オーバー・フェンス('16)   山下敦弘

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<「普通」という心地よい観念に隠れ込む男」と「壊れた女」の檻が解き放たれ、何かが起こっていく>

 

 

 

1  ハクトウワシの求愛パフォーマンスに同化する女との出会い

 

 

 

【以下、心理分析含みの批評をインサートしながら、梗概をまとめていきたい】

 

函館訓練校の建築科。

 

様々な職歴を持ち、幅広い年齢層の男たちが訓練を受けている。

 

実家のある故郷に戻り、大工の修行をする白岩義男。

 

バツイチの中年である。

 

その白岩(しろいわ)が学校帰りに、路上で、一人の若い女と中年男との言い合いに遭遇する。

 

「私が言ってるのは、愛情表現のこと…ダチョウだって、もっと愛情表現するよ」

 

女がそう言うなり、ダチョウを真似た踊りのパフォーマンスを始めるのだ。

 

笑みを浮かべた白岩と、女の視線が合う。

 

これが、白岩と女の出会いだった。

 

アパートに引っ越して来てまもない白岩は、一人で弁当を買い、2本の缶ビールを飲むという生活を淡々と送っている。

 

訓練校建築科の同期である代島(だいじま)に誘われ、飲みに行った義男は、バーの出店計画を打ち明けられる。

 

白岩を副店長として、開店の協力を求めてきたのだ。

 

自分には向かないと断る義男の前に、キャバクラで働いている先日の女が現れた。

 

彼女の名は、田村聡(さとし)。

 

「名前で苦労したけど、親を悪く言わないで。頭悪いだけだから」

 

聡の言葉には毒がない。

 

店を出た際、代島に出店の件を念押しされた白岩が帰ろうとすると、聡から強引に車に誘われ、アパートに送ってもらうが、何事も起きない。

 

営業経験のある代島に、「この店、やれる女、多いっしょ」と言われていても、白岩にはその気がない。

 

部屋に戻った白岩は、整理していない荷物の中から、一通の手紙を取り出した。

 

「これしきのことで、娘を実家に帰してよこす、君の無責任で冷たい仕打ちには腹も立ち、娘も、もう、そちらに帰す気は全くありません。娘はまだ若く、失敗は失敗として、再出発の方法を探してやりたく思っていますので、今後のことは、一切、口出し無用に願います。子供については、一応、君は父親だが、会わせる気はなく、もし異論があるならば、法的に異議を申し立てるよう願います。今後、いかなる音信は不要で、直接連絡を取るようなことはしないでいただきたい」

 

この義父からの手紙を燃やした白岩が外に出ると、聡が車から顔を覗かせる。

 

白岩がキャバクラに現れた時から、聡は白岩に好意を持っていた。

 

「聡が会いたいと言っていた」という代島の伝言で、聡のバイト先の遊園地に、いつもの自転車を漕いで会いに行く白岩。

 

「何しに来たの?」

「え?代島君が、聡が会いたがっているから…」

「だから、しょうがなく来たわけ」

「そうじゃないけど…俺も、会いたかったから」

 

既に、白岩の感情を確認するほどに、聡の思いの強さが表現されている。

 

だから、こんな言葉に結ばれるのだ。

 

ハクトウワシの求愛、知ってる?ガッツ、すごいよ。空中で、脚と脚をガッとつないでさ、くるっくる回りながら落下するの。ほんとに恋に落ちるの」

 

そう言って、聡のハクトウワシの求愛パフォーマンスの踊りが始まった。

 

その踊りに惹きつけられる白岩。

 

誘われるまま、自転車の後ろに聡を乗せた白岩が彼女の実家に着くと、離れの部屋に上がった。

 

二人で缶ビールを飲み始めるや否や、聡は突然立ち上がって台所へ行き、薬を飲み、全裸になって体を洗い清めるのだ。

 

恐々と、覗き見る白岩。

 

「これやらないと、身体が腐る気がして」

 

そう言い放って、全裸のまま白岩に近接し、激しく唇を重ね、交接する。

 

以下、その直後の二人の会話が、物理的・心理的に近接した関係を呆気なく破壊してしまう。

 

「本当は、結婚してるの?」

「してないよ」

「じゃ、なんで指輪してるの?教えて。ずっと気になっていたんだけど、黙っていたんだよ」

「いや、もう、別れてるから」

「したら、何で別れたわけ?子供もいたんでしょ」

「先に自分のこと話せよ。代島と寝たことあるだろ」

「寝たよ、だから?流れで一回寝ただけだよ。もういい?何で指輪してんのか、言ってよ!言えないの?あ、言えないようなことしたんだ!奥さん、殴ったんだ!」

「落ち着けよ」

「今日は落ち着いていたのに。あなたのせいで、こうなったの!何で、正直に言ってくれないの?奥さんのこと教えてよ!」

 

嗚咽交じりで、聡の支離滅裂な叫びが止まらない。

 

「今日から自分が変われるかも知れないと思ったのに!もう、死んだみたいに生きなくてもいいって思ったのに!ねえ、教えてよ!」

「分かったよ!子供が生まれて…仕事で遅くなる日が続いて、その日も遅くなって、会社から帰って来たら、その、奥さんが子供の顔に、枕押し付けてたんだよ」

「ひどいね」

「いや、俺が悪かったんだろうけど…」

「そりゃ、そうでしょ」

「お前に何が分かるんだよ」

「あんたに、何が分かるのよ。分かんないから、奥さんの頭がおかしくなったんでしょ…ほら、出た、その目。その目で見られると、自分がゴミになった気がすんだけど!」

「そんな目、してないよ」

「したっしょ!前に会ったときもしたんだよ!」

 

そう言って、物を投げつけ、部屋の窓ガラスを割る聡。

 

興奮が収まらない聡は、白岩を部屋から追い出そうとする。

 

「俺は、普通に生きてきたんだよ!今までずっと。お前らが勝手におかしくなっただよ!殴ってもないし、家にもちゃんと帰っただろ。これ以上、何やりゃよかったんだよ。俺がどれだけ我慢してたのか知ってんのかよ!何も知らないのに、言いたいことだけ言ってんな!」

「あんたとなんか、会わなきゃよかった。お店にも来ないで。来たら、帰っから」

 

これが、二人の男と女の運命的な出会いと、別れの顚末の一端だった。

 

【惚れ込んだ男に対する女の激発的感情が、早くも炸裂する。女にとって、離婚したのに指輪を手放せない男の、元妻に対する執着心が許せないのだ。だから、「子供の顔に、枕押し付けてたんだ」という男の物言いの欺瞞性が透けて見えてしまう。それは、男の「結婚観」の甘さへの怒りでもある。離婚の相関性に垣間見える男の、その「結婚観」の甘さへの怒りの根柢に通底するのは、なお指輪を手放せない男に張り付く、元妻への「愛着心」という感情的決めつけであると思われる。「分かんないから、奥さんの頭がおかしくなった」とまで言い切った女には、「頭がおかしくなった奥さん」への同化意識と、その「奥さん」への嫉妬感が複合的に共存している。それは同時に、「自分がゴミになった気がする」という、「その目」に惹かれた女の「不全感」の発現でもある。そして、男もまた、女によって裸にされた「分からなさ」に対し、感情を剥(む)き出しにする。だから、収斂点を吹き飛ばされた二人は、一時(いっとき)の「別離」を余儀なくされたのである。かくも、人間の感情は複雑なのだ】

 

以下、「人生論的映画評論・続: オーバー・フェンス('16)   山下敦弘」より