小さな恋のメロディ('71)   ワリス・フセイン <「秩序破壊」の向こうにある「お伽噺の世界」への〈状況脱出〉>

イメージ 11  「秩序破壊」のメッセージを持った「子供共和国」=「お子様映画」



爆弾マニアの少年が投擲した自動車爆破に象徴されるように、如何にも70年代初頭の映画らしく、「秩序破壊」のメッセージを持った「子供共和国」=「お子様映画」の典型的一篇。

「大人社会からの独立戦争」(ウィキペディア)などという傲岸な擦り寄りをなぞるように、「子供=純粋無垢・被抑圧的存在・善」⇔「大人=不純・抑圧的権力・悪」という、類型的な二元論を殆ど脱却できない脳天気なファンタジーの中で、規範を押し付けるだけの「無理解な大人たち」を相手に、「秩序破壊」に便乗した子供たちが存分に暴れて見せるのだ。

最後にはもう、「児童期後期」と重なる「思春期前期」の躍動感を構築し得た、瑞々しい前半の展開を自壊させるような「秩序破壊」の大騒ぎは、充分に竜頭蛇尾的なスラップスティックと化す、馬鹿馬鹿しいだけの自由奔放さ。

当然、そんな娯楽映画もOKだが、それにしても、周囲の大人の存在を「不純・抑圧的権力・悪」という定番的な枠組みの中で記号化して見せるのは、いい加減に勘弁してもらいたいものだが、何せ、「秩序破壊」のメッセージを悪乗りさせた映画が跋扈(ばっこ)した、'60‐'70年代のカウンターカルチャー花盛りの文化の様態を思えば、諦めるしかなかったということか。



2  「秩序破壊」の向こうにある「お伽噺の世界」への〈状況脱出〉



「児童期の恋」という刺激的なテーマ設定の中で、私が共感し得たシークエンスが含まれていたので、それに関連づけて言及したい。
11歳の少年少女である、ダニエルとメロディの二人が学校を休んで、海岸に行ったときのエピソードである。

海岸で砂遊びをしていた二人の手が触れらたとき、そのことを意識するダニエルが、メロディに唐突に打ち明けた。

「結婚しようか?」
「いつの日かね・・・なぜ、水が滲み出てくの?」

メロディは砂山から水が滲み出ることを尋ね、話題をはぐらかす。

「いくつで結婚できる?」

ダニエル少年には、「結婚」のことしか念頭にない。

「石を入れておくと、どうかしら?・・・両親ぐらいの年よ」
メロディは話題をはぐらかしながらも、婉曲(えんきょく)に反応する。

少年は、一気呵成(いっきかせい)に畳み掛けていく。

「そんな年まで待てない。年寄りは大抵みじめだ」
「年をとると何でも分るのよ。だから飽きちゃうのよ」

子供に似つかわしくない鋭利な答えを返すメロディは、微笑みながら言葉を繋ぐ。

「分らないのよ。本当よ」

それだけだった。

以上が、11歳の少年少女の「結婚問答」である。
明らかに、女の子のメロディの方が、物事に対する考え方が現実的であることが分る。

それは、同年齢児における「性差」における、精神年齢の微妙な落差でもある。

加えてそれは、過保護な母親に育てられたダニエルとの決定的な相違でもあった。
 
 
(人生論的映画評論/小さな恋のメロディ('71)   ワリス・フセイン <「秩序破壊」の向こうにある「お伽噺の世界」への〈状況脱出〉> )より抜粋http://zilge.blogspot.jp/2011/01/71.html