シン・レッド・ライン('98)  テレンス・マリック<「一本の細く赤い線」――状況が曝け出した人間の孤独性についての哲学的考察>

 序  「戦争神経症」という名のPTSD



太平洋戦争末期の沖縄戦に、「シュガーローフの戦い」(注1)という名の激戦があった。その壮絶なる戦闘の中で、決して少なくない数の若き米兵たちが、戦争に対する恐怖感から次々に精神を病んで、その治療を専門とする病院が作られたと言う。彼らが病んだ疾患の名は、「戦争神経症」というあまりに直接的過ぎる病名であった。

「戦争神経症」―― それは今ではPTSD(心的外傷後ストレス障害)の一つとして、精神医学のフィールドの中に認知され、その研究も進んでいるが、当時はまだそれについての理解は限定的だった。

そもそも、ヒステリーの一種のように見られていた、「戦争神経症」という名のPTSDが注目を浴びた契機は、第一次世界大戦だった。

近代工業の顕著な進化が軍事力に転用されて、未曾有の大量殺戮を可能にしたこの戦争の中で、砲弾によって一瞬にして肉体を吹き飛ばされる戦場の現実は、兵士たちにとっては、塹壕に潜っていても圧倒的な恐怖感を覚えるものだったに違いない。

恐怖への反応が過剰な者の中に、特段の外傷が見られないのに精神状態の不安定な帰還兵たちが多く現出して、まもなく彼らは、「シェルショック」と呼ばれるようになる。脳に受けたダメージの甚大さが注目されたのである。

これが「戦争神経症」に対する医学的研究の始まりとなって、その後、このような症例があらゆる戦争に於ける不可避な現象として、極めて現代的課題になっているという状況にある。

ともあれ、多くの米兵が「戦争神経症」に罹患した沖縄決戦の凄惨さは、私が命名するところの、「見える残酷」という至近戦の恐怖が生み出したものだった。今なお太平洋戦争が悲惨さのイメージによって語られることが多いのは、硫黄島や沖縄での肉弾戦の壮絶さを連想するからである。それらは紛れもなく、「見える残酷」の極限の様相を呈していたのである。

そして、映画のモデルになった「ガダルカナル戦」の苛烈さもまた、眼を覆い難い惨状を晒すことになったのだ。


(注1)沖縄戦の最大の激戦の名称で、「安里52高地」(現在は、安里配水池公園)での攻防戦のこと。1週間にわたっての激戦によって、3000名近くの戦死傷者を出したばかりか、多くの「戦争神経症」の罹患者を出したと言われている。

 
(人生論的映画評論/シン・レッド・ライン('98)  テレンス・マリック<「一本の細く赤い線」――状況が曝け出した人間の孤独性についての哲学的考察> )より抜粋http://zilge.blogspot.jp/2008/11/98_10.html