橋のない川('69)  沸点に達した少年が状況を支配し、新たな情景を拓いていく

1  「世間の人は、わいらをエッタ、エッタ言うて、ケダモノみたいに言いまんのや。なんぼ自分で直そう思うても、エッタは直せまへん。校長先生、どげんしたらエッタが直るんか、教えてくんなはれ」

 

                                                                            

                                                              

日露戦争に勝利した日本陸軍は、その余勢を誇るかのように、このなら盆地・大和盆地に、陸軍特別演習を繰りひろげたのである」(キャプション)

 

兵隊の演習が村にやってきて、兵隊ごっこに興じる少年たち。

 

この遊びの中に、小森部落の畑中誠太郎(せいたろう)もいた。

 

誠太郎の家では、祖母・ぬいと母・ふでが草履編(ぞうりあ)みをし、それを弟の孝二も手伝っている。

 

「なあ、おばん、わしらの村には、なんで兵隊さんが泊らんへんのや?よその村な、どこも演習の兵隊さんが泊るんやで…電気がないさかいけ?」

「そうや、電気がないだけや」

「なんで小森だけ、電気が来(き)いへんのけ」

「そらな、孝二が大きなったら分かるこっちゃ」

 

帰って来た誠太郎と孝二を連れたふでは、部落近くで休憩している兵隊に、蒸(ふ)かしたサツマイモを振舞い、「天の恵みや」と喜ばれる。

 

「兵隊が好きか」と聞かれた誠太郎は、父が兵隊で満州で名誉の戦死したことを話す。

 

「それで、わしらにこないに…」と感謝されたふでは、哀しそうに俯(うつむ)く。

 

「なあ、ぼん、大きいなったら何になる?」

「わし、兵隊や」と誠太郎。

「学校の先生や」と孝二。

 

尋常小学校に小森の旗を持って競争して走る誠太郎は、後から来た坂田村の地主の子・仙吉に「臭くなる」と旗を捨てられ喧嘩が始まると、女性教師の柏木はつが誹議(ひぎ)した。

 

「その旗は学校で皆の出席を良うするために作った旗でしょ」

「小森なんか、いつかてビリッケツや」

「それはね。小森の人たちがお休みが多いのは、おうちの手伝いをするからでしょ。そやから、佐山君たちみたいに出席のええ村の人たちは、小森の人たちに同情したげなあかんわ。弱い者の味方をするのが強い人のすることでしょ」

「小森なんかバカたれや。同情なんかせんへんわい」

 

そう言って、仙吉は下級生を連れて去って行く。

 

「先生、わしらかて、同情なんてしてもらわんでもええで」

 

孝二の担任の柏木が、教室で出欠を取ると、久し振りの小森の永井武の出席を喜ぶ。

 

「毎日、どんなお仕事してたの?」

「後押し」

 

武は、依頼主の荷物を運ぶ父親・藤作(とうさく)の仕事の手伝いで、大八車の後押しをして欠席していたのであった。

 

学校の休憩時間で、再び仙吉と誠太郎らが言い争うことになる。

 

将校が泊り、肉などで持て成すことを自慢する仙吉に対して、誠太郎は蒸かしたてのサツマイモを届けて大喜びされた話をすると、仙吉は兵隊がよそ者で小森のことを知らなかったからだと笑い者にする。

 

「可哀そうな兵隊や。臭い、臭いエッタのイモ食わされてよったんや。ハハハ」

 

仙吉の話に歩調を合わせて、他の少年たちも「臭い、臭い」と鼻をつまんで、嘔吐する真似をし、笑って誠太郎を馬鹿にするのだ。

 

誠太郎は堪(たま)らず、仙吉に殴りかかり、取っ組み合いの喧嘩となり、「6年生の小森が暴れてます」と女子が職員室へ知らせると、担任の青島が一方的に誠太郎を平手打ちした。

 

青島を睨みつけ、抵抗する誠太郎は、青島に無理やり連れて行かれる。

 

その様子を心配そうに見ている孝二。

 

青島は、廊下でバケツを持って立たされている誠太郎に、佐山を殴った理由を訊くが、「佐山に聞いてください!」と反抗的な誠太郎に対し、「その訳を言うまで許さん」と言うや、バケツを持たせたまま教室に入る。

 

柏木が心配して、青島に話してあげるとバケツを誠太郎の手から降ろすが、それを拒否して誠太郎は自らバケツを持ち続けるのだった。

 

藁(わら)の仲買をする大竹が、ふでの縁談話を持って来くるが、しつこく話す大竹を、ぬいが追い返す。

そこに孝二が帰って来て、誠太郎の件を知ったぬいが学校へと走って向かうと、廊下の奥の方で、バケツを持って立っている誠太郎が見えた。

 

ぬいが近づいて声をかけると、誠太郎は泣き出した。

 

「訊(き)かいでも分かってら」とぬいは職員室へ入り、校長に誠太郎が何をしたかを質すと、青島は喧嘩をして相手の子に怪我をさせたが、その喧嘩の理由を話さないことで、バケツを持って立たせ続けていると弁明する。

