連作小説(2)  壊れゆくものの恐怖

  


 地の底から見る風景は、過剰なまでに絶望的だった。

 中枢性疼痛という地獄の前線で噛まれて、私だけの悶絶の仕方で、あらん限りの醜悪を晒していた。そこに崩壊感覚としか呼べないものが蟠踞している。壊れゆくものの恐怖感。そいつが私を喰い尽くそうとしているのだ。

 私は入院以来、幾度、自死について考えてきたことか。

 現実が恐怖である以上に、死もまた恐怖である。恐怖から恐怖への歪んだシフトは、何よりも恐怖だった。疼痛に苛まれる私は、そのシフトの瞬間に苛烈な痛みを随伴するに違いない死という直接性の前に、大きくたじろいだ。痛みで煩悶する者は、痛みを経由することなしに辿り着けない一切の選択肢を拒絶するだろう。

 私は受容し難いこの条件命題を喉元に突きつけられて、自在性を奪われた者の凄惨な現実に慄然とするばかりだった。

 ホスピス患者や、私のような一部の頚髄損傷患者は、安楽死こそ望むのだ。

 前者にはモルヒネが有効だが、不全の脊髄損傷者が抱える疼痛にはそれも効かない。暴れ狂う神経を脳の視床が過剰に反応して、身体の其処彼処で、訳もなく痛みを連動させてしまうからだ。それを抑える手立てが全くないという冷厳な現実を引き受けること。それ以外に存在しない深い闇の奥で、安楽死だけが唯一の救いとなっていった。

 「安楽死旅行」の付き添いを訴追対象外にする英国などの事例は、丸ごと別世界のお伽話だ。

 唯一の救いであるはずの安楽死という手立ては、私の手に届きようがない。今、最も欲しいものが私にはない。その現実を引き受け切ること。そこでなお置き去りにされた感情が迷妄の森で彷徨し、怯え、体温を奪われ、束の間委ねる何ものもない時間の中でただ震え、慄き、晒された肉塊の滓に付着する感情が縋りつく先に広がる、絶望という名の冥闇の稜線。もうそこにしか棲めない細胞骨格だけが、無造作に捨てられていた。

 冥闇の稜線に弄ばれて生存を延長させていくことの恐怖と、それを絶つことができない恐怖。かつてここまで絶望したことがあったか。

 臆病者のこの弱々しい呻きは、誰の耳にも届かない。呻きを封じ込める姑息さが陰鬱さを炙り出してきて、私の長くくすんだ影が、もう修復のきかない歪みを一方的にデフォルメしていくのだ。

 絶望が孤独を深めた。深まった孤独が死の稜線を無秩序に伸ばしていく。未曾有の恐怖感が、意識で繋がる内側の神経網を齧り切っていく。戦慄が分娩した逆巻く激浪を、それが本来静かにしていた場所に私の自我が押し戻せないのだ。

 衣装を剥がされ、体温を奪われた自我の寒々とした裸形の様態に、本当は出会いたくなかった。それは泥の城でしかなかったのか。固められず、守り切れず、炎上するまでもなかった。震えるような感情に崩されて、中心が見えなくなっている。もうへとへとだった。

 私はトリプタノールを弄った。セルシンテグレトールを弄った。ついでにテルネリンも弄った。緩やかな時間を手に入れたかったのだ。

 三十分にも満たない浅い眠りが唐突に切れたとき、私という何者かに、中枢性疼痛という名の異形の権力が、嵩に懸って襲いかかってきた。私は必死にレム睡眠の中に戻ろうとする。戻ろうとすればするほど、秩序に向かう時間が反転し、私はもう絶え絶えだ。身体が疲弊するまで、私は戻るべき時間の中に這い入っていけないのだ。

 
(心の風景 /連作小説(2)  壊れゆくものの恐怖 )より抜粋http://www.freezilx2g.com/2009/09/blog-post_24.html(2012年7月5日よりアドレスが変わりました)