「脆弱性」―― 心の風景の深奥 或いは、「虚偽自白」の心理学

 1  極限的な苦痛の終りの見えない恐怖


 こんな状況を仮定してみよう。

 まだ眠気が残る早朝、寝床の中に体が埋まっていて、およそ覚醒とは無縁な半睡気分下に、突然、見たこともない男たちが乱入して来て、何某かの事件の容疑事実を告げるや、殆ど着の身着のままの状態で、有無を言わさず、そのまま自分の身柄が所轄の警察署に連行されてしまった。

 そのとき心の中を、経験したことのない事態に直面したときの恐怖感が走って、防衛的自我が有効で合理的な行動の指針を繰り出せずに、交感神経系の亢進によっていたずらに血管が収縮し、心臓の鼓動が騒いで止まないのだ。不随意の自律神経系が乱れて、状況の見えない流れの中に、不安と恐怖の心理だけが内側を支配してしまっているようである。

 その日、予定していた行動スケジュールはすっかり反故にされ、昨日もそうであったような日常性の営みから完全に引き離された自分が、そこにいた。

 面識のない何人もの刑事たちに囲まれた狭い取調室の中で、自分とは全く無縁な事件の容疑者にされたという事実の重量感を実感できないまま、権力的に捕捉された現実が物語る恐怖感に怯(おび)える心が、無秩序に暴れてしまっているのだ。

 それでもその時点での恐怖感は、未知のゾーンに拉致された者の感情ラインの枠内にあって、なお無実の自分の潔白が証明できる一縷(いちる)の希望の稜線が、朧(おぼろ)げに、不安定にダッチロールする視界の内に収まっていた。

 ところが、取調室の澱んだ空気に囲繞されて、自分と正対する屈強な男が吐き出す言葉の連射は一貫して暴力的であり、自分以外に犯人がいないと断定する口調は、時の経過と共に激越になり、攻撃性を増強させていくばかりである。

 取り調べの時間が間断なく継続されていく感覚すら鈍麻し、無実を訴える自分の弱々しいアピールは絶え絶えになり、全く先の見えない暴力的な展開の恐怖のみが記憶の表層に張り付き、自分の心と体を隙間なく包括する異様な空間を仕切ってしまっているのだ。

 こんなリスキーな内的状況が、何時間続いたであろうか。夜になっても食欲が破壊され、全人格的に疲弊し切っている自我が震えている。

 そこに形成されたブルーのスポットは、まさに外界から遮断された、出口の見えない「箱庭」だった。

 その「箱庭」の中に成立した関係性の本質は、「権力関係」と呼ぶ以外にない爛(ただ)れ切った様態である。

 捜査員という名の筋骨隆々の男たちとの間で形成された「権力関係」が、時間の虚しい経過と共に、いよいよ露わな暴力性を剥き出しにしてきたとき、寄る辺なき自我は少しずつ、卑小な存在性の脆弱さの被膜を剥(は)いでいくのだ。

 自らを僅かでも有利にし得る選択肢を全く持ち得ない心理的状況下で、「極道」と思しき恐怖を押し出してくる男たちによって、スラング含みで一方的に突きつけられる証拠の数々、そこに混じっている目撃情報や不穏当な噂話など、一切が自分にとって預かり知らない何かであった。

 心身ともに激しい疲労感が突き上げてきて、もう絶え絶えの自我は千切れかかっている。「早く楽になりたい」―― そんな思いが意識の領野を隅々まで支配してきて、何か得体の知れない異界の時間に誘われていくようだった。
 
 
(心の風景  / 「脆弱性」―― 心の風景の深奥 或いは、「虚偽自白」の心理学 )より抜粋http://www.freezilx2g.com/2009/07/blog-post.html(7月5日よりアドレスが変わりました)