時計じかけのオレンジ('71) スタンリー・キューブリック <「自己統制の及ばない反動のメカニズム」への痛烈な糾弾の一篇>

 1  「超暴力」の限りを尽くして ―― ミルクバー、ナッドサット言語、そして「第九」の陶酔感覚



 その詳細は後述するが、本作は、「ルドビコ心理療法」と呼ばれる洗脳実験の「治験前」と、「治験後」の様態を描き出す映画である。

 ここでは、「治験前」を象徴する、バイオレンスと集団レイプの連射によるハードな映像を簡単にフォローしていく。

 全体主義的な様相を見せつつある管理社会下にあって、近未来のロンドンの都市の秩序は乱れ切っていた。
 
 治安状態の悪化は、ティーンエージャーのギャング集団を跋扈(ばっこ)させ、集団同士の乱闘を常態化させていた。

 その中にあって、アレックスをリーダーとする4人の不良少年による、バイオレンスと集団レイプの蛮行が、執拗に描かれていく。

 映像の冒頭シーン。

左目に付け睫(つけまつげ)をする異様な出で立ちによって、リーダーの座を誇示するアレックスがミルクバーで飲むミルクには、興奮作用を惹起する麻薬成分が含まれていて、ここで供給された熱源の異常な昂揚感の中で「夜のプラン」を練っている。

 ナッドサット言語(英語とロシア語より成る、合成的な人工言語)によって説明される3種類の興奮剤が、アレックスたちを「超暴力」へと駆り立てていくのだ。

 この夜の「超暴力」のラストショーは、反政府的作家の大邸宅への略奪的侵入。

 作家本人への暴行と、その妻への身の毛も弥立(よだ)つ集団レイプ。

 「超暴力」の限りを尽くして帰宅したアレックスが、自室で放った一言。

 「申し分ない夜だった。完璧な仕上げは、ルドヴィヒの音楽に任せよう」

 陶酔しながら「第九」を聴くアレックスが、そこにいた。

 ここまでの所要時間は、約17分程度。

 「治験前」の映像のエッセンスは、殆どそこに凝縮されていた。

 「ヤーブル」、「デポチカ」、「ホラーショー」、「フィリー」、「マレンキー」、「ドゥーク」、「グブリ」、「ヤーブロッコ」、「ノズ」、「ブリツバ」、「トルチョック」、「スパチカ」、「ダダ」、「マム」、「スルージュ」等々。

 その意味は想像可能だが、多くは読解困難なナッドサット言語を記録すると、以上の通り。

因みにこれは、字幕翻訳家として、その名を知らしめた原田眞人(「KAMIKAZE TAXI」、「金融腐蝕列島」等で著名な映画監督/画像)の仕事であった。

 更に、ビリーボーイ一派(ライバルの非行少年グループ)との喧嘩の情報を知った更生委員の訪問があり、アレックスの自室で、彼の急所を鷲掴みしながら、「申し分ない家があり、頭も悪くないのに、悪魔が体を這い回るのか」などと戯(じゃ)れて恫喝する描写は、この国の権力機関の腐敗ぶりを存分に露呈させていた。

 映像のその後の展開は、軟派したアレックスのセックスシーン(BGMの多用と、ノンストップの早送り)と、仲間の裏切りに遭って逮捕されるシーンに集約されるが、後者こそ「治験前」を終焉させるシーンとして、映像前半の括りとなっていく。

 以降、「治験後」の映像展開をフォローしていく。

 
(人生論的映画評論/時計じかけのオレンジ('71) スタンリー・キューブリック <「自己統制の及ばない反動のメカニズム」への痛烈な糾弾の一篇>)より抜粋http://zilge.blogspot.com/2010/05/71.html