暗殺の森(‘70) ベルナルド・ベルトルッチ <「正常」と「異常」という、薄皮の被膜一枚で繋がれた厄介な問題から逃れられない人間の脆弱性>

イメージ 11  「正常」と「普通」という記号を手に入れんとする男の防衛戦略



スタイリッシュな映像美の鮮度が全く剥落することがないのに驚かされるが、何より特筆すべきは、スタイリッシュな映像が提示した絵柄が、圧倒的な色彩感覚による対比効果や、緻密な光線支配の陰翳感の強度に補完(ヴィットリオ・ストラーロの力量の出色)されることで、物語の主人公の内面の揺動を表現する構図への変換に成就し、それが、際立つ芸術性を確保し得ていたということに尽きる。

シナリオの構成力に不満が残るものの、説明的台詞を削ぎ落した構築性において、まさに、本作は「映像」と呼ぶに相応しい一篇だった。

ここでは、「正常」の象徴としてのファシストにも、「普通」の代名詞としての大衆にも同化し得ず、その人生の総体のうちに、観念的・実存的意味を付与することが叶わなかった男の究極の孤独の様態について言及したい。

男の名は、マルチェロ・クレリチ(以下、マルチェロ)。

大学の講師として一定の社会的成功を収めたマルチェロは、盲目の友人イタロを介し、ファシスト党に入党するに至った。  

「なぜ、誰もが我々に協力したいと思うね?恐怖から協力する者。金が目的の者も多い。だが、ファシズムの信奉者は少ない。君は違う。君の動機は全く別だ。君の目的は何かな?」

これは、マルチェロと面接した際の、ファシスト党政権の官房長官の言葉だが、本質を衝いていて了解可能。

ともあれ、「君の動機は全く別だ」と言いながら、マルチェロの入党の真意を計り兼ねていても、直ちに任務を遂行したいと反応する男に、結局、ファシスト党政権は重要な任務を与えるに至ったのである。
 
そこだけは明瞭に答えなかった、このマルチェロの「動機」とは何か。

それを一言で言えば、その自我の奥深くに抱える否定的自己像を払拭するためである。

マルチェロが抱えた否定的自己像を構成するのは、以下の二つのネガティブな情報に要約される。

一つは、恐らく、ミュンヘンヒトラーの演説を聞き、ナチズムの攻撃的暴力に関与したことが原因で精神を病み、その無機質な白の石材で囲繞された精神病院に捕捉されている父と、お抱え運転手を愛人に持ち、夫の死を平気で口外する、モルヒネ中毒に罹患している母。

「正常」や「普通」というイメージと乖離した、こんな両親の血が自分にも流れているのではないか。

それが、気の弱い男の恐怖感を再生産させているのである。
 
もう一つは、13歳のとき、友だちからの虐めの現場を救ってくれた、ファシスト党員のリノという男の自宅に連れられた挙句、性的虐待を受けたリアクションで、その男から渡された拳銃で、思わず射殺してしまったという、言語を絶するネガティブな記憶であり、この「事件」が13歳の少年の自我を食い潰すほどのトラウマと化していたこと。
    
後者こそ、マルチェロが抱えた否定的自己像の核心を成していたと言っていいが、この二つは、マルチェロの内側で、決して切り離される類の何かではなかった。

この二つのネガティブなイメージを繋ぐ観念 ―― それを「狂気」への恐怖感と呼んでいい。

マルチェロの自我には、この恐怖感が内側にベッタリと張り付いていて、それが、いつ炸裂するか分らない不安に怯えていた。

彼の場合、この恐怖から自我を守る戦略は一つしかなかった。
 
それが、「正常」を象徴するファシスト党への入党と、それによって「普通」の代名詞である大衆に同化することだった。

だから彼は、異性感情を持ち得ないにも拘らず、知的レベルにおいて全く不相応なジュリアと結婚する。

そのジュリアの自宅に訪問したときの印象的なエピソードがある。

「“お嬢様とクレリチ氏の結婚は、過ちよりひどい。犯罪行為です。クレリチ氏の父親は精神病院に入院中だが、原因は梅毒です。遺伝性の病気なので、結婚は中止すべきです”」

 この匿名の手紙を読むジュリアに対して、マルチェロは、即座に「検査を受けます」と反応するが、全く取り合わないジュリアの母。

彼の表情は、「遺伝病」という言葉に鋭く反応し、必死に抗弁するのだ。

この一件は、後に、妻のジュリアが60歳の叔父と、6年間もの間、インセストの関係を延長させていたが故に、匿名の手紙の主が件のであった事実が判明するが、大学時代の恩師・クアドリ教授に対する情報収集という密命を受けたマルチェロが、恩師が亡命しているフランスへの新婚旅行を装う旅の中で、新婦ジュリアから、インセストという由々しき事実を聞かされても、特段に動揺しないの反応を見れば、新婦への愛情の脆弱さが露わにされていた。

一切は、「正常」の記号を手に入れるための生き方なのである。
 
 
 
(人生論的映画評論・続/ 暗殺の森(‘70) ベルナルド・ベルトルッチ <「正常」と「異常」という、薄皮の被膜一枚で繋がれた厄介な問題から逃れられない人間の脆弱性> )より抜粋http://zilgz.blogspot.jp/2013/05/70.html