1 「お前さんが死んであの世へ行くと、阿弥陀様にお目にかかる。阿弥陀様は、お前さんをお慈悲深い目で見守って…だから、くよくよせずにお迎え待つんだよ」
崖の下のオンボロの棟割長屋(むねわりながや)には、どん底の人生を送る人間たちが住んでいる。
【棟割長屋とは、一棟の家を壁で仕切って分けて何世帯かが住めるようにした建物】
破損した鍋を修膳する音を出し続けている鋳掛屋(いかけや)の留吉は、病気の女房・あさを抱え、この長屋からの脱出を願う日々を送っていた。
飴売りのお滝と零落した元旗本を自称する殿様が食事をしながら四方山話(よもやまばなし)をし、それを傍らで聞く留吉が口を挟んで飴売りのお滝と喧嘩となり、殿様は夢想に耽る夜鷹のおせんを茶化し、その様子を見て、桶屋の辰が笑っている。
そんなお滝は殿様と仕事への出がけに、苦しそうに咳をする鋳掛屋の女房の背中を摩(さす)り、飴を食べるようにと言って置いていく。
遊び人の喜三郎が起きるなり、夕べ誰かに殴られたと言うや、博打でいかさまするからだと辰に返される。
酒で病み、セリフを思い出せなくなった役者が、寝たきりの鋳掛屋の女房を日当たりの良い場所へ連れて行ったことを、大家の強欲の六兵衛が親切者だと褒めると、その報いを求める役者に対して、六兵衛は「親切は親切、借金は借金。味噌も糞も一緒にしちゃいけん」と言ってのけるのだ。
その六兵衛は、泥棒稼業を止められない捨吉に捨てられ、未練を残す妻のお杉を探しに来たのだった。
捨吉が部屋から出て来て、泥棒で手に入れた品を売った金を請求される六兵衛は、捨吉に暴力的に追い出される始末。
そんな時、お杉の妹のかよが、一人のお遍路の格好をした老人・嘉平(かへい)を連れて来た。
かよは捨吉からぞっこん惚れられ、長屋からの脱出を繰り返し求められているが、姉のお杉から嫉妬されて折檻を受け、そのお杉を案じる六兵衛からも邪魔者扱いされている。
捨吉はそんなかよを不憫に思っているが、かよからはまともに相手にされていない。
連れ出されたまま放って置かれた鋳掛屋の女房を連れて帰って来た嘉平は、あさに感謝される。
「おじいさん、お前さん、いい人だね。本当に」
「河原の石ころさ。さんざん揉まれて、丸くなったのさ」
夜になって、あさはひどく咳き込んでいるが、その傍らでは、辰とお杉の叔父で十手持ちの島造は将棋を指し、駕籠(かご)かきの熊と津軽を交えて、喜三郎らは「テンツクテンツクテンツクテン、コンコンコンコンコンチキショー」と歌いながら、津軽をカモにして賭博に興じている。
「何かと言っちゃさ、歌を歌う」と愚痴を零すあさを慰めるのは嘉平のみ。
「お腹いっぱい、食べたこともないんだよ。何の因果かね」
「苦労な事だったね」
「ねえ、おじいさん。あの世へ行っても、こうだろうかね」
「そんなこたぁない。あの世へ行けば息がつけるさ。もう少しの辛抱だよ」
負けが込んだ津軽がいかさまに気づき、仲間と喧嘩となるが熊が諫(いさ)めて、お開きとなる。
皆で飲みに行くので、嘉平も誘われるが断ると、役者がめっぽう素晴らしい台詞を聞かせてやると言いながらも、役者はそのセリフを思い出せず、言葉にできないで茫然自失(ぼうぜんじしつ)。
嘉平は、役者に酒の病気(アルコール中毒)を治してくれるお寺を紹介しようとするが、嘉平もまたその寺の名前を思い出せなかった。
「とにかく、その気になるこった。まず酒をほどほどにして、やがて病気が治ったら新規蒔き直し(しんきまきなおし)と行くのさ」
励まされて、「おめぇ、妙な爺(じじい)だな」と、嬉しそうに笑う役者。
再び、不安を訴えるあさに呼ばれて、話をする嘉平。
