奥武蔵・秩父の春

 練馬区西大泉に自宅兼用の学習塾の借家を借りた関係から、アマチュアカメラマンとしての私の行動エリアは限定的だった。

 限定的な行動エリアの中で、私が最も足繁く通ったエリアは、奥武蔵・秩父の集落だった。

 「西武秩父行き」の下りの西武線快速急行を利用すればいいだけの話なので、こんな楽しい風景紀行もなかった。
 
 下りの西武線が飯能に着いてから、西武秩父駅に到着するまでの間に点在する9ヵ所の駅(東飯能駅を除く)で、それぞれ下車して、そこから外秩父山地の東麓の丘陵地の広がるハイキングコースに身を任せ、標高500mから800m程の奥武蔵の峠や山岳風景と出会うまで、私は幾つかの集落の清澄な空気を嗅いでいく。

 それぞれの集落には、季節の花が周囲の風景と溶融するように彩っていて、それを見遣る私の体は自然に止まってしまう。

 山間集落に咲く季節の花々の彩りは、都心のそれと違って濃密であり、それを咲かせる民家の質素な佇まいのうちに溶け込んでいるから、私にとって、エリアそのものが被写体になってしまうのである。

 都心でソメイヨシノが咲くころには、ほんの少し遅れるように、山間集落の民家に咲くウメやヒガンザクラ、ラッパズイセンなどの花々が一斉に咲き揃っていて、私の心は騒いで止まなくなるのだ。

 まもなく、陽春の花が咲き誇る4月下旬になると、新緑の美しさも加わって、エリア全体が信じられないほどの風景美を演出してくれるのである。

 そんな中で、私が必ず毎年訪れる所がある。

 ヒガンザクラが満開になる聖天院と、十数本の紅梅に囲繞される高麗家住宅。

 そして、サクラが咲く頃の顔振峠の集落である。

 其処彼処(そこかしこ)にミツバツツジが植生されていて、それを峠や尾根から俯瞰する風景は名状し難いほどの感動がある。

 だから、私の奥武蔵・秩父紀行は、トレッキングを愉悦する時間と重なって、まさに心身共に浄化される気分になっていく。

 秩父の全札所も含めて、比較的健脚だった頃の私の風景の旅は、学習塾の仕事と完全に両立し、殆どこの二つの私的な時間が、20年近くに及ぶ私の西大泉時代の生活の全てだったと言っていい。

 言うまでもなく、私にとって最も近しい風景は、この奥武蔵・秩父以外の何ものでもないのである。