ただいま('99)  チャン・ユアン <「贖罪意識の累加の17年」という内実の重さ>

 1  これ以上削れないという、ミニマムな描写の提示のうちに鏤刻した構築的映像



 ラスト9分間で勝負する、この90分にも満たない映像の完成度の高さに舌を巻いた。

 内側から込み上げてきたものが、幾筋もの液状のラインを成して、相貌を崩すほどの感動を与えた映像の決定力を支え切ったのは、限られた登場人物の心理の振幅が、これ以上削れないというミニマムな描写の提示のうちに、それ以外にない構築的映像を鏤刻(るこく)したからである。

 観る者の感動を意識させた情感系の映画を最も嫌う私が、本作にによって涙腺を緩める羽目になってしまったのは、この映像が「泣かせる映画」に張り付くフラットな感動を超えていたからだ。

 ラスト9分間に至るまでの主役を担う登場人物の精緻な心理の振幅と、17年間にも及ぶ刑期を生きてきた、件の娘の「突然の一時帰宅」を受ける家族の心理の振幅が捩(よじ)れて、そこで晒された不協和音が、それ以外にない軟着点に雪崩込んでいった描写のうちに、主題提起力と構成力によって成る映像構築をほぼ完璧に保証したこと。

 何より、その一点において、削って削り抜かれた構成力の圧倒的な潔さを提示した本作は、純粋なインディーズ作品を世に送り出してきた作り手の、その稀有な才能の一端を垣間見せたものだった。

 本作の主題は、「現代中国の近代化の中の『家族の普遍性』」という辺りにあるだろうが、私は本作から「人生論的映画評論」の視座に立って、「赦しの心理学」という問題意識に刮目(かつもく)し、その点に沿った言及をしていきたい。

 理由は、本作で展開された、あまりに精緻な心理描写に感嘆したからに他ならない。



 2  5元盗難事件が惹起した過失致死事件



 本作で描かれた物語は、極めてシンプルなものである。

 以下、簡単にフォローしていく。

 それぞれに連れ子の娘を持つ男女が再婚し、人並みの家族を作っていくが、両者の価値観や能力の差異が顕著であったためか、既に16歳の高校生になっていた二人の娘の学力と性格の落差は、彼女らの親の感情傾向に微妙な影響を与えていく。

 母親の連れ子である、16歳の高校生タウ・ランは、勉強嫌いでアバウトな性格。

 その一方、父親の連れ子であるシャオチンは、勉強熱心で優等生タイプだが、その性格は、「大学を出て、一日でも早くこんな家を出たい」と考えるクールな思考の主。

 ある日のこと。

 父親がうっかり置いた5元の紙幣をシャオチンが盗み隠した一件が、小さな家族騒動となり、自分が疑われる事態を回避するために、シャオチンはタウ・ランの布団の下に5元の紙幣を忍ばせた。

 当然、タウ・ランが5元の紙幣を盗み隠した犯人とされ、それでなくとも娘の不行跡に劣等感を持つ、彼女の母親の烈火の怒りを買った。

 しかし、全く覚えがないタウ・ランは、登校中のシャオチンに疑義を糾すが、それを無視する義姉の態度に憤った彼女は、勢い余って手に取った棒で、シャオチンの後頭部を殴打してしまった。

 打ち所が悪く、これがシャオチンへの過失致死となり、タウ・ランは警察に逮捕されるに至ったのである。

 そして、タウ・ランは北京市女子刑務所に収容される事態となった。

 1981年のことである。



 3  「戻るべき場所」を失った「空白の17年」



 タウ・ランが女子刑務所に収容されてから、17年が経過した。

 中国監獄法に基づいて、旧正月の儀式に準じて、一時帰宅を許された北京市女子刑務所の7名の囚人たちの中で、模範囚となったタウ・ランだけには笑顔はなかった。

 「戻るべき場所」がないからだ。

 「犯した犯罪」の難しい性格からか、当然の如くと言うべきか、彼女の両親の出迎えはなかった。

 今や30歳を過ぎたタウ・ランは、北京市女子刑務所の女性教育主任に付き添われて、重い家路に就くのだ。

 17年後の娑婆の風景は、彼女が収容されている女子刑務所の変りなさと比較して、あまりに変容著しかった。

 映像の構図の中で、刑務所の塀の内外を俯瞰する風景が映し出されていたが、トラックや乗用車が頻繁に行き交う塀の外の風景は、明らかに、タウ・ランが記憶しているこの国の都市の風景と切れていた。

 胡同(フートン)と称されるる北京独特の裏路地の風景も、「観光スポット」という存在価値を際立たせてはいるが、この17年間の加速的な近代化の中で、北京の町はすっかり変容していたのだ。

 彼女が住んでいた場所が瓦礫の山と化していた風景の荒涼感が、何よりそれを物語っていた。

 中華人民共和国という社会主義国家の風貌が、イデオロギッシュな毛沢東時代と訣別するほどに変容していたのである。

 既に、中国の経済発展を支えてきた、深圳(しんせん)・珠海(しゅかい)・汕頭(スワトウ)に代表される経済特区は設置されていたが、農業集団化のための組織の象徴であった人民公社は実質的に廃止され(生産責任制の導入)、農村部と都市部、沿岸部と内陸部における経済格差を拡大させるに至った改革開放政策のうねりは、BRICsと呼ばれ、「世界の工場」と化す経済大国にまで成長するに及んでいた。

 それが、記憶化の進行の時間が停止していた、タウ・ランの「空白の17年」の内実だった。

 「17年間の過程を省略したのは、受刑者の監獄生活なんて誰でも想像できると思ったからです」(「TOKYO FILMEⅩ チャン・ユアン監督 インタビュー」)

 これは、チャン・ユアン監督自身の言葉。

 まさに、タウ・ランの「空白の17年」の内実を検証する言葉である。

 17年間の過程を省略した映像の潔さは、却って、本作の主題を鮮明にする効果を生んだのだ。


(人生論的映画評論/ただいま('99)  チャン・ユアン <「贖罪意識の累加の17年」という内実の重さ>」)より抜粋http://zilge.blogspot.com/2010/11/99.html