それまで手に入れた社会的な価値と、失ったものの精神的な価値の大きさが葛藤し、「約束された喪失感」に捕捉されていく

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1  「正しいと信じ切る能力の強さ」を具現化していった代償としての、支払ったものの大きさ
 
  
 
「大切なのは、生き方よ」
 
彼女は、そう言い切った。
 
「“考え”が“言葉”になる。その“言葉”が“行動”になる。その“行動”が、やがて“習慣”になる。“習慣”が、その人の“人格”となり、その“人格”が、その人の“運命”となる。“考え”が、人間を作るのよ」
 
そこまで言った後、彼女は言い添えた。
 
「私の父の言葉。言っとくけど、私は健康よ」
 
 
言うまでもなく、英国保守党初の女性党首であり、「鉄の女」と呼ばれた英国初の女性首相である。
 
父から学んだ冒頭の名句は、認知症の検査を受けているときのサッチャーの言葉である。
 
 
「考え」⇒「言葉」⇒「行動」⇒「習慣」⇒「人格」⇒「運命」という、父の言葉を内化していく結晶こそ、「鉄の女」を作り出す「信念」の核心にあった。
 
観念系であると同時に、情緒の堅固な砦でもある「信念」を持つことと、「正しいと信じ切る能力の強さ」が同義になって溶融したとき、男性中心の保守的な議会で、「鉄の女」と呼称される「たった一人の闘争」を必至にしたのである。
 
しかし、「たった一人の闘争」の激甚さがそうさせたのか、今、認知症を患う高齢の元女性首相は、認知症の初期症状の深い懊悩の中で、「正しいと信じ切る能力の強さ」を具現化していった代償として支払ったものの大きさが、バックラッシュのように襲いかかってきて、疾病の中の揺動が生み出した葛藤と対峙するに至った。
 
思うに、「認知症の人のつらい気持ちがわかる本」(杉山孝博講談社)によると、認知症罹患者は自らが置かれて状況を的確に理解している事実を、罹患者自身の聞き取り調査で判然としているとのこと。
 
特に、初期には判断力があるばかりか、金銭管理から自己の死に方まで考えていて、認知症の中核症状である記憶障害によって、「自分が自分である」という自己同一性(アイデンティティー)を失っていく不安と恐怖に囚われていく。
 
認識・判断・学習・推理という能力低下を感じ取り、「自分ではどうにもならない状態」に捕捉されることを考えると、まさに、
 

認知症罹患者の辛さの本質は、「約束された喪失感」を意識することの恐怖にあると言える。

 
「鉄の女」・マーガレット・サッチャーもまた、例外ではなかった。
 
当然ながら、マーガレット・サッチャーは、完全無欠な「スーパーウーマン」などではないのだ。
 
この世に完全無欠な人間が存在しない以上、「スーパーウーマン」など存在しようがないのである。
 
「鉄の女」は、無論、感情を持たない人間などでない。
 
だから煩悶する。
 
感情によって流される行為の非生産性を経験的に身につけている知性が、常に、「鉄の女」を内側から強力に武装しているだけだった。
 
だから、「鉄の女」を演じ切れた。
 
 
しかし、どれほど堅固に武装しようとも、洩れ出てきてしまう感情がある。
 
観念系であると同時に、情緒の堅固な砦でもある「信念」の裏側で、恐らく、そこだけは意思の介在があって、それでもなお、突き抜けないと渡り切れない「老朽化した橋梁」を越えてきた行程を相対化したにも拘らず、「たった一人の闘争」の「前線」から解放された今、そこで封印していた感情が洩れ出てきてしまったのである。
 
家族を犠牲にしたという悔いの念が、「鉄の女」の人生を終焉させた辺りから噴き上がってきてしまったのだ。



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