1 「自転車を買います」と言い切った少女の、何ものにも妥協しない強(したた)かさ
いつものように、コーランを暗唱することに不熱心なばかりに教師に叱られ、一人だけ屋外に出されても、一向に気にする様子を見せない少女。
少女の名はワジダ。
ジーンズを制服の下に履き、学校で禁止のスニーカーで登校するワジダは、欧米の自由なポップスをラジオで聴くのが趣味だから、この国の古い伝統文化には全く関心がない。
そんなワジダが登校中に、男の子の友達であるアブダラにベールを奪われ、必死に追い駆け、ベールを取り返すものの、自転車に乗ったアブダラに追いつけず、悔しい思いをする。
「君が勝てるわけないだろ」
アブダラの意地悪に対して、「自転車、買ったら競争よ」と反駁(はんばく)するワジダ。
少年たちが一堂になって、自転車で登校する後ろ姿を見て、睨み返す気の強い少女の物語の発端だった。
「女性の声は肌と同じです」
登校中に笑い声を立てただけで、少女たちを注意する校長先生は、ヘジャブ(ヒジャブ=スカーフ)を被っていないワジダにも叱咤する。
「女が自転車なんてダメだ」
「じゃ、私に負けたら男の恥ね」
その後のワジダとアブダラの会話だが、ワジダの思いが真剣である事実は、新品の自転車を荷台に積んだ車を見つけ、雑貨店の店先まで追い駆けていき、その自転車を羨ましく見つめ、触れる行為によって判然とする。
「800リヤルだ。買えないよ」(注)
店主の一言にも、笑みで反応するワジダ。
早速、黒ブルカを脱いで帰宅した母に、自転車が欲しいと強請(ねだ)るのだ。
当然、相手にされない。
だから、ミサンガを作り、それを学校の友達に売って、自らの手で800リヤルを調達しようとする。
そればかりではない。
上級生に頼まれ、彼女の密会の手伝いで、40リヤルを上増しして儲けるずるさも持っている。
既に87リヤルに達し、その残りを上機嫌の母に貸してもらおうとするが、今度もまた却下されるに至る。
更に、校長先生にワジダの行為が知られ、先の上級生が宗教警察に捕捉された事実を聞かされたワジダは万事休す。
この一件で、母親が学校に呼ばれ、退学問題にまで発展し、ワジダの夢は遠のくばかり。
母親の逆鱗(げきりん)に触れても、耳を塞ぎ、ポップスをラジオで聴く10歳の少女の強(したた)かさだけが際立っていた。
そんなワジダでも、勤務しながら、たまにしか帰宅しない父親と母親の夫婦喧嘩には入っていけない。
男の子を作れない母親への不満で、第二夫人との婚姻を考えている父親に反発する母親を目の当たりにして、何もできず、部屋の中での自分の居場所を失っているのだ。
「来週は1日も帰って来ないからな」
それが、ワジダの父親の捨て台詞だった。
その父親を引き留めるために、ショッピングモールの洋品店で、赤いドレスを試着する母親を横目に見るワジダにとって、800リヤルの自転車が売り切れていないかどうかだけが最優先事項なのだ。
宗教クラブ主催の「コーランの暗唱大会」が5週間後に開かれ、1000リヤルの賞金が供与される事実をワジダが知ったのは、その直後だった。
「暗唱するのは、コーランの最初の5章。2つの部門があり、第1部門は、語彙(ごい)と神の啓示に関するテスト。第2部門は暗唱です。すべての発音が正確であること」
校長先生の言葉である。
この事実を知ったワジダの行動は素早かった。
「私、心を入れ替えます。宗教クラブに」
「自転車に乗ったら妊娠できない」と言う母親に対して、こう言い切った後、ワジダは例の雑貨店に行き、今度はコーランの学習用カセットを62リヤルに値引きさせ、それを買って、早速、自宅で練習するのだ。
そんな折、アブダラがワジダのために補助輪付きの自転車を持って来た。
「子供扱い」と言って、工具の入った箱を蹴飛ばし、泣き出す(嘘泣き?)ワジダ。
困ったアブダラは補助輪を外し、「泣き止んだら5リヤル」と言って慰めた挙句、5リヤルを受け取って笑みに変わるワジダの強(したた)かさ。
アブダラに補助輪を外させたワジダの行為こそ、未だ成人的自覚に届き得ないが、「女・子供」に対するネガティブな特別扱いが常態化している、この国の男性優位社会の文化風土へのワジダの拒絶の意思表示であると言える。
まもなく、補助輪を外した自転車に乗るが、初経験のため、アブダラの援助なしに始動できなかった。
しかし、憧れていた自転車に馴致(じゅんち)するのもあっという間だった。
同時に、「生理中は聖典に触れないこと」と言われて開かれた宗教クラブで、ワジダの学力不足が目立ったが、「ワジダは皆のお手本よ」とまで評価されるのも、さして時間がかからない。
欲望達成のための目標を立てたら、一直線に進んでいく。
ワジダとは、そんな少女なのだ。
当然ながら、聖典コーランの暗唱をマスターしても、敬虔な信徒である母親のように、欧米のポップスを「悪魔の音楽」などと考えないから、宗教クラブに入会し、どれほど聖典に触れる時間を累加させようと、聖典の教義の寸分も内化するベクトルに振れていかないのである。
そんな中で拾われた一つの小さなエピソード。
壁に貼られた家系図には父の家の家系しかなく、男性の名前のみだった。
「あなたは入ってない」
母親の言葉である。
その事実を聞かされたワジダが取った行為は、父の家の家系図に“ワシダ”という紙を貼り付けてしまうこと。
無論、剥(は)がされてしまうが、これが、長い時間を要して形成された保守的な伝統・価値観・ルールに対する、10歳の少女の精一杯のレジストなのだろう。
物語を進める。
いよいよ、その日がやってきた。
宗教クラブ主催の「コーランの暗唱大会」である。
プレッシャーで頓挫するライバルたちの後で、ワジダの暗唱の番になる。
“雌牛章”とは、「日本ムスリム情報事務所」HPによれば、「雌牛をアッラーに供える物語にちなみ雌牛章と名付けられる。本章はクルアーンの総説ともいうぺく,イスラームの教えが全般にあたって記されている」というもの。
この重要な教義の暗唱がワジダに求められたのである。
初めは緊張していたワジダだが、さすが、目標を立てたら一直線に進んでいく少女の集中力は凄かった。
律動感溢れる暗唱によって、決勝に残った3人の女子の中で、ワジダの優勝が発表されるのだ。
「皆さんも見習うように」という校長先生の言葉が添えられるが、その直後のシーンは圧巻だった。
「賞金は何に使うの?」という校長先生の問いに、全く悪びれる様子もなく、ワジダは答えたのである。
「自転車を買います」
爆笑の渦に包まれる講堂。
一瞬、言葉を失った校長先生は、パレスチナの同胞への寄付を求めるのである。
今度は、ワジダが言葉を失う。
校長先生の言葉に逆らえない空気の中で、「コーランの暗唱大会」は閉じていくが、なお追い打ちをかけるような校長先生の嫌味が待っていた。
「あなたの愚かさは、一生、直らないわ」
気の強いワジダも負けていない。
「校長の“泥棒”と同じね」
そう言ったのだ。
ワジダを睨みつける校長。
それを無視し、涼しい顔をして壇上を去っていくワジダ。