モンスター(‘03)  パティ・ジェンキンス <法治国家で生きる者の宿命としての「地獄巡りの彷徨」の報い>

イメージ 11  アイリーンの「負の連鎖」と、シリアルキラーにまで堕ちていった現実との相関性①


 
 実際のモデルとなった事件とは無縁に、映像で提示された物語にのみ限定して批評していく。

 特段に致命的瑕疵がある訳ではないが、本作はモデルとなった事件をベースにしただけで、基本的にメッセージ性を持った「物語」として構成されているので、私もその把握に則った批評を繋いでいきたいと考える。

―― 以下、物語の主人公の「負の連鎖」について、時系列に沿って箇条書きにしてみた。

、児童期に、父親の親友からレイプされ続けた過去を持っていたこと。

それを父親に話したら、全く信用されず、逆に折檻されたこと。

「8歳のときレイプされた。父親の親友に。父親に言っても、信用されない。だから、そいつに何年にもわたってレイプされ続けたばかりか、”悪口を言われた”と父親にぶたれた」

これは、本作の主人公であるアイリーンが、娼婦に戻った際に、彼女の銃丸の犠牲者になる、初老の「客」(刑事)に吐露した言葉。


、その父親が自殺した後、弟や妹たちの面倒を見るために、思春期前期(13歳)に娼婦になったこと。更にそれが発覚し、故郷を追われたこと。

「パパの自殺後、妹や弟が路頭に迷って、妹や弟だけ隣の家で世話に。でも、チビたちに金を渡してやらないと。だから私が客を取って、彼らの服やタバコ代を稼いだ。ある晩、パーティーの席で一人の男が、私とヤッた話をした。それで、私を雪の中に追い出したのさ」

これは、アイリーンが、レズパートナーのセルビーに吐露した言葉。

、思春期前期(13歳)に娼婦になったことで、それ以外に生活していく術がなく、その生活を延長させてしまったこと。

この事実は、「それ以外にない選択肢」として、娼婦の生活を延長させてしまった苦い過去を、アイリーンが「唯一の親友」と呼ぶホームレスのトムに吐露していることで判然とするが、重要なシーンなので後述する。
 
、娼婦に対する社会的差別を受け続けたことなどで、疲弊し切った孤独なアイリーンが自殺を決意したこと。

その手に銃を持ち、一貫して物語の拠点となった、フロリダでのファーストシーンにおいて映像提示されていた。

、自殺の際に所持していた5ドルの紙幣が縁で、同様に孤独なセルビーとバーで出会ったこと。そして、そのセルビーから、初めて自分が必要とされる存在であるという喜びを見出し、自殺を翻意したこと。

父親から同性愛の治療のためにフロリダに移住して来たセルビーもまた、社会からの疎外感に囚われていて、自ら求めるようにアイリーンに接近していったシーンが印象的に描かれていた。

、セルビーとの「共依存」の関係を延長させていったことで、自らが感受した「愛の幻想」を手放したくないために、アイリーンは娼婦稼業から縁を切ろうと努力したこと。

しかし、既に社会的適応を決定的に欠如していたために、娼婦以外の選択肢しか残されていないと決めつけ、セルビーとの「共依存」の関係の延長のために、娼婦の世界に戻っていくに至る。
 
この事実は、「堅気」の仕事を探し回るが、面接に履歴書を持参せず、弁護士の秘書の仕事の面接を受け、パソコンも法律の知識すらないことを指摘されただけで切れ捲る、アイリーンのパーソナリティ障害性を露呈するエピソードによって裏付けられていた。

 「これからどうするの?」
 「任せておいて」

 アイリーンに「生活の糧」を依存するセルビーに、「堅気」の仕事に就こうとするアイリーンとの会話の断片である。

 しかし、訪ねた職安で、娼婦である事実を打ち明けて希望の職を求めるが、工場の仕事を紹介されたことで、アイリーンは切れ捲る。

自我が未成熟なため、自己を客観的に把握できず、社会適応力の致命的瑕疵を露わにするばかりだった。

、相手の男が特定できないリスキーな娼婦の世界に戻ったことで、変態男から暴行を受け、その男を射殺した事件を出来させたこと。

「私なんかどうでもいいんでしょ!何で、娼婦止めたの!お腹すいたと言っても、何もくれない!」
 「許して」
 「あなた、私を利用する気ね!」

これは、アイリーンとセルビーとの会話だが、ここでアイリーンは、娼婦を止めた理由を告白するに至る。

「レイプされ、殺されかけたので、最後の客を殺したの。あんたに愛されずに、死にたくなかった。だから殺した」
「ごめんなさい」
 
そう言って、アイリーンに泣きつくセルビーの依存心の過剰さが顕在化するに及ぶが、その依存を快く受容するアイリーンにも、既に自らが、「愛」への嗜癖行動によって等価交換の役割性を演じる、「イネーブラー」(「共依存」を後押しする者)の存在である現実を露呈させていた。

、アイリーンのフラッシュバックを惹起させるに足る、「正当防衛」の最初の殺人事件によって、殺人へのハードルが一気に低くなり、且つ、自ら労働することをせず、自分に頼るだけのセルビーとの「愛の幻想」を延長させるために、弁明の余地なきシリアルキラーになっていったこと。

2度目の殺人を起こすアイリーン。

「パパって呼んでくれ」と言われたことで、父親の親友からレイプの虐待を受け続けたトラウマを想起したのか、既に殺人のハードルが低くなっていたアイリーンは、「小児愛の変態」と叫んで、相手を銃殺するに至った。

―― 以上、アイリーンの自我に累加させた「負の連鎖」について、時系列に沿って箇条書きにしてきたが、ここで押さえておかねばならない客観的事実がある。

それは、1から6までの「負の連鎖」が、最終地点としての8にまで流れていく現象を、「それ以外にない選択肢」として把握するのは無理があるということだ。

物語の主人公であるアイリーンがシリアルキラーにまで堕ちていった現実が、1から6までの「負の連鎖」によって惹起された必然的現象などでは全くないということを、私たちはまず把握せねばならないのである。
 
アイリーンの「負の連鎖」と、シリアルキラーにまで堕ちていった現実との相関性。

この問題意識によって、稿を変えて批評していきたい。

 
(人生論的映画評論・続/モンスター(‘03)  パティ・ジェンキンス <法治国家で生きる者の宿命としての「地獄巡りの彷徨」の報い>)より抜粋http://zilgz.blogspot.jp/2013/02/03.html