定着への揺らぎと憧憬―「寅さん」とは何だったのか

 序 ――「反近代」の庶民の旗手として

 
 どこかで、誰かが、強烈なイメージを漂わせながら、異議申し立てをして欲しかった。

 過激派ではなく、狂信者ではなく、もっと遥かに世俗の匂いを嗅がせるキャラクターこそ求められた。高度成長の澎湃(ほうはい)はかくも破壊的だったのか。どこの国でもそうであるように、絶えず両極を生み出してしまうが故に、極端に流れることを嫌い、常にバランスを求めるこの国の文化の中で、時代のアンチテーゼが必要だったのである。
 
 「寅さん」の出現こそ、それに相応しかった。

 そんな時代の空気と相対的に自由だった頃の、自由な香具師(やし=テキヤ)の生きざまを、喜劇仕立てで演出していた作り手が、ハナ肇時代(注)とは比べものにならないほどの国民的支持を得たことで、作り手なりのキャラクターイメージを、恐らく、その拠って立つ理念で固めていったように思われる。

 「反近代」の旗手として、「車寅次郎」という稀有な人物像を立ち上げて、そこに「葛飾柴又」に象徴される、「下町」と呼ばれる庶民世界を絡ませていく基幹ストーリーをベースに、そこを起点として移動を重ねる自由な魂が縦横に展開する世界のうちに、素朴なる田舎の自然と厚き人情が決定的に蘇生したのである。そして、「美しき日本の自然」が、年二回、大スクリーンに存分な情感を含ませて復元したのである。

 寅さんはかくて、「反近代」の映像の象徴として、高度成長の時代の終りを駆け抜けたのだった。


(注)山田洋次監督は、1964年の「馬鹿まるだし」の演出以来、「馬鹿が戦車でやってくる」などの「馬鹿シリーズ」を発表して、俳優としてのハナ肇の哀歓溢れるキャラクターを造形して、後の「寅さん」の原イメージに繋がったと思われる。1996年の「なつかしい風来坊」は、監督、俳優共にその時期での最高傑作という評価が定着している。


 寅さんの旅は、高度成長の後にも繋がっていく。

 時代がシフトしても、時代が残した傷痕を誰かが検証しなければならなかったからである。傷痕の検証者は、できれば時代に害を及ぼす者でない方がいい。自分たちが苦労して辿り着いた豊かさを確信的に拒むことなく、「古き良き時代」への郷愁を明るく歌ってくれるような人物、即ち、寅さん的人物像が最適だったのだ。
 

(心の風景 /定着への揺らぎと憧憬―「寅さん」とは何だったのか )より抜粋http://www.freezilx2g.com/2008/12/blog-post.html(2012年7月5日よりアドレスが変わりました)