ライフ・イズ・ビューティフル('98) ロベルト・ベニーニ <究極なる給仕の美学>

1  軽快な映像の色調の変容



一人の陽気なユダヤ人給仕が恋をして、一人の姫を白馬に乗せて連れ去った。

映画の前半は、それ以外にない大人のお伽話だった。

お伽話だから映像の彩りは華やかであり、そこに時代の翳(かげ)りは殆ど見られない。

姫を求める男の軽快なステップが、ミュージカルの律動で銀幕を駆けていく。

男は姫を奪ったのではない。

「卒業」の青年のように、秩序破壊のメッセージの含みもそこにはない。

男はただ、姫をお伽の国に運んだに過ぎないのだ。

だから前半のテーマは、「お伽の国へ」というフレーズこそ相応しいだろう。

このような軽快な映像の色調が、後半に入って突然変貌する。

少しずつ映像が褪せてきて、時代の陰翳を写しとっていく。

変わらないのは、姫に対する男の愛情だけである。
 
男は姫との間に一粒種を儲けていて、家族が自転車で坂を下る微笑ましい描写の中に、時代の澱みと無縁にステップするお伽の住人たちの明朗さだけが浮き上がっていた。

そこに一片の衒(てら)いも虚勢もない家族の明朗が、映像をずっと救ってきたのだが、当局のユダヤ人狩りの難に遭う瞬間から、映像は明らかな変調を示していく。
 
 
(人生論的映画評論/ライフ・イズ・ビューティフル('98) ロベルト・ベニーニ <究極なる給仕の美学>  )より抜粋http://zilge.blogspot.jp/2008/11/98.html