光にふれる(‘14) チャン・ロンジー <視覚障害者の青春の断片を切り取った一級の名画>

イメージ 11  「僕は自分で試してみたいんだ。何でも人に頼らないで、自分の力を確かめたいと思う」
 
 
 
身震いするほど感動した台湾映画。
 
障害者を出汁に使う狡猾な作品と切れ、構成に全く破綻がないヒューマンドラマの傑作。
 
視覚障害者のピアニストの主人公を本人が演じ、音楽監督も担当したという、ホアン・ユィシアンの演奏と自然な演技に心の底から酔うことができた。
 
良い映画だった。
 
―― 以下、梗概と批評。
 
「何でも挑戦してみなくちゃ。自立しないとね」
 
この母の力強い言葉の後押しで、台北音楽大学に入学し、学生寮での一人暮らしに挑む視覚障害者・ユィシアンの青春が開かれていく。
 
視覚障害者の入学が初めてであるが故に、受け入れる側の音楽大学も不安を抱えていた。
 
まず、ユィシアンの最初の難関は、学生寮から教室に通うまでの歩行だった。
 
一応、大学側は、ユィシアンのこの歩行のサポーターを日直の仕事の一つに加えたが、親しい友人のいないユィシアンは、心の底から喜べない。
 
教室移動の日直の自己中の学生が、迷惑がって同行を拒んだからである。
 
だから、この歩行のサポーターなしに教室に通う思いを強くするばかりだった。
 
「10歩ごとに木が植わり、全部で4本ある。4本の木を通り過ぎて、歩道を最後まで歩くの。 石ころが多いから、油断するとケガするわ」
 
結局、母との歩行練習で、10段の階段の昇降等を杖と手の感触によって、経験的に学習するユィシアン。
 
自立志向の強いユィシアンが、女性補助教員・ワンによるピアノの小テストで、解答を筆記できない姿を目の当たりにし、聴覚能力の優れたユィシアンにピアノ演奏での解答を求め、出色の出来栄えを見せたことでピアノ科のクラスメートの注目を浴びるに至った。
 
その光景を見て、安堵する母との別れが待っていた。
 
「あとは、一人で頑張るのよ」という無言のメッセージを、体全身で受け止めるユィシアン。
 
そんなユィシアンに、ルームメイトのチンが親しくなる。
 
体育学科に通いながら、バイオリンが得意という陽気なチンは、ギター部や軽音楽部に負けない「スーパーミュージック」というサークルを立ち上げ、ユィシアンを誘うのだ。
 
「どんな子が好み?」とチン。
「優しい人がいい。ポイントは声がきれいなこと」とユィシアン。
「きれいな声か」
 
そう答えたチンは、「声を聴いてみようか」と言って、ゲームを提案する。
 
目の前を通る女子学生の声で、ユィシアンの好みを検証しようとするのだ。
 
「65元のおつり」
 
この声の女性に反応するユィシアンに、チンは嘯(うそぶ)いた。
 
「声はいい感じだけど、ブスッとした顔だよ」
 
その声の主はシャオジエ。
 
ファーストフード店で働きながら、母親に仕送りする女の子である。
 
ダンサー志望がら、その母親の反対で夢が叶えられず、煩悶の日々を送っていたシャオジエは、ダンスが得意な恋人・ユンとの関係も不安定で、およそ、充実感とは程遠い環境下にあった。
 
そんなシャオジエが、初めてユィシアンと出会ったシーンだが、当然の如く、彼女には遊んでばかりいるチンたちに何の関心持ち得ない。
 
そして、ユィシアンとシャオジエの二度目の出会い。
 
それは、街の中枢の交差点で立ち往生をしているユィシアンを見かけ、「危ないわよ」と声をかけたことが発端だった。
 
まさにその声は、大学のキャンパスまでドリンクを売りに来ていた「声がきれいな女性」だった。
 
すぐに相手を特定できたユィシアンの聴覚のレベルは、全盲者であるが故に獲得した特別な「生存適応能力」だった。
 
そのユィシアンが盲学校に行くと知ったシャオジエは、ドリンクの配達中ながら、オートバイの後部座席に乗せ、方向の違う盲学校にまで同行するに至る。
 
「楽団には指揮者がいて、皆は指揮を見て合わせるけど、僕らは見えないから、互いの呼吸を聴いて、皆で息を合わせ、そろえて歌うんだ」
 
盲学校の音楽教諭のこの指示によって、明るく弾けたユィシアンがピアノを弾き、それに合わせて、生徒たちが一斉に歌うのである。
 
その光景を目の当たりにしたシャオジエの表情に、物語の中で初めて見せる笑みが零れ落ちていた。
 
以下、盲学校で、ユィシアンとシャオジエの中で生まれた自然な会話。
 
「僕は自分で試してみたいんだ。何でも人に頼らないで、自分の力を確かめたいと思う。実現できていない夢はある?」
「ダンスがしたいの」
「ダンスって?」
「それをしている時は、私の胸は高鳴って・・・踊っている時だけは、生きてる実感があるの」
「そう思うなら、やってみなくちゃ。でないと、自分の実力が分らないよね」
 
このユィシアンの言葉を真剣に聞くシャオジエ。
 
それは、ダンスに向かうシャオジエの心を開かせていく重要な契機になっていく。
 
仕事の配達先で見つけた、無料体験ダンスレッスンに参加するシャオジエの目の輝き。
 
ファーストフード店の店長の後押しもあって、「踊っている時だけは、生きてる実感があるの」と言ったシャオジエの身体が鼓動し、動き出したのだ。
 
「身体は呼吸と同じです。1秒間も停止しない。その魅力的な身体は緩やかに。まるで影のようにあなたに寄り添い・・・身体をゆっくり溶かしましょう」
 
有能なダンス教師の指導によって、シャオジエの身体がゆっくり溶けていく。
 
「いつも他人と同じ方向に飛んでいた。でも今度は、自分のやり方で羽ばたいてみたい」
 
シャオジエの意思が、今、ここから、加速的に強化されていくのである。
 
 
 
