紙の月(‘14) 吉田大八 <甘美なる「ギブ・アンド・ギブ」のトラップに嵌った女の焼失点>

イメージ 11  貢ぐ女と享受する若者
 
 
 
言葉を失うほど感動した。
 

邦画界に、これだけの映像を構築する映画作家がいることを誇らしく思う。

思い切り主観的に書けば、私の大好きな「パーマネント野ばら」(2010年製作)、「桐島、部活やめるってよ」(2012年製作)に次ぐ本作の発表で、吉田大八監督の職人的手腕は、情緒過多・説明過多・綺麗事が氾濫する邦画界にあって、一頭地を抜く映画作家として検証されたと考えている。
 
 
山下敦弘監督・呉美保監督と並んで、次回作が最も楽しみな映画監督の一人である。


そして宮沢りえ

彼女は、この秀作一本だけでも、邦画史にその名を残すだろう。

 
それほど素晴らしかった。
 
―― 以下、梗概と批評。
 
パートタイマーから契約社員になってまもない銀行員・梅澤梨花(以下、梨花)が、高額な化粧品を買う際に、1万円の不足を顧客から集金した金で補填したことから、彼女の転落人生が開かれていく。
 
先日、大口契約を成就させたことで上司から評価され、営業ウーマンとしての成功体験に満足感を覚え、自意識が目覚めたのだろう。
 
専業主婦だった女の成功体験と周囲の評価の高さを受け、高額な化粧品を買うに至ったのもこの延長上にある。
 
そればかりではない。
 
その大口契約の吝嗇家(りんしょくか)の平林の孫・光太と偶然出会い、一方的に見つめられたことによって、それを意識する梨花の「女」の「性」が微(かす)かに反応したこと。
 
それは、自分がまだ、他者からの熱い視線を受ける「現役の女」であることを過剰に意識させる、一つの小さなエピソードだった。
 
再び、帰宅の地下鉄のホームで、その光太の熱い視線を受けた梨花が、ラブホテルで結ばれたのは、殆ど自然の成り行きと言っていい。
 
説明描写なく、二人の愛欲を描き出すまでのこのシーンは素晴らしい。
 
一方、帰宅した梨花に、「上海土産」として、免税店で買って来たカルティエの高級時計をプレゼントする夫・正文は、既に、ペアの腕時計を夫にプレゼントしたばかりの梨花の行為を無にするものだった。
 
妻からプレゼントされた正文は、数万円程度の時計のチョイスに不満であったが故に、妻の思いを無神経にも逆撫(さかな)でする。
 
これは、夫の悪意などではなく、夫婦の価値観の相違を顕在化するものだった。
 
時は1994年、バブルが弾けて数年後の、我が国の中流層の生活風景の一端だった。
 
父親がリストラされたことで学費が払えなかった光太の事情を梨花が知ったのは、夫が上海に出張する話を聞いた直後だった。
 
金に煩(うるさ)い顧客の平林から預かった200万円の預金手続きの最中に、その平林から電話が入る。
 
それは、孫である光太の借金に、営業ウーマンの梨花が関与することへの一方的警告だった。
 
この一件を機に、孫の窮地を顧みない平林に反発する梨花は、光太への好意と同情を心理的起因にして、横領犯罪へのハードルを一気に超えていく。
 
平林の定期預金の申し込みがキャンセルになったと偽り、発行された書損(無効書類)扱いの預金証書をコピーして、一旦入金した200万を受け取り、自宅に帰った。
 
平林には、その偽造した定期預金証書を渡したのである。
 
そして、その200万円を光太に渡す梨花
 
「あげるんじゃないの。2年後に完済できるように、少しずつ返して。利子とかは取らないから」
 
この時点で、梨花の犯罪意識は全く希薄だったと言える。
 
「受け取ったら、多分何か変わっちゃうよ」
「変わらないよ、何も。200万くらいじゃ」
 
驚きながらも、光太は受容する。
 
ここから、一人の女による一連の横領事件が加速するように開かれていく。
 
「上海には行かない」
 
光太との関係の深化の中で、夫からの海外出張の同行の求めを断る女がそこにいる。
 
ここで、梨花の回想シーンが挿入される。
 
「あなたのしたことは、あなた自身が知っていればいい。そうすれば、隠れたことを見ておられる父が、あなたに報いて下さる。“愛の子供プログラム”は、個人による団体への寄付ではなく、助けを必要としている子供たちと、彼らを助けたいと願う人達を、直接繋ぐ個人から個人への寄付を仲介しています。今その国では、昨年の大きな水害で、たくさんの子供たちが苦しんでいます。小さな額でいいのです。あなたたちの毎月のお小遣いを、ほんの少し彼らに分けてあげましょう。主の言葉を思い出して下さい。“受けるより、与える方が幸いである”」
 
クリスチャンの学校の中学生の生徒たちに対するシスターの言葉である。
 
この回想を受け、募金して、5歳の男の子から手紙が来た話を、光太に吐露する梨花
 
「そのあと、その国で色々あって、たくさん人が死んでる。もう、手紙来なくなっちゃった」
 
この時点で、光太の存在こそ、その5歳の男の子の「代替」というイメージが提示されるが、無論、そればかりではないだろう。
 
いずれにせよ、この回想シーンによって、光太に対する梨花の援助行為の精神的ルーツが朧げ(おぼろげ)ながら、観る者に印象づける。
 
そんな梨花に対し、後輩の相川は直截(ちょくさい)に言ってみせた。
 
「雰囲気変わりましたよね。何て言うか、出ちゃってます。隠せない感じの何かが。着てるものも、ちょっと感じ変わってるし、気をつけないとチェックされちゃいますよ。私はダメです。一瞬、借りて戻すとか?お客さん、意外に気がつかないと思うんですよね」
 
何も知る由なく、ジョーク含みで話す相川の言葉に動揺を隠し込む梨花
 
しかし、金欠状態になった梨花の暴走は止まらない。
 
まるで他意のない、相川の挑発的言辞に後押しされるように、認知症の顧客から預かった300万を自分の通帳に入れ、詐取してしてしまうのだ。
 
その300万を詐取して、自転車を疾駆させる梨花をワンカットで見せるシーンは出色である。
 
光太と会うために、お洒落な服を身にまとって、高級ホテルで待つ女の高揚感を浮揚させるシーンにリンクするからだ。
 
腕時計を高級店で買い、スウィートルームでじゃれ合い、セレブ感を存分に享受する二人。
 
この映画で、腕時計が「ステイタス」のシンボルになっていることが判然とするシーンである。
 
「貢ぐ女と享受する若者」という、このような身の丈を超える生活は、当然の如く、梨花の犯罪をエスカレートさせずにおかない。
 
コピー機を購入し、自宅で領収書や支店印のコピーを偽造するのだ。
 
止められない梨花の犯罪はマンションの一室を借り、光太との逢瀬の特定スポットにするに至る。
 
そんな折、光太が既に大学を辞め、ホームページ作成の仕事に就くという話を聞かされ、失望する梨花
 
この辺りから、物語の風景が少しづつ、しかし、確実に変容していく。
 
 
人生論的映画評論・続紙の月(‘14) 吉田大八 <甘美なる「ギブ・アンド・ギブ」のトラップに嵌った女の焼失点>)より抜粋http://zilgz.blogspot.jp/2015/10/14.html