 

ぬいは、その理由を誠太郎に代わって話す。

 

「相手の子が誠太郎のことを、エッタ、エッタ言うて、アホにしましたからや」

「それだけですか?」

 

ぬいは、信じ難いほどの無理解に呆れ返る。

 

「それだけ?…わいら世間から、エッタ、エッタ言うて、アホにされてまんがな、我が口で、エッタとは、よう言いまへん。誠太郎が喧嘩の訳をしゃべらんのは、それだす…校長先生。教せえておくんなはれ…エッタいうのは何ですねん?わいら、生まれてこの方、世間の人からエッタエッタ言われて、人間扱いされんと来ましたんや。そやけど、わいらかて、人間や。手も2本、足も2本、ありますがな。指見ておくなはれ。そやけど、世間の人は、わいらをエッタ、エッタ言うて、ケダモノみたいに言いまんのや。なんぼ自分で直そう思うても、エッタは直せまへん。校長先生、どげんしたらエッタが直るんか、教えてくんなはれ」

「困りましたな…私の知る所では、徳川時代はさておくとしまして、明治4年の穢多・非人の解放令以来、日本に穢多(えた)というのはないと承知しておりますが…少なくとも、法律上、そういう身分はありませんな」

「先生は、そない言わはるけど、人様の腹の中にはありまんねんやろな」

「それは何とも」

「わいら、学問がないさかい、難しいこと、ようわかりまへんけども、どうぞ、罪のない子供らだけは、二度とこないに虐めんといておくんなはれ。子供らに、教えておいてくれなはれ。校長先生。約束してくれはりまんな。約束して…約束…」

 

ぬいは顔を覆い、泣きながら訴えるのだった。

 

稲刈りの季節が始まった。

 

武の父・藤作が、ぬいに田を借りたいと地主に聞いてくれないかと頼みに来た。

 

「わし、ガキらにえらい苦労かけてまんねん…わしが小作して、旨(うま)い飯食わしてやりたいねん。わしらの家、臭い臭い南京米や」

 

【南京米とは、明治時代から日本に輸入された中国・東南アジア産のインディカ米のことで、アミロース含量が高いので粘り気が少ない】

 

ぬいは早速、地主に俵米を納めに行くと、佐山の番頭に取り次ぐが、呆気なく断られる。

 

「うちは小森の衆には、田貸したくないな。よそ村の小作人が嫌がるんや」

 

ぬいの家は名誉の戦死をした息子がいるので特別だ、身分を考えろと言い放ったばかりか、誠太郎が地主の息子を殴った話を持ち出し、二度とするなと散々罵倒するのだ。

 

「お前ら、エッタやもん。エッタ言われたかて怒ることあらへんやろ。何もお前がねじ込んでいかなくてもいいやないか」

 

地主はそのことを知っているが、心の広い方だから田を取り上げるとは言わないが、これからは気をつけろと言われたぬいは、「すんまへん、すんまへん」と頭を下げるのみ。

 

空になった荷台にぬいを乗せ、大八車を引くふで。

 

ぬいが真っ赤な夕焼けを見てふでに声をかけ、二人で山に沈む夕陽を眺める。

 

「あの、赤(あこ)う見えるとこがな、西方浄土言うて、阿弥陀はんのいなはることや」

「そうだっか」

「人は死んだら、地主の旦那はんかて、わいらかて皆、あっこ行くねん。あっこ行ったら、誰かて同じや。わいらかて、肩身の狭い思いせんかてええねんで」

 

冬になり、相変わらず草履編みをするぬいたちの元に、誠太郎の奉公先を探しに大阪へ行ってきたふでの弟・悠治(ゆうじ)がやって来た。

 

孝二が先生になりたいと悠治に話すと、悠治は「藤村の『破戒』の丑松(うしまつ)やな」と言った後、「もうちょっと大(おお)きゅうなったら読んでみるんやな」と勧める。

 

部落もんでも先生になれるのかと訊くふでに対して、「そりゃ、なれまっしゃろ」と答える悠治だったが、実際、職先を見つけるのが厳しい現実を嘆く。

 

「わしら、部落もんは好きな仕事もできしまへんのや。わしら一生、人さんに顎で使われる下働きですねん。金にならん乞食より、ちいとましなことばっかりや」

 

被差別部落民の主人公・瀬川丑松は、実父から身分を隠して生きろと言われて育ち、小学校教員となっても父からの戒めを守るが、被差別部落出身の解放運動家の猪子蓮太郎(いのこれんたろう)との出会いと、その死に衝撃を受け、自らの煩悶に耐えられず、遂に生徒に素性を打ち明けて、アメリカに旅立っていくという物語。我が国の自然主義文学の初発点だった。生徒に謝罪する丑松の生き方に対して批判があるが、読者に大きな感動を与えたのも事実。映画やドラマにもなっているが、特に市川崑監督の映画には感動させられた】

