アウトレイジ('10) 北野武 <「非日常」の極点である〈死〉に最近接する「狂気」と乖離した何か>

イメージ 11  「物理的・心理的境界」の担保によるリアリティの敷居の突き抜け



〈死〉と隣接する極道の情感体系で生きる男のアンニュイ感が、海辺の廃家を基地にした「遊び」の世界のうちに浄化されることで得た、ギリギリの生命の残り火の炸裂のうちに表現された「ソナチネ」(1993年製作)が、北野武流バイオレンス映像の最高到達点であり、そこで提示された作り手自身の「生死観」が、「HANA-BI」(1997年製作)の中で完成形を極めたと考える私から見れば、はっきり言って、それ以降の北野武監督の一連の作品群には殆ど引き付けられる何ものも持ち得ない、というのが正直な感懐。

そこに、特定的に選択された主題に対する観念的・形而上学的なアプローチが堂々と展開されていた映像には、常に死を意識する映画作家である作り手自身の内側に、十全にコントロールし得ずに漂流する「狂気」と言っていい何かが張り付いていて、それが寡黙な映像を支配する推進力になっていたように思われる。

思えば彼は、〈生と死〉の境界を彷徨う大きな事故(1994年8月に起こした原付バイク事故)を私的に経験したことで、観念としての〈死〉のリアリティのインパクトに喉元を突き付けられたのだろうか。

 危ういラインを垣間見たに違いない、その大事故から復帰して3年余。

 〈生と死〉の境界を彷徨った末に、「キッズ・リターン」(1996年製作)に次いで2作目となる「HANA-BI」が、極めて形而上学的なテーマ性を持つ、真っ向勝負の映像なったことは必然的であっただろう。

しかし残念ながら、そこまでだった。

「完全なるエンターテインメント・ムービーだから、ヤクザ同士の権力闘争劇ではあるんだけど、アリとイモムシの戦いみたいに、客観的に観ても楽しいんだよ。人間だって思わないで観た方が面白いはずだから、そんな感じで観てほしいね」(『アウトレイジ北野武監督単独インタビュー - シネマトゥデイ
 
これは、本作に寄せた北野武監督自身の言葉。

 興行成績ランキングで第4位を獲得した、本作の「アウトレイジ」が成功したコンテンツとなったのは、この作り手自身の言葉に収斂されるだろう。

本作は徹頭徹尾、外部交通が遮断され、封印された「箱庭」における、「異界の住人たち」の「殺戮ゲーム」だから、観る者との間に決して「分」を超えたり、超えられたりする不安のない「物理的・心理的境界」が形成されるが故に、「人間だって思わない」感覚で鑑賞することを保証し、その安心感がリアリティの敷居を呆気なく突き抜け、観る者の笑いのツボの射程に収まることで、存分に恐怖感を愉悦するエンターテインメント・ムービーとして成就した訳だ。  

然るに、そのエンターテインメント性の本質は、殺害シーンのユニークさで勝負するスプラッタームービーのカテゴリーに限りなく近接している何かでしかなく、そこに思いつきのようなアイデアらしきものが感じられても、決してそれは、初発のインパクトの強靭さを印象づける、特段に目新しい画像でも何でもなかったということ。

残念ながら、この把握に尽きるだろう。
 
 
 
(人生論的映画評論・続/アウトレイジ('10) 北野武 <「非日常」の極点である〈死〉に最近接する「狂気」と乖離した何か>)より抜粋http://zilgz.blogspot.jp/2012/11/10_7480.html