1 弛(たゆ)まぬ努力なくして成就し得ない、苛酷な日々を繋ぐ若者の物語
「神が曲げたものを誰が直しえよう」(「伝道の書」)
「自然は人間の挑戦を望んでいる」(ウィラード・ゲイリン/米国の精神分析医)
この冒頭のキャプションから開かれる映像は、近未来のガタカ航空宇宙局の整然とした世界を映し出す。
「君は相当なきれい好きだな、ジェローム」
「“清潔は信仰に似たり”と」
「飛行計画書にもタイプ・ミス一つない。驚異的だ。土星へ飛ぶにふさわしい」
「打ち上げ延期の噂を聞きました」
「心配ない。予定通り1週間後だ。薬物検査を」
「宇宙飛行士・ジェローム・モローが土星の14番目の月タイタンへ飛び立つ。難しい選考試験もジェロームにはたやすかった。彼は宇宙飛行士に必要な資質を生まれつき備えている。ジェロームにとって何の快挙でもないが、僕はジェロームではないのだ」(ヴィンセントのモノローグ)
ここでは、遺伝子分析によって生まれた時点で寿命や将来の疾病が決められるが故に、劣勢遺伝子を排除した「適正者」の子を人工的に作り出す。
それ故、自然分娩として生まれた人間は、「神の子」という名の「不適正者」となり、この両者の差別が違法でありながら、法的強制力など存在しなかったのも同然だった。
本作の主人公・ヴィンセントは、両親の「愛の結晶」による自然分娩として生まれた、「不適正者」という宿命を負っていたのだ。
ヴィンセントの母は、神にすべてを託したのである。
「きっと何か、やり遂げるわ」
自然分娩として産んだヴィンセントを、愛情深く育てていく母の言葉である。
その事実を幼児期に知るヴィンセントは、かすり傷や鼻水一つで大騒ぎされるばかりか、保育園にも入園を断られる子供時代を過ごす。
「次の子は“普通の方法”」で作ろうと決心した両親から、その両親のDNAをベースにした遺伝子操作によって、暴力性、肥満など有害な要素を排除し、遺伝性疾患のない男子を望む母親によって、『1000人に一人の傑作』(担当医の言葉)である次男・アントンを作り出してもらうのだ。
ヴィンセントの「遊び相手」が欲しかったからである。
しかし、「不適正者」であるヴィンセントと、「適正者」であるアントンとの能力的違いは瞭然としていた。
競泳でのチキンレースで負けるのは、必ずヴィンセント。
「星への愛情か、地球への憎しみからか、物心がついた頃から宇宙飛行士を夢見ていた」(モノローグ)
「不適正者」であるヴィンセントが宇宙飛行士になる可能性がゼロに近いにも拘らず、宇宙飛行士の夢を捨てられない彼は、それでも筋トレなどをして猛烈に努力する。
その努力の結果なのか、競泳での最後のチキンレースでアントンに勝ったことで、より一層、宇宙飛行士になる夢を追い駆けていく。
このシーンの意味は重要である。
「不適正者」と「適正者」の能力的違いが顕在化されているからだ。
それでなくても心臓疾患のリスクを負っているのに、命懸けで泳ぐヴィンセントの命を奪う危険性を高めてしまうが故に、アントンは無意味なチキンレースを断念したと考えられなくもないのだが、この伏線はラストで回収される。
「新下層階級」(ヴィンセントの言葉)であるヴィンセントは家出同然に実家を離れ、職を転々とする放浪の日々を送るのだ。
放浪の日々の果て、ガタカの清掃員になったヴィンセントだが、血液検査という壁が立ちはだかる現実を突破するために、過激な手段に打って出た。
遺伝子ブローカーの闇ルートを介し、自ら走行車に飛び込むという自殺未遂によって、車椅子生活を送っていた優秀な「適正者」・ジェローム・ユージーン・モローという男の遺伝子を購入し、そのジェロームに成り済ますのである。
「こうして僕は、毎日、垢や爪や抜け毛を処分する。同時にユージーンは、彼の体の一部を提供してくれた。薬物検査用の尿サンプル、入館チェック用の血液、その他、様々な体組織。ユージーンを演じる代わりに、僕は家賃を払い、彼の生活を維持した。彼のその完璧さが、彼の重荷だった」(モノローグ)
これが、冒頭のシーンで、ジョセフ局長に「“清潔は信仰に似たり”」と答えたヴィンセントの、「きれい好き」の習癖の実相である。
これほどの努力なくして、成就し得ない苛酷な日々を繋ぐのだ。
