奇跡('54) カール・ドライヤー   <ヨハネスという投げ入れる祈り、幼子という微笑みのイノセンス ―― インガの蘇生という奇跡の構造>

 ボーエン家に、あってはならない事態が出来した。

 産気づいたインガが、難産の危機に遭ったのだ。

 インガの存在の大きさを感受する家族は、皆オロオロし、不安を募らせるが、結局死産となり、医師の楽観的見立てに反して、遂にインガ自身も昇天してしまったのである。

 “汝らは我をたずねん。されど、我が行く所に来ることはできぬ”

 キリストを自称する「狂人」のヨハネスは、家族がインガを救えなかった悔いによってか、「ヨハネ福音書」の中の言葉を残して、家を去っていった。

 慌てふためく家族はヨハネスを捜すが、行方知れずだった。

 そんな折、深い哀しみに打ち拉がれるインガの家族の前に仕立て屋が現れ、自責の念を伝え、娘を連れて随伴して来てアーナスとの結婚を承諾するが、そこに突然、正気に戻ったヨハネスが帰還して来た。

 式も終わり、インガの納棺目前だった。

 帰還したヨハネスが、眼の前の家族らに向かって挑発的言辞を吐いたのだ。

 「インガの復活を神に祈ろうとは、誰も思わなかったのか」
 「ヨハネス。それは神への冒涜だぞ」と父。
 「違う。皆の中途半端な信仰こそ、冒涜だ。祈っていれば、神は耳を傾けたはずだ」とヨハネス。
 「妻の遺体の前で、そんな話はよせ」とミケル。
 「兄さん、真の信仰を持つ者が、何故いないんんだ」とヨハネス。

 ヨハネスはインガの傍に行き、思いを怒りに変えた。

 「インガ、朽ち果てろ。この世は腐ってる」

 インガの幼い娘が、ヨハネスを促す。

 「伯父さん、急いで」
 「幼子よ。幼子は天国で最も偉大な存在だ」とヨハネス。

 「早くして」と幼子。
 「私にやれると信じているのか?」とヨハネス。
 「うん。信じてる」と幼子。

 微笑む幼子。

 「見事な信仰心だ。願いは果たされよう。私がイエスの名を呼ぶと、母さんは生き返る」

 ヨハネスはそう言って、少女の手を握り、インガに呼び掛ける。

 「死者よ、我が声を聞け」

 「頭が変だ」と言って、牧師はヨハネスの勝手な振舞いを止めさせようとするが、医師が制止した。

 「命を救いたいと思うことが変なのか」

 ヨハネスの怒りは、なお継続力を持っている。

 「・・・イエス・キリストよ。願わくば、インガを蘇えらせたまえ。お言葉を与えたまえ」

 ヨハネスの祈りも、継続力を持っている。

 幼子はずっと、母であるインガを見守っている。

 「インガ、イエスの御名において、汝に銘じる。起きよ!」

 それが、ヨハネスの最後の祈りとなった。

 蘇生するインガ。

 復活したのだ。

 インガを抱擁し、復活の至福に感涙するミケル。

 これが、「ヨハネスという投げ入れる祈り、幼子という微笑みのイノセンス ―― インガの蘇生という奇跡の構造」であった。

 この「大復活劇」という奇跡の構造を映し出して、一貫して静謐な映像は閉じていった。


(人生論的映画評論/奇跡('54) カール・ドライヤー   <ヨハネスという投げ入れる祈り、幼子という微笑みのイノセンス ―― インガの蘇生という奇跡の構造>」)より抜粋http://zilge.blogspot.com/2010/12/54.html