ドライビング Miss デイジー('89)  ブルース・ベレスフォード<「関係の濃密さ」を構成する要件についての映像的考察>

 1  「関係の濃密さ」を構成する要件について



 そこに微妙な温度差を示しつつも、「関係の濃密さ」を構成する要件について、私は以下の因子を包含するものと考えている。

 それぞれを列記すると、「親愛」、「信頼」、「礼節」、「援助」、「依存」、「共有」という心理的因子である。

 それぞれに当然の如く誤差があり、全てが必要要件であるとは言えないものの、この「関係の濃密さ」を、他の関係、例えば、打算的なビジネス上の関係や、職務における上下関係、近隣の表面的な関係などと分れるものとして認知することは当然である。

 従って、これらは、「友情」を構成する要件であると言っていい。
 本作における、ユダヤ系老婦人Miss デイジーと、黒人ドライバーのホークとの関係を、この視座でフォローしていくと興味深いので、ここでは、「人生論的映画評論」の観点に依拠して言及していきたい。
 
 
 2  「形式的依存感情」から「信頼」感情の形成へ



 自慢のキャデラックに乗り込もうとするMiss デイジーの運転事故によって、息子のブーリーは、彼女に対して専属運転手を雇うように薦めるが、自立心溢れて、気位の高いMiss デイジーは全く聞く耳を持たない。

 母を案じるブーリーの目に留まったのが、人好きのする明朗な振舞いを見せる黒人男性。

 その名は、白髪交じりの初老のホーク。
かくてホークが、Miss デイジーの専属運転手として雇われるに至る。

 以下、Miss デイジーと、息子のブーリーとの短い会話。

 「彼に挨拶を」とブーリー。
 「憲法を書き換えない限り、私は権利を守るよ」とMiss デイジー
 「私は今まで、黒人の使用人を使わずに育てられたのよ」
 「“黒人の使用人”?いかにも、保守派の使いそうな言葉だ」とブーリー。
 「私は偏見など持ってませんよ。見損なわないで!」
 偏見の濃度の高い「南部社会」の世俗文化と一線を画すかのような、ブーリーのリベラル性が垣間見える物言いだったが、偏見で人を見る狭隘さを持たないことを顕示するMiss デイジーの反駁のうちに、却って「人種」を意識するメンタリティーが露わになっていた。
 
 
(人生論的映画評論/ドライビング Miss デイジー('89)  ブルース・ベレスフォード<「関係の濃密さ」を構成する要件についての映像的考察> )より抜粋http://zilge.blogspot.com/2011/06/miss-89.htm