打ち上げが間近に迫りながら、事件現場に落ちていたマツゲの検査からヴィンセントが疑われ、窮地に追い込まれていくのである。
そんなヴィンセントに思いを寄せるガタカの女性局員・アイリーンは、密かに彼の履歴を調べて、「適正者」であることを確認していた。
「私が旅できるのは地球だけ」
「心不全の怖れ」と記録されている事実をヴィンセントに吐露した、アイリーンの言葉である。
「髀肉の嘆を託つ」(ひにくのたんをかこつ/自らの能力を発揮する機会に恵まれずに嘆く)心情が、アイリーンの中枢に潜んでいたのだろうか。
一方、殺害事件の容疑者となったことで、宇宙飛行士を辞めて逃走しようと考えるヴィンセントの弱気に怒るジェローム。
「とんだ腰抜けと契約した。最後の最後になって裏切るとはな!今さら辞めるな!俺はどうなる。車椅子で土星に行けというのか!奴らの目に映るのは、この俺だ」
ジェロームの中に、自分を宇宙に行かせたいと本気で願う思いを感じ取ったヴィンセントは、いつものように自分の全身の体毛等を処分し、覚悟を括って警察の検査に臨んでいく。
翌日の検査で、一時的に苦境を脱したヴィンセント。
「ある場所から必死に逃げようとして、ついにチャンスが来た時、未練ができる。1年は長い」
これは、殺人容疑者の疑いを一時的にクリアした後、アイリーンとの別れを惜しむヴィンセントが吐露した言葉。
地球への未練を残すこんな言葉の中に、「不適正者」=「神の子」であるヴィンセントの人間性が表現されている。
しかし、宇宙への出発を2日後に控えたヴィンセントに、最大の危機が訪れる。
警察の検問に遭遇したのだ。
アイリーンを連れ、慌てて逃走するヴィンセント。
ヴィンセントがアイリーンに自分の素姓を告白しようとするが、事件への関与にうすうす疑念を抱きつつあったアイリーンは、その告白を遮断する。
二人が結ばれたのは、その直後だった。
出発前日となった。
最後の警察の検問が、ヴィンセントを待ち受けていた
アイリーンを連れた刑事が、ジェロームの家に捜索に入ったのである。
ジェロームは今、本来の自分に戻るために車椅子を降り、必死に這って2階に上がり、椅子に座って、刑事を待つのだ。
かくて、ジェロームの巧みな演技によって、ヴィンセントは最大の難関を乗り越えるに至った。
その直後、真犯人が逮捕されることで、呆気なく事件は収束する。
ここで、執拗にヴィンセントを追い詰めた刑事こそ、ヴィンセントの弟・アントンである。
ジェローム=ヴィンセントである事実をお互いに知りつつも、ヴィンセントが「不適正者」であるという重要な情報を隠し込み、アントンは兄が犯人でないことを祈りつつも、同僚の刑事に暴力を振ったことで、公正な職務を全うせざるを得なかったのだ。
この時点で、アイリーンもまた、ヴィンセントがジェロームに成り済ましていた事実をはっきりと知り、衝撃を受ける。
「ヴィンセント・A・フリーマン。不適正者だが、殺人犯じゃない。僕も心臓に爆弾を抱えてる。そして、もう長くはない。すでに寿命を過ぎている。何が不可能か、君には分るはずだ。欠点を探すのに必死で、気づかなかったろ。こんな言葉は慰めにならないだろうが、可能なんだ」
その思いを受容しつつも、複雑な心情に揺れるアイリーン。
そして、もう一人。
真犯人が逮捕されることで安堵するアントン刑事と、ヴィンセントとの二人だけの再会。
「ゴールはまだ先だ」とヴィンセント。
「終わりだ」とアントン。
「なぜ邪魔をする。僕に何ができるか、決めつけるな!僕は誰からの救いも求めてない。お前と違う。僕に救われたことを、どう説明する?」
ヴィンセントは、少年時代の最後の競泳のチキンレースのことに触れ、そこで負けた弟を挑発するのだ。
「証明する」と答えて、その挑発に乗るアントン。
かくて、成人期に達した兄弟が、もう一度、競泳のチキンレースを再現する。
夜の海でのチキンレースに挑む兄と弟。
その結果、今回もまた、「不適正者」の兄が「適正者」の弟に勝ち、溺れかかった弟を救ったのである。
弟を完膚なきまでに破ったヴィンセントにとって、アイリーンと共有する最後の夜でもあった。
)より抜粋http://zilgz.blogspot.jp/2016/01/97.html