雨あがる('99) 小泉堯史 <「貧者」=「救済されるべき弱者」という、「スーパーマン」映画のファンタジームービー>

 本作の基幹メッセージを支えると思われる「決め台詞」の一つ目は、以下の言葉。

 「刀は人を斬るものではない。バカな自分を、いや、自分のバカな心を斬り捨てるために使うものです」

 背景を説明すると、主人公の伊兵衛は、偶然、侍同士の果たし合いに遭遇して、自らその突沸(とっぷつ)した状況に身を投げ入れていく。

 これは、そのときの「決め台詞」である。

 思えば、江戸時代も享保期となれば、武士が戦場で命を賭けて戦うという事態は発生しなくなる。

 要するに、人を斬る道具としての刀を持つ「武士」の存在は不要になったということだ。

 しかし、戦場で戦うことなく、非生産階級としての「武士」という存在を堅持するためには、それを証明する物理的アイデンティティが必要となる。

 それは、「武士」の「誇り」を表現するものでなければならない。

 「武士」の「誇り」を表現するものとして特化された物理的アイデンティティの一つが、2本の刀を腰に差す帯刀である。

 それは、支配階層としての「武士」のの証であったのだ。

 時の幕府は、「武士」のみに帯刀を許可したのである。

 だからと言って、刀の存在価値は、「いざ鎌倉」の際に駆けつけていく「武士」たちの、それ以外にない武器であることには変りはない。

 従って、刀はどこまでも、「人を斬る」道具としての存在価値を失わないのである。

 それ故、刀の存在価値が、「自分のバカな心を斬り捨てるために使うもの」という信念は、形而上学以外の何ものでもないという訳だ。

 この「決め台詞」は、苗字帯刀が許可されていたという一点においてのみ、武士としての認知を得ていたに過ぎない一介の浪人である、主人公の伊兵衛の形而上学的信条の吐露でしかないのだ(注)。

 本作の主人公は、自らの信条を、まさに「前線」での戦闘中の渦中に投げ入れたのである。

 その描写に着目するだけで、主人公の伊兵衛が、「前線」での戦闘中の興奮状態にある侍たちに対して、形而上学的信条を投げ入れる行為の無意味さが読み取れるのだ。。

 この行為を見るだけでも、本作の主人公が、自分の信念を他者に押し付けるタイプの、喰えない男でであることが判然とするだろう。

 正直、こんな意地悪な見方も可能にする「決め台詞」だったのである。

 ―― 「決め台詞」の二つ目は、以下の会話の中の言葉。

 「勝った者の優しい言葉は、負けた者の心を傷つける。何だかからかわれているような気がして、腹が立つ!」
 「本当にお強い方は、どんなに善良に生まれついても、誰かしらの恨みを買ってしまうでしょうに…」

 伊兵衛の腕と人柄に惚れた城主が、藩の剣術指南番に招く際の御前試合でのこと。

 伊兵衛の相手になった城主が池に落とされた際、伊兵衛から「つい、本気になって」と言われ、あろうことか、殿様である城主は一介の浪人に同情を寄せられたのである。

 伊兵衛は、それ以前の御前試合でも、腕達者な相手の家臣に対して、「すいません。大丈夫ですか。手は痛くありませんか?」などと、労わるような言葉を洩らしていたのである。

 この会話は、恥をかかされた城主と、その妻の言葉の遣り取りの一部である。

 この「決め台詞」は悪くない。

 人間の心理を的確に言い当てているからだ。

 当の城主は、本質を衝いたこの正妻の言葉が、伊兵衛の仕官がしくじる原因であることを知るのである。

 要するに、伊兵衛という名の「スーパーマン」が、階級の相違から庶民の尊敬を得ても、立場を最近接する同階級の恨みを買ってしまうことを説明するシークエンスになっているのだ。

 何のことはない。

 作り手自らが、黒澤流の暑苦しさを希釈させつつ、本作が「スーパーマン」映画であることを認知しているのだ。

 観る者は、これを「優しい気持ちにしてくれる温かな映画」という風に受容することを前提に、不満を噴き上げる夜鷹の女のストレスをも吸収するシーンに象徴されるように、江戸庶民を「救済」対象の弱者としか描けない、相も変わらぬ類形的な庶民像に囲繞されられながら、「椿三十郎」、「用心棒」からワイルド性を脱色させたら、「優しさに飢える現代人」に睦み合うような、かくも温和で、柔らかで、爽やかな印象を決定付ける「現代のスーパーマン」像が立ち上げられたのである。

 それだけの映画だった。


(注)江戸時代の侠客には、一本刀や匕首(あいくち)しか認可されていなかった事実と比較すれば瞭然とするだろう。


(人生論的映画評論/雨あがる('99) 小泉堯史 <「貧者」=「救済されるべき弱者」という、「スーパーマン」映画のファンタジームービー>」)より抜粋http://zilge.blogspot.com/2011/01/99.html