武蔵野古刹の春

 石神井長命寺

 別名、「東の高野山」とも言う。

 「当寺院は、慶長18年(1613年) に後北条氏の一族である増島重明(北条早雲のひ孫にあたる。のちに出家して慶算阿闍梨になる)によって弘法大師像を祀る庵を作ったのが始まりといわれている。その後寛永17年(1640年) 奈良・長谷寺の小池坊秀算により十一面観音像が作られ、『長命寺』の称号を得る。当初は山号は秀算により谷原山と称したが、当寺院が高野山奥の院を模して多くの石仏・石塔が作られており、東高野山とも称されるようになり『東高野山』として人々から信仰を得るようになった」

 これが、真言宗豊山派の寺院である、長命寺の沿革について説明したHPの一文である。

 江戸時代から人々の信仰を得ていたこの古刹は、私にとって、「知られざる花の寺」でもあった。

 境内が季節の花で埋まるような「花の名所」ではないが、この古刹の陽春と晩秋の季節が彩る、目立たないが、そこだけは譲れないと思わせる、小さなスポットが織り成す風景美が、私を惹きつけて止まなかったからである。
 早春を告げるウメ(画像)、ジンチョウゲ、ツバキ、シモクレンなどが花のリレーを繋ぎ、これが陽春を凛として表現するサクラの淡いピンクを、より一層引き立たせる露払いの役割を演じて、3月から4月にかけて、繰り返し訪ねた「知られざる花の寺」である。

 大抵、平日の午前中に訪れるから、私のようなアマチュアカメラマンと遭遇する機会が全くなかった。

 そこがいい。

 寂寥感とは無縁な静謐さがあった。

 これが、古刹の情趣を駆り立てて止まない訴求力の一つとなっていた。

 ブルースカイに映えるサクラの眩さは、静かな境内にあって、「一幅の名画」と呼ぶほどの訴求力がなかったが、いつ来ても清々しい雰囲気が、「小さな春」を感じさせるに充分な風情を表現していた。

 そして晩秋。

 このブログの「武蔵野晩秋」で紹介しているが、「高野山奥之院」へと続く参道が、霊場に相応しい雰囲気を醸し出す情趣のピークアウトを表現する、晩秋の風景美は忘れ難い光景だった。

 参道の両脇に植樹されているカエデやイチョウの樹木が黄紅葉し、それが風雨に打たれて落葉の絨毯となる。

 「武蔵野古刹の春」という印象と無縁だが、晩秋のの彩りは、そこに散在する石仏を埋めるほどの色彩美を表現して、息を呑む程の美しさなのだ。

 誰もいない小さなスポットが織り成す色彩美に包まれて、もう、そこに佇んでいるだけで充分に満足だった。


 更にここでは、「ボケ寺」で名高い専念寺(横浜市)のボケが、私の愛着の深いビュースポット。

 昭和55年に開園した、このボケ園にはで、1200株のボケが植えられていそうだ。

 多彩なボケの花の中で、私を惹きつけて止まないのは朱色・オレンジ系のボケ。

 早春から咲く花の中では、朱色・オレンジ系のボケは最高である。

 専念寺の他にも、情趣のある平林寺(新座市)の早春の風景がいい。

 平林寺の茅葺の納屋と、1本の紅梅の古木のペアは、禅宗の風格にマッチしていて、とても絵になる構図である。

 三宝寺(練馬区)のウメ、ツバキ。

 天寧寺(青梅市)のウメ。

 金剛寺青梅市)のシダレサクラ。

 観蔵院(練馬区)のコブシ、等々。

 川越大師喜多院と中院のサクラ。
 
 全て私の好きな古刹の季節感を表現していて、思い出の風景ばかりである。(トップ画像は平林寺の新緑)

 
 
[ 思い出の風景 武蔵野古刹の春   ]より抜粋http://zilgf.blogspot.jp/2011/07/blog-post_22.html