無言歌(‘10)  ワン・ビン <「約束された衰弱死」によって失われる、感受性の劣化を怖れる男の尊厳が弾けたとき>

イメージ 11  毛沢東の大飢饉」の土手っ腹での不条理



パソコンや携帯電話などエレクトロニクス製品に不可避な材料である、レアアースの世界最大の鉱床として名高いバイユンオボ鉱床。

しばしば「戦略物質」として利用される、このレアアースの鉱床の所在地は、中華人民共和国の北沿に位置する内モンゴル自治区である。

そのバイユンオボ鉱床を懐に抱える内モンゴル自治区と隣接し、ここからモンゴル国にかけて、標高1000メートルを超える高原であるゴビ砂漠が広がっている。

世界有数の広さを持つゴビ砂漠は、米国ユタ州ブライスキャニオン国立公園のように大陸性気候であるが故に、高緯度であるにも拘らず、夏季の最高気温は40度を超える一方、寒風吹き荒む厳冬期にはマイナス40度にも及ぶ、80度以上の年較差を特徴づける乾燥した砂礫の大地である。

そして、その内モンゴル自治区北部に位置するのが甘粛省(かんしゅくしょう)。

 本作で描かれた壮絶なる世界の物理的背景となった、乾き切った砂礫の大地である。

近代文明の最先端をリードする希少資源を圧倒的に保有する乾燥地域が、容易に人間の生存を許さない、厳しい大陸性気候の砂礫の辺境の大地と共存しているのだ。

文明と非文明が、時を隔てて、砂漠の懐深くで近接する現実のアイロニーは、本作の物語の破壊力を目の当りにすると、苦笑すら許容されないシビアな現実によって、立ち所に一蹴されてしまうだろう。

―― 物語の世界に入っていこう。
 
黄砂の一大供給源でもあるゴビ砂漠の一画の甘粛省に、多くの「政治犯」が放擲された

特定の個人が放つ「権威」の強大な影響下にあって、その個人が掌握する権力によって、「右派」とラベリングされた人々が放擲された乾き切った砂礫のスポットの名は、「労働教育農場」という耳心地の良い棲み家だが、その実態は政治犯の収容所であった。

剥き出しにされた土肌の、穴倉深くまで掘られた地下壕の隙間に射し込む一条の光線によって、昼夜を識別し得る狭隘な通路の暗欝な空間の中に、「右派」とラベリングされた男たちの「生活」が辛うじて繋がっていた。

 因みに、ここに「反右派闘争」について言及した有名な著書から引用したい。

 そこで書かれた現実に、私たちは驚愕せざるを得ないだろう。

「百花斉放政策のもとで、約一年のあいだ、社会はリラックスした雰囲気だった。やがて一九五六年春になって、党は知識人に対して、上から下まであらゆるレベルの党員批判を行うよう要請した。(略)のちに毛沢東は、共産党批判を勧めたのは罠であり、自分に対立する可能性のある人間を一人のこらずいぶり出すためにそろそろ百花斉放を終わりにしようと言う他の指導者の声をおさえて意図的に延長したのだ、という意味のことをハンガリーの指導者たちに語っている。(略
 
毛は講話のなかで、『右派分子』が共産党と中国の社会主義を傍若無人に攻撃した、と述べた。右派は知識人全体の一パーセントから一〇パーセントほどにあたり、これらのものたちを粉砕しなければならない、とも言った。話を簡単にするために毛沢東のあげた数字の中間を取って、知識人の五パーセントを右派として告発することになった。この『割り当て』を満たすためには、母は自分の監督下にある組織から合計百人の右派を告発しなければならない。(略)意見を言うように勧められて、というより『要請』されて発言した人を罪に問うのは公正なやり方ではない、という思いも母のなかにあった。それに毛主席も、発言を理由にとがめられる心配はない、とはっきり保証したではないか。母自身にも、遠慮せずに批判を口にするよう、みなに勧めた責任がある。母のようなジレンマに悩んだ党員は、中国全体で何百万人もいたにちがいない」(「ワイルド・スワン」第十一章「右派以降、口を開く者なし」より・ユン・チアン著 土屋京子訳 講談社

 特定の個人が掌握する権力の爛れ方に、ただ身震いする思いである。
  
  閑話休題
 「労働改造局」の決定で、「労働改造」という名目のために放擲された、「反革命思想」を抱懐する「右派」の男たちに与えられた「労働教育」の内実は、土壌改良なしに不可能な痩せた砂漠の地を開墾すること。

 「食べ物と交換できそうな物は、ズボンとシャツしか残ってないが、換えたら、来年の夏に着る服に困る」
 「そんな先の心配よりも、今を生き抜くのを考えることさ」

 男たちの会話の断片であるが、前者は、後に上海から訪ねて来る妻を持つ董(ドン)である

一日250グラムの配給しかない政治犯」にとって、「食」の確保だけが、自らの命を繋ぐ唯一の生存戦略だが、折しも、「一九五八年から六二年にかけて、中国は地獄へと落ちていった」という言葉から開かれた「毛沢東の大飢饉 史上最も悲惨で破壊的な人災 1958-1962」(フランク・ディケーター著 草思社)で人口に膾炙(かいしゃ)されている「大躍進政策」の時代の土手っ腹にあった。
 
「4500万人が本来避けられたはずの死を遂げた」と言われる毛沢東の大飢饉」によって、その「栄光」に輝く生涯を通して唯一の自己批判を余儀なくされた毛沢東の、生来的な権力闘争への拘泥が極まったこと ―― これが、本作で描かれた「反右派闘争」において如実に露呈されたのである。

土壌改良なしに不可能な痩せた砂漠の地を開墾することは、神々の怒りを買った挙句、大きな岩を山頂に押して運ぶという罰を永劫に繰り返す、アルベール・カミュの「シジフォスの神話」にも似て、全く希望の持ち得ない人生の不条理そのものだった。

収容所長に、食糧は自分で調達しろと言われても、作物が育たない砂漠の地では、死を覚悟で毒草に手を出す方略しかないのだ。

現に、枯れ草に張り付く種子を採って、それを粗末な器で煮佛し、食べた老囚は、その日のうちに息を引き取ってしまう。(トップ画像)

息を引き取た老囚は、持参の布団ごと包まれて、三人がかりで荒野に捨てられるに至る。

野鼠を捕捉して食べる男もいれば、下痢で苦しみ、その嘔吐物から固形物の欠片を漁って食べる男もいる。

 彼らにとって、今や死は、普通の日常のありふれた事態でしかなかったのである
 
 
(人生論的映画評論・続/無言歌(‘10)  ワン・ビン <「約束された衰弱死」によって失われる、感受性の劣化を怖れる男の尊厳が弾けたとき>)より抜粋http://zilgz.blogspot.jp/2013/01/10.html