秋刀魚の味('62) 小津安二郎 <成瀬的残酷さに近い、マイナースケールの陰翳を映し出した遺作の深い余情>

 1  「小津的映画空間」を閉じるに相応しい残像を引き摺って



 死を極点にする「非日常」を包括する「日常性」を、様式美の極致とも言える極端な形式主義によって、そこもまた、根深い「相克」や、「祭り」の「喧騒」、「狂気」を内包する「騒擾」を削り取ることで、永久(とわ)に続くと信じるこの国の、「穏和」と「ユーモア」が溶融する、極めてミニマムな「映像宇宙」の中に、パーソナル・エリアを最近接した者たちと、「日常性」という「安寧の時間」を「共有」してもなお生き残される、「絶対孤独」という「無常感」の「儚さ」。

 この「儚さ」を、様式化された「構図」の中に詰め込んで、それを破壊しないレベルで、そこはかとなく漂う心象風景を特定的に切り取った「映像宇宙」 ―― それが、「小津的映画空間」である。

 小津安二郎監督にとって、この「映画空間」を具現するに相応しいジャンルこそ「ホームドラマ」であった。

 そこで表現される「ホームドラマ」のミニマムな世界で、小津監督は、映画作家として様々な試行の果てに培って、そこで到達したと信じる一切を自己投入していったのである。

 しかし、小津監督の構築した「ホームドラマ」が普遍性を獲得するには、「時代」との相応の睦みが保証されていなければならなかった。
 
  この「時代」との睦みが保証されるには、小津監督が欲したであろう、この国の「古き、善き原風景」の生命力が決して安楽死しないと信じられる、絶対規範とも呼ぶべき何かが必要だった。(画像は小津安二郎監督)

 ところが、「時代」の目まぐるしい変遷は、小津監督の欲したイメージを遥かに超えていた。

 本作の中で、長男の幸一夫婦の会話が、時代を映す鏡のように描かれていたことが印象深い。

 ゴルフクラブを購入したい夫と、それを贅沢と詰(なじ)る妻もまた、自分の消費欲求を口に出すシーンである。

 このシーンに象徴されているように、目眩(めくるめ)く変容を遂げていく時代は、「より豊かに、より快楽に溢れた文化」を作り出してしまったのである。

 それが、東京オリンピック(1964年製作)の開催を間近に控えた、この国の大衆社会の不可避な自己運動であったからだ。

 「晩春」(1949年製作)と殆どテーマを同じにする、この遺作の時代背景には、「晩春」が作られた時代よりも、「三種の神器」に象徴される高度経済成長という、大衆消費文明の自己運動が遥かに剥き出しになっていて、小津監督が構築した「ホームドラマ」のイメージの理念系を置き去りにする尖りが内包されていたのである。
 
 だから、白無垢の嫁入り衣裳のカットを挿入した、この遺作で語られる主人公の孤独の境地には、「晩春」での父娘の、インセストの如き「睦みの美学」を、呆気なく壊すに足るような「置き去り感」が張り付いていた。

 この時期、図らずも、最愛の実母を喪ったトラウマが、小津監督の胸裏を必要以上に騒がせていたか否かについては不分明である。

 然るに、詳細は後述するが、哀感の極みのようなラストカットの「無常感」は、「小津的映画空間」を閉じるに相応しい残像を引き摺っていたことだけは否定し難いのだ。
 
 
(人生論的映画評論/秋刀魚の味('62) 小津安二郎  <成瀬的残酷さに近い、マイナースケールの陰翳を映し出した遺作の深い余情>)より抜粋http://zilge.blogspot.com/2011/10/62.html