フルメタル・ジャケット('87) スタンリー・キューブリック <「戦争における『人殺し』の心理学」についての映像的検証>

 1  「狂気」に搦め捕られた「殺人マシーン」の「卵」と、「殺人マシーン」に変容し切れない若者との対比



 本作の物語構造は、とても分りやすい。

 それを要約すれば、こういう文脈で把握し得るだろう。

 「殺人マシーン」を量産する「軍隊」の、極めて合理的だが、それ故に苛酷なる短期集中の特殊な新兵訓練を通して、「殺人マシーン」の「卵」を孵化させるプロセスで、孵化する前に「狂気」に搦(から)め捕られてしまった新兵と、その「卵」を孵化する最低限の条件をクリアしながらも、既に充分過ぎるほど、「殺人マシーン」が量産されている前線に踏み入っても、「殺人マシーン」に変容し切れない若者との対比を描くことで、「殺人マシーン」を量産する「軍隊」の目的点である「戦争」の本質と、そこへの「最適適応」の困難さ、厄介さを浮き彫りにした物語構造を持った問題作 ―― それが、「フルメタル・ジャケット」である。

「殺人マシーン」を量産する超合理的なシステムを内包する空間は、本作で言えば、南カロライナ州の合衆国海兵隊新兵訓練基地。

 そこでの、「殺人マシーン」の「卵」を孵化させるプロセスで、孵化する前に「狂気」に搦(から)め捕られてしまった新兵とは、レナード(ゴーマー・パイル)。

 “微笑みデブ”と仇名された、軟弱な新兵である。

 また、「殺人マシーン」が量産されている前線に踏み入っても、「殺人マシーン」に変容し切れない若者は、ジョーカー(J.T.デイヴィス)。

 映画の前半は、このレナードへの苛酷な訓練を執拗に描き出していき、後半は、「殺人マシーン」に変容し切れない若者ジョーカーの、前線下の適応化のプロセスでの迷走を描き出していく。

(人生論的映画評論/フルメタル・ジャケット('87) スタンリー・キューブリック <「戦争における『人殺し』の心理学」についての映像的検証>)より抜粋http://zilge.blogspot.com/2011/06/87.html