虚栄の心理学

イメージ 1虚栄心とは、常に自己を等身大以上のものに見せようという感情ではない。自己を等身大以上のものに見せようとするほどに、自己の内側を他者に見透かされることを恐れる感情である。虚栄心とは、見透かされることへの恐れの感情なのである。

 同時にそれは、自らの何かあるスキルの向上によって生まれた優越感情を、他者に壊されないギリギリのラインまで張り出していく感情であるとも言える。スキルの開拓は、自我の内側に今まで把握されることもなかった序列の感覚を意識させることにもなる。この主観的な序列の感覚が、内側に優劣感情を紡ぎ出すのである。

 自分より高いレベルにあると勝手に認知された者への劣等意識が、自分より低いレベルにあると勝手に認知された者への優越感情をほどほどに中和し、自分なりに相対化している限りでは、その平穏なるラインを喰い千切って、空気を破壊するような虚栄心の暴走は見られない。

 ところが、スキルの意志的向上は、大抵、そのプロセスで「道」の序列者たちと観念的に出会ってしまうから、自らの序列性を測ることで、自己を基準にした他者の優劣度が観念的に把握されざるを得なくなってくる。この主観的把握がスキルの前線で他者とクロスするとき、他者の多様性に即して虚栄心が様々に反応するのは、それが見透かされることへの恐怖感情を本質とするからだ。

 その些か繊細で、特有の心象を括っていくと、虚栄心には、二つの文脈が包含されていることが分る。

 その一つは、「私にはこれだけのことができるんだ」という自己顕示的な文脈。もう一つは、「私はそれほど甘くないぞ」という自己防衛的な文脈。虚栄心とは、この二つのメッセージが、このような特有な表出を必要とせざるを得ない自我のうちに、べったりと張りついた意識の内実なのである。

 虚栄心は、相手が必要以上に踏み込んでくると察知したら、プライドラインを戦略的に後退させ、水際での懸命の防衛に全力を傾注する。いずれも、見透かされないための自我防衛のテクニックであると言っていい。
 
 
 
(心の風景/虚栄の心理学 )より抜粋http://www.freezilx2g.com/2008/10/blog-post_7242.html