クィーン(‘06) スティーヴン・フリアーズ<媚を売る懦弱な自己像にまで堕ちていくことを拒んだ孤高の君主の物語>

イメージ 1
1  10人目の首相の承認を遂行した連邦王国の女王




当時、発足まもない労働党政権の若き宰相の献身的なサポートに支えられなければ、物語の構成力の由々しき防波堤を構築し得ないほど、英国王室の権威の復権の物語を製作しなければならなかったなどという下衆(げす)の勘繰りを含めて、少なからず、プロパガンダ性の臭気を感受させたのは否定せざるを得ないところ。

然るに、中枢の情報を圧倒的に持つ者と、持たない者との決定的乖離によって、どこまでも検証困難な問題であるが故に、ここでは、そのような袋小路に搦(から)め捕られる愚を排して、そこで映像提示された物語の骨格のみに限定して、私の率直な感懐を記していきたい。

1997年のイギリス総選挙で圧勝した、労働党政権の40代の若い宰相の名は、言うまでもなく、トニー・ブレア

オックスフォード大卒のエリート弁護士が、「党の近代化」の名のもとに遂行しようとした様々な改革は、「ポジティブウェルフェア」(失業保険を受けながら、職業訓練を義務づけるなど)という理念に象徴されるように、労働党の大看板である反資本主義的なスローガンの政策の提示を改め、自由市場経済に転換するという経済政策を骨格にした、「第三の道」という概念によって遍く知れ渡っている。
 
王政廃止論者の妻を持つそのブレアが、首相の承認を得るために、初めて謁見した女王の名は、ここも言うまでもなく、エリザベス2世。

「あなたは、私の10人目の首相です。最初はチャーチル。あなたが生まれる前のことね」

征服王ウィリアム1世が建国したノルマン朝(現在のイギリス王室の開祖)から数えて、第58代英国王にあたり、既に、在位45年間に及ぶ主権国家イギリス連邦王国)の君主であった事実は、以上のブレアに対する言葉の中に、その権威の高さを裏付けていた。

英国王のスピーチ」(2010年製作)で描かれた、「善良王」・ジョージ6世の長女である彼女は、父の夭折によって英国王に即位したのが、1952年のこと。(イングランド国教会の教会であり、戴冠式聖堂として著名な、ウェストミンスター寺院での戴冠式は翌年の6月)

夫の名は、フィリップ エディンバラ公)。
 
英国王室の伝統で、ギリシャデンマークの王を兼ねた夫の多面的なサポートを手伝って、ブレアとの謁見の際には71歳であった伝説的な人物が、物語の基幹ラインを最後まで引っ張っていくのである。
 
 
 
(人生論的映画評論・続/クィーン(‘06) スティーヴン・フリアーズ<媚を売る懦弱な自己像にまで堕ちていくことを拒んだ孤高の君主の物語>)より抜粋http://zilgz.blogspot.jp/2012/11/06.html