2  「目を閉じて、一緒に体験して知った。光のない世界では、踏み出す一歩に大きな勇気が必要だと」
 
 
 
一方、女性補助教員・ワンから、音楽科が参加するコンクールに誘われたユィシアンは、サークル活動を理由に断ってしまう。
 
「あなたには大切なチャンスよ。学生時代に成績を残せば、将来に役立つわ。人前で姿を見てもらう場面が必要よ」
 
ワンからの熱心な誘いに、ユィシアンは意想外の反応をする。
 
「出場しないと、僕が見えませんか?」
 
この言葉の意味が、その直後に映し出されたユィシアンのトラウマの回想シーンによって明らかにされる。
 
「目が見えないから、1位に」
 
少年時代にコンクールで優勝したユィシアンが、楽屋で他の少年に投げかけられた悪意含みの言葉に傷つき、それが原因となって、コンクールへの参加から逃避する感情を形成していたのである。
 
繰り返し、「目が見えないから、1位に」という言葉がユィシアンの脳裏をよぎるのだ。
 
懊悩するユィシアンを助けたのはシャオジエだった。
 
ピアノがある教室に二人で入り込み、柔和だが、本質的な会話が開かれる。
 
「もしもいつか、目が見えるようになったら、何がしたい?」
「本当に目が見えるなら、自分で自由に歩いてみたいね。何かにぶつからないで歩きたい。そして、カフェにでも入って、窓辺の席に座るんだ。普通のことをしたいだけさ。それなら誰も、ジロジロ見ないよね」
 
オーデションを受けることを決意しているシャオジエは、ユィシアンの思いを受容する。
 
その直後の映像は、光が差し込む暗い教室で、ユィシアンにダンスを教えるシャオジエとの溶け込むような時間が、緩やかに提示される。
 
ユィシアンのピアノの伴奏で、軽やかに踊るシャオジエの二人が占有する時間だった。
 
更に場面が変わり、電車に乗って、花農家を営むユィシアンの実家に向かう二人。
 
その道すがら、目を瞑って歩くシャオジエを、ユィシアンがリードするのだ。
 
既に、電話で聞き知っていたユィシアンの母は、シャオジエを温かく迎え、充実したひと時を過ごす二人。
 
このシーンで重要なのは、ユィシアンが録音したという数々のテープ。
 
「自動車や列車、雨に台風。幼い時から、何でも録音したわ。レコーダーを持って、どこでも録音」
 
ユィシアンの母の言葉である。
 
自立志向の強いユィシアンの性格傾向が鮮明に表現されるシーンだった。
 
ユィシアンのトラウマを聞かされ、初めて、コンクールを回避するユィシアンの心の風景を知るシャオジエ。
 
二人の精神的交流が、ユィシアンの田舎の実家を起点に、瞬く間に深まっていく。
 
「私はどんな女の子?」
「分らない」
「どんな顔だ?」
「分らない」
 
ユィシアンの手を取って、自分の顔を確かめさせるシャオジエ。
 
「目がとても大きくて、鼻が高いんだね。そして顔は小さめ。思ってた通り・・・」
 
「きれいだ」と言いたいのだ。
 
かくて、晴眼者(視覚に障害のない者)のような視覚認識を持ち得ないユィシアンの、触覚・聴覚・嗅覚などの感覚の中で、彩度(色の3属性の一つ)を下げ(白黒化)、明度を残しながら、シャオジエの踊る世界が暖かな光と溶融するイメージに結ばれたのである。
 
「目を閉じて、一緒に体験して知った。光のない世界では、踏み出す一歩に大きな勇気が必要だと。誰の存在にも理由があると思う。辛いこともすべて人生の妨げではなく、大きな決意に繋がると。あなたがいたから信じられた。ありがとう。お陰で気づいた。夢を捨て切れないのなら、人に認められるように頑張るべきだと」
 
明日をコンクールに控えたシャオジエが、ユィシアンに贈ったテープである。
 
そして、その日がきた。
 
緊張をリラックスさせようと準備に余念がないシャオジエ。
 
一方、音楽科のコンクールに参加せんとする「スーパーミュージック」のサークルは、聴衆の前に出ることに踏み切れないユィシアンの葛藤によって、出場辞退の危機の渦中にあった。
 
それでも、トラウマの侵入的想起の葛藤を振り切ったのは、今、このときのチャンスに挑戦するシャオジエから贈られたテープの後押しがあったからである。
 
「やってみなくちゃ。でないと、自分の実力が分らないよね」とシャオジエの後押しをしたユィシアン自身が、シャオジエのテープを聴き、力強い後押しを受けているのだ。
 
それに加えて、自分を障害者として特別扱いしない「スーパーミュージック」の仲間の後押しをも受けている。
 
だから、自分自身こそが勇気ある行動を示さねばならなかった。
 
そして、彼らの演奏が始まった。
 
ユィシアンの力強いピアノの演奏によって開かれた「スーパーミュージック」のパフォーマンスは、仲間と一体になったユィシアンの演奏も炸裂する。
 


人生論的映画評論・続
光にふれる(‘14) チャン・ロンジー 視覚障害者の青春の断片を切り取った一級の名画>)より抜粋http://zilgz.blogspot.jp/2015/10/14_13.html