「…あの世は、この世の休み場所さ」
「本当かね、おじいさん」
「お前さんが死んであの世へ行くと、阿弥陀様にお目にかかる。阿弥陀様は、お前さんをお慈悲深い目で見守って…だから、くよくよせずにお迎え待つんだよ」
「でも、ひょっとすると、私、良くなるかも知れないね」
「何のためにさ。また苦しい目に遭うためにかい?」
「だって、もう少し、生きていたいもの。あの世に苦しみがないのなら、この世で、もう少し辛抱してもいいよ」
その話を傍らで聞いていた捨吉は、嘉平を「なかなかの代物だ」と嫌味を言う。
「嘘も上手ぇし、作り話も板についてら。嘘の方が本当よか、よっぽど面白ぇからな」
更に捨吉は、将棋を指している島造に、お杉にひどい折檻を受けて出て行ったかよの居所を聞き出そうとして島造を怒らせ、辰はお杉に言いつけることを案じる。
嘉平は捨吉に、早いとこ、ここを出て行くことを勧める。
「どこへよ?」
「どこだって、いいわさ。ここより悪いとこあるめぇよ。上方(かみかた)もよかろう。いっそ蝦夷だって悪かねぇや」
「おぅ、爺さん、何だって、てめぇ嘘ばっかくんだ?でめぇに言わせれば何処も彼処もいいとこ尽くめだ。嘘に決まってらい!」
「…だがな、兄さん。この世の中で、嘘が悪いとばかりとは限らないよ。また、誠がいいとばかり限らねぇ…」
「おい、爺!阿弥陀なんて、本当にいるのかい?」
「アハハ…いて欲しい人にはいるだろうさ」
そこにお杉がやって来た。
辰は自ら出て行き、嘉平はお杉に促され出て行くが、密かに戻って来る。
猫なで声で捨吉に迫り、捨吉に抱き着くお杉に、「奇麗な顔だな。そのくせおらぁ、心底お前が好きになったことはねぇ」と本音を言って払いのける。
「でもね、あたし、お前さんとこんな仲になって、心待ちにしてたことがあるんだよ。こんな暮らしから助け出してくれるだろうと願ってたのさ」
お杉は、捨吉がかよに惚れていることを見透かし、持ちつ持たれつの駆け引きを持ち出すのだ。
「もし欲しかったら、あの子をやるよ。熨斗(のし)をつけてさ。その代わり、あたしを助けておくれ。あの宿六をなんとかしておくれよ」
お杉は六兵衛がかよまで狙っていると言って、乗り気にならない捨吉をけしかける。
「出てってくれ!」
「よく考えたらいいさ」
その瞬間、外から覗いて立ち聞きしていた六兵衛に気づくお杉。
六兵衛は部屋に入って来るや、「売女!恥知らず!」と罵ると、お杉は捨吉に目配せして、無言で出ていった。
捨吉が出て行けと言っても、留まる六兵衛。
「笑わしちゃいけねぇ。てめぇの指図は受けねぇよ!」と返された捨吉は切れてしまい、六兵衛の首を絞めるのだ。
その時、突然、嘉平の大きなあくび声がして、思わず手を放す捨吉。
六兵衛は這って逃げ出し、一部始終を聞いていた嘉平は捨吉を諭す。
「好きな子があるなら、その子を連れて、さっさとずらかるんだな」
「なんだって、そう俺のことを?」
嘉平はそれに答えず、鋳掛屋の女房の様子を見に近づくと既に息絶えていて、念仏を唱えるのである。
嘉平と捨吉は、留吉を探しに出ていった。
そこに役者が酔っ払って帰って来て、思い出した台詞でふらふらしながら演じて見せる。
捨吉を訪ねて来たかよを捕まえ、役者は春になったら、酔っぱらいを治してくれるお寺を探しに出て行くと話す。
かよも鋳掛屋の女房が死んでいるのに気づき、「いつか、こんな風に虐め殺される」と呟いた。
次々と住人たちが鋳掛屋の女房の死を知り、留吉も戻って来たが、届けも弔いもどうしていいか分からないと愚痴るのだ。
嘉平の励ましで静かに逝去した女房の死に面喰らうばかりの男が、そこにいた。