言葉ほど、このときの村川の心情を言い当てている表現はないのだ。

 要するに、死に対する恐怖が継続力を持つと、その恐怖から解放されたいと思う感情に支配され、その解放感が推進力となって、却って、「死にたくなっちゃううんだよ」という負の情動に駆られ、自死に振れていくリスクを高めてしまうのである。

 この村川の心情は、明らかに、「ヤクザ止めたくなったな。何かもう、疲れたよ」という心情の延長戦上にある。
 
 
 
(人生論的映画評論/ソナチネ('93) 北野武  <「約束された死」という「絶対状況」から逃げられない男の「心理的ホメオスタシス」 ―― 北野武流バイオレンス映像の最高到達点>)より抜粋http://zilgz.blogspot.com/2012/01/93.html