博士の異常な愛情('63) スタンリー・キューブリック <「風刺」、或いは、「薄気味悪さ」や「恐怖」という、ブラックコメディの均衡性>

イメージ 11  「R作戦」、「皆殺し装置」の発動、そして「優生思想」の突沸



何とも緩やかななメロディに乗って、空中給油シーンから開かれた長閑(のどか)な映像は、一転してハードな場面にシフトする。

米国の戦略空軍基地司令官であるリッパー将軍が、突然発狂し、あろうことか、ソ連への水爆攻撃を命令するのだ。

「R作戦」である。

この「R作戦」の始動による水爆搭載機の飛行シーンでは、アイルランド出身の作曲家が作った米国のマーチ曲として有名な、「ジョニーが凱旋するとき」のメロディが流されていく。

一方、ペンタゴンの最高作戦室では、大統領にタージッドソン将軍が「R作戦」の規定を説明している。

「ひとたび、攻撃命令を受けたら、爆撃機の一般通信回路はCRMという特殊暗号装置に接続されます。敵の謀略電波に惑わされないために、CRMは通信を全く受け付けません」

ペンタゴンの最高作戦室で、こんな重大な報告をするタージッドソン将軍に、彼の愛人である秘書から電話がかかってきて、将軍は小声で答える愚かさを露呈する始末。

「頼むから寝ててくれ。飛んで帰るからな」

こんな電話の直後、リッパー将軍が籠る戦略空軍基地への強行突破を考える大統領に向かって、タージッドソン将軍は「死傷者を出すだけです」と言った後、「爆撃機を戻すのが無理なので、今の内にソ連の基地を叩いておくべきです」などと得意げに演説して見せるのだ。

結局、大統領はソ連大使に事態を説明し、撃墜を要請した後、ソ連の首相にホットラインで、自国で出来した内部事情を細大漏らさず話し、危機の共有を求めようとしても、ソ連首相はすっかり酩酊していて、全く話しにならない始末。

「平和こそ我らが職務」という大看板のある、戦略空軍基地に立て籠るリッパー将軍に向かって攻撃が開かれたが、将軍は人質のような存在となった英軍のマンドレーク大佐に訳の分らない講釈をするばかり。
まもなく、ペンタゴンの最高作戦室では、「米国に帰化したとき、ドイツ名の『異常愛』を訳した名」を持つ、兵器開発局長官であるストレンジラブ博士の長広舌が始まった。

それは、ソ連大使が洩らした「皆殺し装置」の事実の検証のためだが、ドイツ出身のストレンジラブ博士(トップ画像)によると、「装置」の具現が可能であるということ。

戦略空軍基地が降伏したことで、リッパー将軍はトイレで拳銃自殺を遂げるが、あとに残されたマンドレーク大佐は、水爆搭載機の呼び戻しの暗号を突き止めた。

呼び戻しの結果、ソ連のミサイル攻撃を受けたため3機が撃墜された以外は、全て戻って来たが、一機の搭載機のみが飛行を継続している事実が確認された。

その一機は燃料漏れのため目的地に辿り着くことなく、投下基地を決めて水爆を落とそうとするが、水爆投下口の扉が開かず、コング少佐が修理に向かい奮闘するものの、投下点で水爆に乗って共に落下していくという有名なオチがついた。

ペンタゴンの最高作戦室。
 
ここで、大統領顧問であるストレンジラブ博士の再登場となり、有名なナチズム譲りのスピーチとなる。

「大統領、人類がほんの一握りだけ生き残るチャンスはあります。この国には深い炭鉱がある。そこに避難するのだ。数週間で、居住空間の開拓は容易に遂げることができよう」
「いつまで地底に?」と大統領。
「そうですな、ざっと百年は掛ります」
「百年も地底に暮らせるものだろうか」
原子力がエネルギーを供給する。植物は温室で栽培が効くし、動物を育てれば肉がとれる!数十万程度の人間でしたら、楽に収容できるでしょう」
「誰が死に、誰が生き残るかを私は決めたくない」と大統領。

こんな状況下でも、必死に職務(盗撮)に励むソ連大使が、ペンタゴンの隅で、こそこそ動いていた。

さて、大統領へのストレンジラブ博士の返答は、あまりにラジカルなものだった。

「悩む必要はありません。コンピューターで簡単にはじき出せます。若さ、健康、生殖能力、知能、重要な技術の有無などを、データとして与えれば良い。もちろん、政府の高官や軍人は優先的に収容される権利がある。指導者は必要です。当然、人口は急速に増える。何しろ退屈でしょうからな。適当な生殖統制の下、男性1に対して、女性10を交配させれば、現在の国民総生産に、おそらく20年くらいで追いつける」
 
さすがの大統領も、狼狽を隠せない。

「だが、こうも考えられまいかね。生存者は悲嘆のあまり死者を羨み、生きる意欲を失わないだろうか」
「いいえ。人々は依然として地上に郷愁を感じ、そして未来の冒険を夢見つつ、逞しく生きてゆくのだ・・・総統、歩けます!」

露骨な「優生思想」をぶち上げて、最後に「総統!」と叫ぶ博士のナチズムが展開された直後の映像は、「皆殺し」装置の発動による人類滅亡のメッセージが張り付いていた。

そして、戦慄すべきラストシーン。

“また会いましょう
どこかも知らず
いつかも分らないけれど 
きっと また会えるでしょう
いつか 晴れた日に
だから 笑いを忘れずに
いつも絶えない その微笑みを
青い空の輝きが
黒い雲を払うまで

そして お願い
私の友や隣人に あなたが もし出会ったら
じきに行くわと 皆に伝えて
別れの際に私が
力の限り この歌を
唄っていたと どうか伝えて

また会いましょう
どこかも知らず
いつかも分らないけれど
きっと また会えるでしょう
いつか 晴れた日に “
 
ヴェラ・リン(英国出身の歌手)が唄う「また会いましょう」の爽やかなメロディに乗って、核攻撃を受けると自動的に作動するというソ連の「皆殺し装置」が、最後の場面で発動したのである。
 
 
 
(人生論的映画評論/博士の異常な愛情('63) スタンリー・キューブリック  <「風刺」、或いは、「薄気味悪さ」や「恐怖」という、ブラックコメディの均衡性>)より抜粋http://zilge.blogspot.jp/2010/06/63.html