おくりびと(‘08)  滝田洋二郎 <差別の前線での紆余曲折 ―-「家族の復元力」という最高到達点>

 雪靄(ゆきもや)の中を、自然の営為に寄り添った走行をする一台の営業車。二人の納棺師が車内にあって、不必要な会話が削られたそのシーンこそ、本作のファーストシーンであった。

 その車を運転する若き納棺師のナレーションが、ダークグレーに染まる映像の静謐さの中に刻まれた。

 「子供の頃に感じた冬は、こんなに寒くなかった。東京から山形の田舎に戻って、もうすぐ2か月。思えば、何とも覚束ない毎日を生きてきた」

 その後、映像は一転して、眩い輝きを放つ雪景の中に堂々と建つ古民家を映し出し、その玄関には葬儀花輪と共に、「忌中」と書かれた黒枠付の札が貼られていた。その日は、自殺した一人の青年の納棺の儀式を執り行う仕事を受けたのである。

 「納棺のお手伝いに参りました」と挨拶したのは、「NKエージェント」の佐々木社長。

 遺体の損傷の痛みがなく、佐々木は「練炭自殺だ…」と特定する。遺体に被せた白い布を取って、顔を覗き込んだ大悟は「美人だ…」と一言。
 
 「やってみるかい?」という佐々木に、遺体の顔を確認ながら、大悟は「ハイ」と一言。小さいが、納棺師としての力強い思いのこもった反応だった。

 仕事を開始するや、「美女」の遺体に大悟は違和感を覚えた。

 「ついているんですけど…」と大悟。佐々木に呟いた。

 その表情には、納棺師としての仕事に不慣れな者の困惑ぶりが露わになっていた。遺体は「男性」だったのである。その名は、留男。この辺りで、観る者は、青年の自殺の原因が朧(おぼろ)げに想像できるだろう。

 佐々木は全く慌てることなく、遺族に、「男性用の化粧か、女性用の化粧」かの選択を求めた。両親の軋轢(あつれき)を露わにした困惑気味の遺族から、「女性用の化粧」という返事が返ってきた。その確認を取った後、大悟による芸術的化粧の世界が開かれていく。

 以上の、些かユーモア仕立てのエピソードが内包する世界が、深々と表現する情感系の文脈は、本作の白眉とも言える奥行きを映し出していった。それについては次章で後述する。なぜなら、映像はここから過去の時間に戻っていくからである。
 
 
(人生論的映画評論/おくりびと(‘08)  滝田洋二郎 <差別の前線での紆余曲折 ―-「家族の復元力」という最高到達点>  )より抜粋http://zilge.blogspot.com/2009/07/08.html