 

武が学校に来ないので、担任の柏木が小森の自宅を訪ねて来たが、藤作は貧乏を理由に行かせるつもりはないと言い放ち、武を連れて仕事に出てしまう。

 

何とか義務教育を修了させようと考える柏木は、村の子供たちが草履編みをしている様子を見て回り、学校に通わすことを促すが、やはり義務教育より食べるために仕事を優先させざるを得ない状況があった。

 

柏木は、加工業者に草履作りを案内され、村人から買い取った草履を漂白する作業を見学する。

 

「臭(くそ)うおまっしゃろ。これが小森の匂いだんねん」

 

柏木は咳(せ)き込み、くしゃみを連発することになった。

 

【小森には履物の製造問屋が数軒あり、そこでは納屋の隅にかまどを築き、夕方から翌朝にかけて硫黄の燻(くす)べ漂白を行っている。そんなことから、かまどの名も“くすべ”で通り、そこから多少の亜硫酸ガスが漏れている。硫黄から出るこの亜硫酸ガスは、小森の重要な産業である草履表の漂白には不可避であるが、強烈な臭気を放つから、「小森は臭い」と言われる。/原作参考】

 

教員室に戻った柏木は、青島と意見を交わす。

 

「生意気なようですけど…あの旗で出席の競争をさしても、問題の解決にはならないんではないでしょうか」

「なるほど…あの連中は元々、教育思想や衛生思想がなんかゼロなんですよ」

「それは…一般社会があの人たちをのけ者にするからではないでしょうか」

「それは、彼らにのけ者にされる理由があるからですよ」

 

時を経ずして、誠太郎は大阪へ米屋に奉公に出て、孝二は6年生になっていた。

 

孝二は坂田村のまちえに密かに想いを寄せており、まちえの住む家の方へと足が向かうが、近寄りがたく帰ろうとすると、神社で絵を描いているまちえと遭遇する。

 

まちえが東京の雑誌に絵を出すと言い、孝二も勧められ、二人は楽しく会話する。

 

そんな時、遠くに半鐘の音が聞こえ、どこかで火事になっていると分かり、孝二は心配になって小森へと走っていく。

 

燃えているのが小森と分かると、坂田の消防団は、笑いながら「ほっとけ、ほっとけ」と動こうとしない。

 

孝二が家に着くと、ぬいたちが家から荷物を運び出していた。

 

火元だった藤作の家に、酔っ払った藤作が戻り、巡査が来ると武を探す。

 

武は家の軒下に隠れていたが見つかって、藤作と共に駐在所に連行されることになった。

 

そこでマッチで火をつけて火事を起こしたと自白を誘導された武は、藤作に思い切り殴られる。

 

真夏のうだるような暑さの中、ぬいたちは灌漑作業に勤(いそ)しみ、学校の校長・教職員・全校生徒らは天皇の病気の治癒を祈願して神社にお参りをする。

 

火元が小森だから軽視されたのか、火事の一件が一段落し、大八車を引く藤作がぬいに声をかけてきた。

 

「おまはん、我が娘(こ)売って家建てるちゅうがほんまか」

「そや、ほんまや。紡績工場へ行ってたなつや。京都の色街に売ってしもた。別嬪(べっぴん)やさかい、いい塩梅(あんばい)に金になったで」

 

のけ者にされている藤作が、村人を見返すために家を建てると言うのだ。

 

その夜、武が孝二を訪ねて来て、家の厄介者だから大阪に行くと話す。

 

「わし、火つけたんと違うねん。わしな、富蔵(とみぞう/幼い弟)の守りしとったんや。そしたらな、富蔵な、腹減ったよって泣きよるし、わしかて朝から何も食べてへんやろ。そやから、そら豆炒って食べよう思ったんやねん。そしたらな、火が飛んだんや」

「そやったら、なんでほんまのこと言わんかってん?」

「そやかて、そら豆黙って食べたこと分かったら、またおとっつぁんにどつかれると思って、怖かったんや」

 

孝二は泣いている武に、ぬいに話して、巡査に掛け合うと言って慰めると、武はそんなことしたらまたどつかれると答え、「さいなら、孝やん」と言って帰って行く。

 

その夜、武の母さよが、武を探してぬいの家を訪ねて来て、寝ている孝二を起こし、遠い所へ行くと言っていたと聞き出す。

 

火事のことを気にしていたという武が心配になり、皆で武の名を呼び探すが、翌朝、藤作が武の遺体を抱え、村人に「火事のお詫びしよりましてん。体中、カミソリで刻みましたんや…」と、泣いて語りながら練り歩くのだ。

 

それを沈痛な面持ちで見つめる、ぬいとふで、孝二。

 

小森の悲劇の連鎖が広がって、もう、為すべき何ものもないようだった。

 

人生論的映画評論・続: 橋のない川('69)  沸点に達した少年が状況を支配し、新たな情景を拓いていく  今井正